1954年(昭和29年)に
柳田国男編「日本人」(毎日新聞社)が出ております。
そこにある、「家の観念」で
柳田国男は、こう書いておりました。
「一般的にいって、
ここ数年来の日本人というものは
恐ろしくなるほど質は低下し、
粗雑になってきているのである。・・
それを気づかせる人をひとりでも
多く作り育てていくために、
ちっとも気を弱めずに進んでいける
という学問が一つ起こっているのである。
われわれが民俗学という小さな学問
の区域に割拠しておりながら、なお
日本全体を背負って立つようなことをいう
理由はそこにある。・・」(p39)
「こんなにめでたい国に生まれながら、
日本人にはなかなか自分の国のありがたさを
感じていない人が多いのであるが、
この一つの責任は文献ばかりたよりすぎた
今までの日本の歴史の教え方が正しくなかった
からでもあったろう。
われわれの生活にもっとも関係の深い
近世においても、文書の記録の残っている
地域というものは非常に限られている。
記録のない地帯にそのようなことがなかった
というのではない。しごく当然なことで、
当時はちっとも珍しいとは感じなかったがゆえに、
こんなあたりまえのことを書いたのではきりがない
という心持から省略されているのである。
こんなにも時代が変ってしまった今、
文献がないのだから昔はそういうことはなかったのだ
と説くことは早計である。・・・・・・
今まで経てきた日本人の生活を省みようとするならば、
その痕跡はありあまるくらいに
その資料を提供してくれるだろう。」(p55~56)
ちなみに、
柳田国男は昭和37年死去。
あとがきで
「『日本人』という題目は、
自分にとってきわめて魅力のある名称である。・・・
私はこの題目を引き受けたとき、
日本民俗学の成果を利用するのに
この上もない機会だと思った。」
柳田国男編「日本人」(毎日新聞社)が出ております。
そこにある、「家の観念」で
柳田国男は、こう書いておりました。
「一般的にいって、
ここ数年来の日本人というものは
恐ろしくなるほど質は低下し、
粗雑になってきているのである。・・
それを気づかせる人をひとりでも
多く作り育てていくために、
ちっとも気を弱めずに進んでいける
という学問が一つ起こっているのである。
われわれが民俗学という小さな学問
の区域に割拠しておりながら、なお
日本全体を背負って立つようなことをいう
理由はそこにある。・・」(p39)
「こんなにめでたい国に生まれながら、
日本人にはなかなか自分の国のありがたさを
感じていない人が多いのであるが、
この一つの責任は文献ばかりたよりすぎた
今までの日本の歴史の教え方が正しくなかった
からでもあったろう。
われわれの生活にもっとも関係の深い
近世においても、文書の記録の残っている
地域というものは非常に限られている。
記録のない地帯にそのようなことがなかった
というのではない。しごく当然なことで、
当時はちっとも珍しいとは感じなかったがゆえに、
こんなあたりまえのことを書いたのではきりがない
という心持から省略されているのである。
こんなにも時代が変ってしまった今、
文献がないのだから昔はそういうことはなかったのだ
と説くことは早計である。・・・・・・
今まで経てきた日本人の生活を省みようとするならば、
その痕跡はありあまるくらいに
その資料を提供してくれるだろう。」(p55~56)
ちなみに、
柳田国男は昭和37年死去。
あとがきで
「『日本人』という題目は、
自分にとってきわめて魅力のある名称である。・・・
私はこの題目を引き受けたとき、
日本民俗学の成果を利用するのに
この上もない機会だと思った。」