昨日、新潮新書の新刊が届く。
平川祐弘著「日本人に生まれて、まあよかった」。
昨夜、序章と終章。それに、まえがき、あとがき
を読む。
まずは、終章を引用。
「敗戦後の『朝日新聞』は
社会主義陣営に色目をつかう傾向が顕著で、
全面講和論を主張して吉田首相の
サンフランシスコ講和条約締結に反対、
岸首相の安保条約改定に反対、
中国の文化大革命に理解を示したのみか、
社会面では反逆には道理があるとする
毛沢東の『造反有理』の語を引いて
日本の大学生を扇動しました。
韓国よりも北朝鮮を支持したこともある
この新聞は、戦後の大切な節目節目に
日本国民をミスリードしてきた
といっていいでしょう。」(p248~249)
ここに出る「大学生を扇動しました」といえば、
養老孟司著「こまった人」(中公新書)が
思い浮かびます。そこで養老さんは
大学紛争の朝日新聞を語っておりました。
「私の親は『朝日新聞』をとっていたが、
大学紛争以降、私自身は『朝日新聞』を
とらないし、読まないのである。
それは朝日の人にも申し上げた。
紛争のときには、朝日が記事にするたびに、
紛争が深刻化したという思いがあるからである。
つまり新聞記者はある意味で紛争の
当事者だったのだが、その後始末は
ほとんど私たちがしたという思いがある。
いくらなんでも以来数十年、
そんなことはいまではどうでもいい。
しかしそのとき以来の癖で読まない。」(p156)
うん。
平川祐弘氏の新刊の最終章は
「『朝日新聞』を定期購読でお読みになる皆さんへ」
という長い題になっております。
序章からも引用。
「日本には世間に受けの良い考え方というものがあり、
人々はそれに迎合しやすい。そうした雰囲気の中で
吉田茂は、ワン・マンという世間の非難の大合唱
にもかかわらず、『朝日新聞』の主張とは逆の
外交を断行することで後世に名を留めました。
吉田首相は講和条約を締結するに際して、
それが共産圏諸国を含むものでないからとして
反対したいわるゆ全面講和論者の南原繁東大総長を
『曲学阿世(きょくがくあせい)の徒』と言ったため
に知識人や学生を敵にまわしましたが、
今の私は吉田の方が正しかった、と思っています。
しかし大新聞が造り出すイメージはおそろしい。」
(p33)
平川祐弘著「日本人に生まれて、まあよかった」。
昨夜、序章と終章。それに、まえがき、あとがき
を読む。
まずは、終章を引用。
「敗戦後の『朝日新聞』は
社会主義陣営に色目をつかう傾向が顕著で、
全面講和論を主張して吉田首相の
サンフランシスコ講和条約締結に反対、
岸首相の安保条約改定に反対、
中国の文化大革命に理解を示したのみか、
社会面では反逆には道理があるとする
毛沢東の『造反有理』の語を引いて
日本の大学生を扇動しました。
韓国よりも北朝鮮を支持したこともある
この新聞は、戦後の大切な節目節目に
日本国民をミスリードしてきた
といっていいでしょう。」(p248~249)
ここに出る「大学生を扇動しました」といえば、
養老孟司著「こまった人」(中公新書)が
思い浮かびます。そこで養老さんは
大学紛争の朝日新聞を語っておりました。
「私の親は『朝日新聞』をとっていたが、
大学紛争以降、私自身は『朝日新聞』を
とらないし、読まないのである。
それは朝日の人にも申し上げた。
紛争のときには、朝日が記事にするたびに、
紛争が深刻化したという思いがあるからである。
つまり新聞記者はある意味で紛争の
当事者だったのだが、その後始末は
ほとんど私たちがしたという思いがある。
いくらなんでも以来数十年、
そんなことはいまではどうでもいい。
しかしそのとき以来の癖で読まない。」(p156)
うん。
平川祐弘氏の新刊の最終章は
「『朝日新聞』を定期購読でお読みになる皆さんへ」
という長い題になっております。
序章からも引用。
「日本には世間に受けの良い考え方というものがあり、
人々はそれに迎合しやすい。そうした雰囲気の中で
吉田茂は、ワン・マンという世間の非難の大合唱
にもかかわらず、『朝日新聞』の主張とは逆の
外交を断行することで後世に名を留めました。
吉田首相は講和条約を締結するに際して、
それが共産圏諸国を含むものでないからとして
反対したいわるゆ全面講和論者の南原繁東大総長を
『曲学阿世(きょくがくあせい)の徒』と言ったため
に知識人や学生を敵にまわしましたが、
今の私は吉田の方が正しかった、と思っています。
しかし大新聞が造り出すイメージはおそろしい。」
(p33)