和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

新聞社の本音が。

2014-05-19 | 朝日新聞
昨日の日曜日は、新聞の雑誌広告に釣られ。
雑誌「新潮45」6月号を買いに、町の本屋へ。



「『朝日新聞』のホームルーム民主主義」
と題して、小田嶋隆の6頁(p19~24)。

「古舘伊知郎は『しゃべる天声人語』である」
と題して、大江舜の3頁(p25~27 )。

てなわけで、
小田嶋隆の文から引用。

「大切なのは、語り口だ。
リベラルな言説は、教養のある大人の口から、
静かな言葉として漏れ出してくるからこそ、
説得力を持つところのものだ。なんとなれば、
リベラルというのは、寛容さそれ自体を
指し示す言葉だからだ。」

こうして、作法を語ったかと思うと、
さあ、ゆっくりと本題に触れてゆきます(笑)。

「・・・・ここしばらくの朝日新聞の態度は、
『全社を挙げてのキャンペーン』そのもの
に見える。周囲に見破られる『必死さ』を、
あえて隠そうとしなくなっている。
これは、とてもマズい。
リベラルが台無しだ。・・・・
力を入れていることがらについて報じる
段になると、朝日の面々は、通常の社会面で
事実を伝えるだけでは満足せず、
学芸欄で応援記事を書き、
読者の『声』欄に、ヤラセじみた
読者投稿を何度も掲載する挙に出る。」

ここで、「ヤラセ」という言葉を
つかってしまったので、作法どおり、
静かな説得力をもたせるために、
次の文が続きます。

「いや、読者投稿が必ずしもヤラセでない
ことはわかっている。昔から、新聞読者の中には、
社の意向を忖度してそれを書き起こすことに
長けた手練の書き手が含まれている。
それだけのことだ。」

このあとは、静かに
朝日新聞の健康な事態ではない
患部をひらいて見せてくれます。


「ただ『声』欄を読んでいる読者の中には、
『耳』を澄ませている読み手がいる。
で、鋭敏な『耳』を持つ読者は、
読者の声の背後に新聞社の本音が
鳴り響いていることを察知してしまう。
『朝日、必死だな』と。
さらに、『天声人語』が事件を紹介し、
論説欄が特集を組む段階になると、
ウォッチングしている側からは、
『言論キャンペーン』が丸見えになる。」

「これは、健康な事態ではない。
朝日新聞は、全社一丸のイデオロギー的
目標のために、社を挙げて邁進しているのでは
なかろうか、と、そんなふうに見えてしまう。
事実はともかく、だ。」


「事実はともかく、だ。」が心憎い。
さしあたり、ここが寛容さの箇所でしょうか。

これだけのことも、相手を前にして、
いざ、口頭で話しかけようとすると、
まず、うまくいかなかったりします(笑)。

雑誌の論調といえば、
とかく、右や左の旦那論に、
なりやすい所を、ここでは冷静に、
左右中間のグレーゾーンに手をいれ、
患部を腑分けして、見せます。
リベラルを切り口にした小田嶋隆の文
を楽しめました。



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