KAWADE道の手帖「今和次郎と考現学」。
そこに今和次郎氏の「言葉の修業」という4頁の文あり。
そこから引用。
「青年時代に、柳田国男先生のお伴をして田舎を歩いたときに、先生は言葉の達人だったせいもあるが、『君はものをいわないで、目でものをみている男だね。じっくりと場面をみている。人の顔をみている。なかなか面白いところがある』と、いってくれたのが記憶にある。」(p48)
うん。ここまででいいや。
畑中彰宏著「柳田国男と今和次郎」(平凡社新書)という水先案内人が、できたので、まずは、畑中氏が引用している柳田国男の文から読み始めることにします。
ということで、今和次郎氏の著作はおあづけ。
そういえば、「柳田国男と今和次郎」に
柳宗悦が登場する箇所があったのでした。
「柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎らの『民芸運動』は、関東大震災をひとつの契機として生まれたものである。柳たちは、既存の美術界の審美眼ではないがしろにされていた日本の日用雑器に目を向け、そこに真の美を見出し、調査研究や紹介、収集活動を展開した。・・・・・民俗学と民芸の関係でいえば、それぞれのリーダーである柳田国男と柳宗悦の対談が、かみ合わないまま終わったことはよく知られている。今(和次郎)も後年、渋沢敬三とともに岩手県二戸郡荒沢村で農村調査をしたときの話のなかで、民芸にたいして批判的な意見を述べている。
『参加したのが柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎の諸氏である。この一行のもののみかたは、すべて鑑賞のみにひたって、農民の具体的なくらしのことなどはそっぽを向いている。鑑賞におぼれてしまう態度だ。農民生活を学問的に、あるいは社会福祉的になどということはまるっきり縁がない。(「常民博物館を育てた渋沢さんの周辺」)』(p147~149)
うん。柳宗悦まで視野にはいっていて嬉しいなあ。
そこに今和次郎氏の「言葉の修業」という4頁の文あり。
そこから引用。
「青年時代に、柳田国男先生のお伴をして田舎を歩いたときに、先生は言葉の達人だったせいもあるが、『君はものをいわないで、目でものをみている男だね。じっくりと場面をみている。人の顔をみている。なかなか面白いところがある』と、いってくれたのが記憶にある。」(p48)
うん。ここまででいいや。
畑中彰宏著「柳田国男と今和次郎」(平凡社新書)という水先案内人が、できたので、まずは、畑中氏が引用している柳田国男の文から読み始めることにします。
ということで、今和次郎氏の著作はおあづけ。
そういえば、「柳田国男と今和次郎」に
柳宗悦が登場する箇所があったのでした。
「柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎らの『民芸運動』は、関東大震災をひとつの契機として生まれたものである。柳たちは、既存の美術界の審美眼ではないがしろにされていた日本の日用雑器に目を向け、そこに真の美を見出し、調査研究や紹介、収集活動を展開した。・・・・・民俗学と民芸の関係でいえば、それぞれのリーダーである柳田国男と柳宗悦の対談が、かみ合わないまま終わったことはよく知られている。今(和次郎)も後年、渋沢敬三とともに岩手県二戸郡荒沢村で農村調査をしたときの話のなかで、民芸にたいして批判的な意見を述べている。
『参加したのが柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎の諸氏である。この一行のもののみかたは、すべて鑑賞のみにひたって、農民の具体的なくらしのことなどはそっぽを向いている。鑑賞におぼれてしまう態度だ。農民生活を学問的に、あるいは社会福祉的になどということはまるっきり縁がない。(「常民博物館を育てた渋沢さんの周辺」)』(p147~149)
うん。柳宗悦まで視野にはいっていて嬉しいなあ。