筑摩書房の現代日本思想大系29「柳田国男」。
その編集・解説は益田勝実。
うん。柳田国男という登山への
かっこうの水先案内人を得たような
そんなルンルンな気分で読み始める(笑)。
本の最初にある解説「柳田国男の思想」に、
柳田国男編「日本人」について注釈がある。
「この『日本人』は、
柳田国男と弟子たちの共同執筆であるが、
章ごとに分担執筆者が明記されている。
『日本人とは』と『家の観念』の二章は
柳田の担当したもの。
『定本 柳田国男集』に漏れているが、
拾遺補逸の折には、ぜひ入れてほしい、
と願っている。」
こう注に書きこまれておりました。
うん。それではと、
定本も読まない癖して(笑)
「日本人」を、古本で注文することに。
浪月堂(函館市駒場町)
本代600円+送料360円=960円
先払いでした。
さて、ぱらりと読んだのは、
第一章「日本人とは」。
その最後を引用することに。
「・・・もっとまじめに憂えている人たちに
対してすらも、なお非難せずにはおられないことは、
彼らは外国人の書いた正確な論議をそのまま日本に
当てはめようとすることで、それが筆者には
大きな失敗のような気がしてならないのである。
日本では島国でなければ起こらない現象が
いくつかあった。いつでもあの人たちに
まかせておけば、われわれのために悪いような
ことはしてくれないだろうということから出発して、
それとなく世の中の大勢をながめておって、
皆が進む方向についていきさえすれば安全だと
いう考え方が非常に強かった。いってみれば、
魚や渡り鳥のように、群れに従う性質の
非常に強い国なのである。
そのために相手が理解しようがすまいが
むとんじゃくに、自分の偉大さを誇示するために
難解なことばをもって、ややすぐれた者が、
ややすぐれない者を率いる形になっておったのでは、
真の民主政治がいつまでたってもできる気づかいは
ないのである。せめてわれわれの仲間だけは
一つ一つについて、より具体的に
マス・コミュニケーションというものの長所と弱点を、
真剣に考えてみなければならない。
こういうことこそ、無識であった世の多くの人たちを、
というよりも文字にあまり縁のなかった人々を
対象にして、今日までの変遷を知ろうとする
民俗学をやる諸君が、
真先に考えねばならぬ大切な問題だと考える。」
(p12~13)
そうそう。
ここに出てくる「ややすぐれない者を率いる」
というので思いつくのは、
井上章一・坪内祐三対談
「『考える』ための素振り」のこの箇所。
坪内】 「考える人」の著作の場合、
読者は、その人より小さなレベルでしか
考えられない。そのミニチュアが
できちゃうだけで。
井上】 とにかく、その人の思考に
つきあわされるわですからね。
いやなのは、そこですよね。
だいたいは「俺についてこい」
というパターンになるわけだから、
一方、書誌学は
「私を踏み台にして、あなた伸びていって」
って、ささえてくれる感じですもんね。
・・・・・(p74)
(季刊誌「考える人」2006年夏号)
う~ん。民俗学をやる諸君が、書誌学と
タッグを組めば(笑)。
その編集・解説は益田勝実。
うん。柳田国男という登山への
かっこうの水先案内人を得たような
そんなルンルンな気分で読み始める(笑)。
本の最初にある解説「柳田国男の思想」に、
柳田国男編「日本人」について注釈がある。
「この『日本人』は、
柳田国男と弟子たちの共同執筆であるが、
章ごとに分担執筆者が明記されている。
『日本人とは』と『家の観念』の二章は
柳田の担当したもの。
『定本 柳田国男集』に漏れているが、
拾遺補逸の折には、ぜひ入れてほしい、
と願っている。」
こう注に書きこまれておりました。
うん。それではと、
定本も読まない癖して(笑)
「日本人」を、古本で注文することに。
浪月堂(函館市駒場町)
本代600円+送料360円=960円
先払いでした。
さて、ぱらりと読んだのは、
第一章「日本人とは」。
その最後を引用することに。
「・・・もっとまじめに憂えている人たちに
対してすらも、なお非難せずにはおられないことは、
彼らは外国人の書いた正確な論議をそのまま日本に
当てはめようとすることで、それが筆者には
大きな失敗のような気がしてならないのである。
日本では島国でなければ起こらない現象が
いくつかあった。いつでもあの人たちに
まかせておけば、われわれのために悪いような
ことはしてくれないだろうということから出発して、
それとなく世の中の大勢をながめておって、
皆が進む方向についていきさえすれば安全だと
いう考え方が非常に強かった。いってみれば、
魚や渡り鳥のように、群れに従う性質の
非常に強い国なのである。
そのために相手が理解しようがすまいが
むとんじゃくに、自分の偉大さを誇示するために
難解なことばをもって、ややすぐれた者が、
ややすぐれない者を率いる形になっておったのでは、
真の民主政治がいつまでたってもできる気づかいは
ないのである。せめてわれわれの仲間だけは
一つ一つについて、より具体的に
マス・コミュニケーションというものの長所と弱点を、
真剣に考えてみなければならない。
こういうことこそ、無識であった世の多くの人たちを、
というよりも文字にあまり縁のなかった人々を
対象にして、今日までの変遷を知ろうとする
民俗学をやる諸君が、
真先に考えねばならぬ大切な問題だと考える。」
(p12~13)
そうそう。
ここに出てくる「ややすぐれない者を率いる」
というので思いつくのは、
井上章一・坪内祐三対談
「『考える』ための素振り」のこの箇所。
坪内】 「考える人」の著作の場合、
読者は、その人より小さなレベルでしか
考えられない。そのミニチュアが
できちゃうだけで。
井上】 とにかく、その人の思考に
つきあわされるわですからね。
いやなのは、そこですよね。
だいたいは「俺についてこい」
というパターンになるわけだから、
一方、書誌学は
「私を踏み台にして、あなた伸びていって」
って、ささえてくれる感じですもんね。
・・・・・(p74)
(季刊誌「考える人」2006年夏号)
う~ん。民俗学をやる諸君が、書誌学と
タッグを組めば(笑)。