ポプラ新書の新刊に、
半藤一利・磯田道史対談「勝ち上がりの条件」
副題が「軍師・参謀の作法」(800円税別)。
さっそく注文。
まずは、第一章をパラパラひらきました。
うん。磯田道史氏の名前があったので注文(笑)。
ということで、磯田氏の箇所を引用。
磯田】 小早川隆景は小さいころから
人質としてよそにやられて、寂しい暮らしを
して育ちます。しかし彼が追いやられた大内氏の
山口は、戦国の西日本では、最も優秀な学者や
書物が集まっていた場所なのです。ここは重要です。
真田幸村(信繁)にしても徳川家康にしても
小早川秀秋にしても、親元を離れて人質暮らし。
明日の命も知れぬ状態ではありましたが、
しかし本があった。最高の先生がいた。(p53)
磯田】 徳川家康も、駿府に人質にやられた
ことが不遇・不運として語られるけれど、
岡崎での松平のお坊ちゃんのまま暮らしていたら、
天下を取れてはいないと思います。
家康は当初、人質として加藤順盛(のぶもり)の
邸に幽閉されています。加藤は信長のおやじの家来
だった人ですが、熱田神社の近くに暮らしていました。
そしてこの人質環境には本がいっぱいあった。
その後、駿府の今川義元邸に移されると、
そこには当時最高レベルの教養人ともいうべき
五山の禅僧が大勢いた。(p54)
磯田】 ・・・・先にも言ったように、
中世というのは都鄙の差が大きい社会でしたから、
文化は点でしか存在しなかった。その点の場所、
京とか寺とかにアクセスすることなくしては、
名軍師にはなれないのですよ。
放浪とか人質というのが、
名軍師を生み出す母になったわけですね。(p56)
半藤一利・磯田道史対談「勝ち上がりの条件」
副題が「軍師・参謀の作法」(800円税別)。
さっそく注文。
まずは、第一章をパラパラひらきました。
うん。磯田道史氏の名前があったので注文(笑)。
ということで、磯田氏の箇所を引用。
磯田】 小早川隆景は小さいころから
人質としてよそにやられて、寂しい暮らしを
して育ちます。しかし彼が追いやられた大内氏の
山口は、戦国の西日本では、最も優秀な学者や
書物が集まっていた場所なのです。ここは重要です。
真田幸村(信繁)にしても徳川家康にしても
小早川秀秋にしても、親元を離れて人質暮らし。
明日の命も知れぬ状態ではありましたが、
しかし本があった。最高の先生がいた。(p53)
磯田】 徳川家康も、駿府に人質にやられた
ことが不遇・不運として語られるけれど、
岡崎での松平のお坊ちゃんのまま暮らしていたら、
天下を取れてはいないと思います。
家康は当初、人質として加藤順盛(のぶもり)の
邸に幽閉されています。加藤は信長のおやじの家来
だった人ですが、熱田神社の近くに暮らしていました。
そしてこの人質環境には本がいっぱいあった。
その後、駿府の今川義元邸に移されると、
そこには当時最高レベルの教養人ともいうべき
五山の禅僧が大勢いた。(p54)
磯田】 ・・・・先にも言ったように、
中世というのは都鄙の差が大きい社会でしたから、
文化は点でしか存在しなかった。その点の場所、
京とか寺とかにアクセスすることなくしては、
名軍師にはなれないのですよ。
放浪とか人質というのが、
名軍師を生み出す母になったわけですね。(p56)