和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

それは『今昔物語』に。

2014-05-13 | 本棚並べ
益田勝実編集・解説「柳田国男」(現代日本思想大系29・筑摩書房)が、楽しい。
といいながら、他の本と並べ読みなので、ちっとも進まないのですが(笑)。

この本に、
折口信夫との対談が掲載されております。
司会は石田英一郎。そこから引用。


石田】 武家の関係の記録の中で、
日本の古い農民の生活なり文化なりを
うかがわせるものはありませんか。

柳田】 それは『今昔物語』にこしたものはない。
『今昔物語』はいくど読んでもいきいきとして、
中世の因習、殊に田舎の生活をよく書いています。
その次にぼくらが珍重しているのは『沙石集』、
これが無かったら知らずにしまう
或る階級の気持ちがよく保存せられている。
浄瑠璃なんかは類型ばかり多くて、
五分の一しか伝わらなくても、
われわれは不自由はしない。それに比べると
『今昔物語』や『沙石集』や『著聞集』は
一つ一つの話に価値がある。(p241~242)

そういえば、
臼井吉見編「柳田國男回想」(筑摩書房)の
最後にある座談会のかなで、山本健吉氏は

山本】 それから柳田先生は日本の文学
(文学に限らないけれども)というのは
むかしから都会の文学中心で、農村の生活、
あるいは農民の生活を描いたものが非常に少ない、
ということを言われたことがある。先生は、
四冊の座右の書として
『今昔物語』『沙石集』『狂言記』『醒睡笑』
をあげられたことがあるんです。
これはわたしに口頭であげられたのですが、
そういうふうな系譜の文学が非常に貧しい
ということですね。それで、あるいは
旅行好きの花袋なんかとつきあって、
ある期待を文壇に持たれたことがあった
と思うんですよ。それで深入りされた面も
あったんだろうと思うんだけれども、
できたものが、けっきょく私小説。
それじゃしょうがない、というような点があった。
それでわたしは、先生が民俗学に進まれた気持には、
やっぱり、日本の近代文学の発想に対する
批判というものがあって、その気持が裏おもてを
なしているような気がするんです。(p320)

う~ん。
『日本の近代文学の発想』と対する『民俗学』。
そんなことより、『今昔物語』への着眼点が、
ありがたい(笑)。
コメント
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