和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ふるえる田村隆一。

2014-05-26 | 詩歌
nonさんからのコメントを読んでいたら、
昨日朝方、そういえば、田村隆一の詩に、
「ふるえる」という言葉があったと思い浮かぶ。

ということで、昨日は
埃をかぶった田村隆一詩集を出して楽しみました。

 詩集1946~1976 田村隆一 
 詩集1977~1986 田村隆一

どちらも、河出書房新社
(ちなみに、私は全詩集をもっていない)

初期の詩には、キーワードのように
「ふるえる」という言葉が登場しております。
ここでは、後期の詩からはじめましょう(笑)。

詩「魚座」のはじまりと、おわりの方を紹介。

三月十八日生まれだから
あなたは魚座ですね
西洋占星術のルルさんという美少女が・・

・・・・・・・・

詩を書こうとすると手がふるえるのだ
そのふるえる手で
・・・・


 ふるえることは登場しなくても
詩「皮膚の下には」で、こんな箇所もおもしろい。

 ぼくの皮膚の下には
 小さな生物がたくさん棲みついている
 犬 猫 鳥 魚
 鯨もいれば大蛇もいる
 その呼吸音を聞いていると
 ぼくの目から
 水のようなものが流れてくるのさ


詩集「誤解」にある
詩「物と夢について」に

 はじめ、
 一羽の小鳥のふるえる舌
 がほしいばかりにぼくは詩を書き出したのに、
 ふるえる舌は
 いつのまにか具象性を獲得して、
 ホシガラス、アカゲラ、ヤマシギ、トラツグミ・・


それでは、もどって
詩集1946~1976 から「ふるえる」を拾ってみる。

たとえば、「四千の日と夜」の
最初の一行目は
「一篇の詩が生まれるためには、」
とはじまります。その五行目からは

「見よ、
四千の日と夜の空から
一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
四千の夜の沈黙と四千の日の逆光線を
われわれは射殺した」

詩「十月の詩」にも
「十月の
 つめたい空にふるえている」という言葉があります。

詩「車輪 その断片」のはじまりは

「  そこで顫えているもはなにか
   地の上に顔をふせて
   耳を掩っているものはなにか 」

そして、詩「言葉のない世界」には
こんな箇所が

「 するどく裂けたホシガラスの舌を見よ
  異神の槍のようなアカゲラの舌を見よ
  彫刻ナイフのようなヤマシギの舌を見よ
  しなやかな凶器 トラツグミの舌を見よ 」

つぎ行きましょう(笑)
詩「腐敗性物質」のはじまりは

「 魂は形式 
  魂が形式ならば
  蒼ざめてふるえているものはなにか
  地にかがみ耳をおおい
  眼をとじてふるえているものはなにか 」

うん。「腐敗性物質」には「ふるえる」が
ちょこちょこ登場しますが、もう一箇所引用。

「 われら
  ふるえるものすべては高所恐怖症
  一篇の詩を読むだけで
  はげしい目まいに襲われるものはいないか
  一篇の詩を書こうとするだけで
  眼下に沈む世界におびえるものはいないか 」


うん。
これ以上引用すると
くどくなりますね(笑)。
「ふるえる田村隆一」というテーマで、
いっきょに、視界が拓ける気がします。

 ふるえる田村隆一
 ふるえない田村隆一

なんて詩の仕分けも楽しそう(笑)。
コメント
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