木村俊介著「善き書店員」(ミシマ社)を
ひとことで、どのように言えばいいのかと、
思っていたら、
坪内祐三と井上章一の対談
「『考える』ための素振り」の箇所が思い浮かぶ。
坪内】 それってどこか、アンカーマンとデータマンの
関係みないですね。ノンフィクションの世界なんかでは、
データマンの集めてきたデータを、アンカーマンつまり
ノンフィクション作家が書く訳じゃないですか。でも
実は、データの集め方に、考えが反映されていたりする
んですよね。どんなデータを揃えてあるかで、
全然違った仕上がりになる。今、調べること、
その知性というのは、ないがしろにされていますよね。(p73)
井上】 そうか。そうそう、
特に考えているという自覚はなくても、いろいろ
調べてる時、物思いに耽ってますよね。(p74)
(以上、季刊誌「考える人」2006年夏号より)
この「いろいろ調べてる時の物思い」を、
「善き書店員」を読みながら、味わえる、
そんな楽しみがあるんです。
たとえば、
木村俊介さんは第8章で
こう語っておりました。
「私自身が自分の職業を『インタビュアー』と
名乗っているのは、仕事の素材にしているものを
『声』だとはっきりさせておきたいからである。
同じジャンルで仕事を続けていく人というのは
一般的には『書く人』としての自負を強めていき、
キャリアを重ねるごとにじかに取材することが
少なくなったり、さまざまな引用を組み合わせた中で
の事実の語りをする比重が増したり、あるいは
歴史的な文献にあたってそれらを読み解いて
ある事象を語ったりする例が多いように感じられていた。
しかし、自分としてはやっぱり仕事の素材はじかに
話を聞いたインタビューというずっと使い続けられて、
自前で一次情報としてのデータを作り続けられるものに
しておきたかったのである。
『書く人』より『聞く人』でいたいし、自分がこれまで
発表してきた本にしてもすべてインタビュー集なのだが、
それらの本の質の高さがうんぬんというよりは
録音されてノーカットのまま残っているそれぞれの
取材の声のまるごとのほうがずっと価値があるのではないか
とさえ思っている。・・・
そもそものデータ収集の前線でのやりとりこそ
最終的なまとめ以上のかなりの工夫が要るんじゃないか
・ ・・・・これだけを続けていったらそれはそれで
おもしろいのではないかという考えで私は
この役割を引き受けているわけだ。
ちょっとした聞きかたでかなり成果が変わるのが
声による調査だから、私としては個人的には
さまざまな他人や団体による調査をもとに
現象を語る場面を目にしても、どのくらい
本気で答えているかわからないからな、
といつも思ってしまう。調査を数値化するまでには、
質問のしかたからはじまってデータを取ってきた人や
それをまとめた人の偏見が入りやすいものなので、
そのデータを作った人以外が語ると間違いも
起きやすいのではないか、とも感じている。
それから、やっぱり人の話を聞くということでいえば、
その声をもとにした取材の結論よりも、
聞いた声そのもののほうがずっといいというは
かなり強く実感していることである。
・ ・・・・」(p318~320)
この章はご自身が書いているわけでして、
インタビューとは別の楽しみで読めました。
もう一度、
井上章一・坪内祐三対談にもどると
井上】 名前が出てふと思ったんですが、
私は、知性としてはむしろ、谷沢先生の
ような物知りのほうに憧れますね。・・・
私自身のなかにある『頭が下がるなあ』
という思いは、いわゆる『考える人』、
突き詰めて考える人よりは、
書誌学者のような『調べる人』の方に
向かいますね。
坪内】 それは私もそうですね。
『考える人』の本を読んでも、
考えるきっかけにはならない。
書誌学的な本を読んだほうが、
自分が考えるきっかけにはなりますね。
(p73)
ひとことで、どのように言えばいいのかと、
思っていたら、
坪内祐三と井上章一の対談
「『考える』ための素振り」の箇所が思い浮かぶ。
坪内】 それってどこか、アンカーマンとデータマンの
関係みないですね。ノンフィクションの世界なんかでは、
データマンの集めてきたデータを、アンカーマンつまり
ノンフィクション作家が書く訳じゃないですか。でも
実は、データの集め方に、考えが反映されていたりする
んですよね。どんなデータを揃えてあるかで、
全然違った仕上がりになる。今、調べること、
その知性というのは、ないがしろにされていますよね。(p73)
井上】 そうか。そうそう、
特に考えているという自覚はなくても、いろいろ
調べてる時、物思いに耽ってますよね。(p74)
(以上、季刊誌「考える人」2006年夏号より)
この「いろいろ調べてる時の物思い」を、
「善き書店員」を読みながら、味わえる、
そんな楽しみがあるんです。
たとえば、
木村俊介さんは第8章で
こう語っておりました。
「私自身が自分の職業を『インタビュアー』と
名乗っているのは、仕事の素材にしているものを
『声』だとはっきりさせておきたいからである。
同じジャンルで仕事を続けていく人というのは
一般的には『書く人』としての自負を強めていき、
キャリアを重ねるごとにじかに取材することが
少なくなったり、さまざまな引用を組み合わせた中で
の事実の語りをする比重が増したり、あるいは
歴史的な文献にあたってそれらを読み解いて
ある事象を語ったりする例が多いように感じられていた。
しかし、自分としてはやっぱり仕事の素材はじかに
話を聞いたインタビューというずっと使い続けられて、
自前で一次情報としてのデータを作り続けられるものに
しておきたかったのである。
『書く人』より『聞く人』でいたいし、自分がこれまで
発表してきた本にしてもすべてインタビュー集なのだが、
それらの本の質の高さがうんぬんというよりは
録音されてノーカットのまま残っているそれぞれの
取材の声のまるごとのほうがずっと価値があるのではないか
とさえ思っている。・・・
そもそものデータ収集の前線でのやりとりこそ
最終的なまとめ以上のかなりの工夫が要るんじゃないか
・ ・・・・これだけを続けていったらそれはそれで
おもしろいのではないかという考えで私は
この役割を引き受けているわけだ。
ちょっとした聞きかたでかなり成果が変わるのが
声による調査だから、私としては個人的には
さまざまな他人や団体による調査をもとに
現象を語る場面を目にしても、どのくらい
本気で答えているかわからないからな、
といつも思ってしまう。調査を数値化するまでには、
質問のしかたからはじまってデータを取ってきた人や
それをまとめた人の偏見が入りやすいものなので、
そのデータを作った人以外が語ると間違いも
起きやすいのではないか、とも感じている。
それから、やっぱり人の話を聞くということでいえば、
その声をもとにした取材の結論よりも、
聞いた声そのもののほうがずっといいというは
かなり強く実感していることである。
・ ・・・・」(p318~320)
この章はご自身が書いているわけでして、
インタビューとは別の楽しみで読めました。
もう一度、
井上章一・坪内祐三対談にもどると
井上】 名前が出てふと思ったんですが、
私は、知性としてはむしろ、谷沢先生の
ような物知りのほうに憧れますね。・・・
私自身のなかにある『頭が下がるなあ』
という思いは、いわゆる『考える人』、
突き詰めて考える人よりは、
書誌学者のような『調べる人』の方に
向かいますね。
坪内】 それは私もそうですね。
『考える人』の本を読んでも、
考えるきっかけにはならない。
書誌学的な本を読んだほうが、
自分が考えるきっかけにはなりますね。
(p73)