和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「大阪の名著発掘」。

2020-12-14 | 本棚並べ
昨日の寝床本は
谷沢永一編「なにわ町人学者伝」(潮出版社・昭和58年)。
といっても、すぐ寝てしまうので、
ちょっとの、数ページをめくって、寝ました。

この本の最後には、肥田晧三による「大阪の名著発掘」。
14ページに、10冊の本が紹介されておりました。
それぞれが、1ページほどの紹介文です。
ここでは、三木佐助著「玉淵叢話」(1902年)を
とりあげた文をとりあげてみます。
はじまりは
「『玉淵叢話(ぎょくえんそうわ)』は、幕末から明治大正時代に
大坂で出版業者として手広く営業を続け、機敏な活躍で業界の
成功者となった三木佐助(みきさすけ)の自叙伝である。
50歳の時に自己の経歴と見聞を口述したのを、
明治35年(1902)に出版したものである。」

はい。短い紹介文の真ん中をカットして、つぎは最後を引用。

「・・単なる出世物語ならさして推賞するにあたらぬのであるが、
ここには幕末から明治へかけての大阪書籍業界の実情、我国における
西洋楽器製造の初期の事情などが興味深く語られており、そうした主軸
に加えて丁稚生活の回想や大阪風俗の変遷がじつに面白く叙されている。

しかも、それらが談話形式のきわめて読みやすい文体で書かれ、
語られた事実と文体の妙が相俟って、一つの傑出した文学作品を
かたち作っているのである。いったんこの書物を手にしたら、
しまいまで巻をおけぬ位の面白さなのである。

明治時代の自伝文学にすぐれた作品は多く、
福沢諭吉の『福翁自伝』が第一に思い浮かぶけれども、
それと比べて決して遜色のない『玉淵叢話』のような
ユニークな自伝が大阪で生まれたことは愉快というべきである。」
(p168~169)


はい。こういう箇所を、つまんで読んでから寝ると、
「『福翁自伝』と比べて遜色のない」という箇所が
なんだか、夢のなかで、どんどん膨らんでゆくような、
そんな夢を見たような、見ないような寝起きとなります。

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なんの遠慮がいるもんかい。

2020-12-13 | 本棚並べ
「本好き」と「読書好き」との区別があるそうです。
わたしは「本好き」で、読む方はおざなりのタイプ。
本が身近にあれば満足で、それに古本屋さんも喜ぶ。

さてっと、昨日の寝床本は2冊。
杉山龍丸の「わが父・夢野久作」(1976年・三一書房)
「夢野久作ワンダーランド」(沖積社・1988年)

ワンダーランドの方に、桂米朝氏の短文があります。
そのはじまりは

「私が夢野久作という名前を知ったのは、昭和18年のことです。
友人の家に『ドグラ・マグラ』(多分、初版本と思う)があり、
『これは何とも不思議な小説だよ』と貸してくれたのですが、
一読、強烈な印象をうけました。十七、八歳の頃のことです。
本当に夢幻境の世界に遊ぶ思いをしました。
  ・・・・・・

これを書くについて、読み返そうと思ったのですが、
その暇がないのが残念です。『犬神博士』を読んだとき、
あの文章に私は〈話芸〉を感じました。
私は喋るのが商売のはなし家ですから、
特にそう感じるのかも知れませんが、
渋滞なくどんどん読み進めてゆける小説には、
みな一種の話術があります。・・・・」(p20)


「わが父・夢野久作」の目次に「童話」と題した箇所があるので
ひらいてみる。そこに
「彼は(夢野久作のこと)、演説は駄目でしたが、
座談は非常に巧く、面白い話をして呉れました。」とあります。

「彼が私に話した、童話というか、博多、福岡地方の民話と
いったものは、沢山ありました・・・」

こうして一例を残してくれております。
うん。ここまで書いたのですから引用しましょう。

「福岡の郊外の或る名家が、花嫁を貰いました。」
とはじまります。

「さて。四ヶ月、五ヶ月とたつうちに、花嫁は、段々、
お腹が大きくなって、目立ってやせてゆき、時々誰もいないところで、
眼に涙をためて大きな吐息をつくようになりました。
さあ、お姑さんは、気になって、心配で、心配でたまりません。」

こうして、姑と嫁の会話になります。

『あんた、あたきが、何度聞いても、いいえというて、
どげえーもなかと、いいなるばってん。
あんたのこのごろの様子は、ただごとじゃなかばい。
あたきは、あんたば、実の子供のごと、思うとると。
それやけ、なんでもよか、あたきにいうてんなざい。
どげーなことでもよか、あたきにでけることなら、
いうてんなざいや。』と、
必死になっていいました。
花嫁はやっと、
『あたしゃ、はずかしうございますばってん。
どげなことでもよごさっしょうか?』
と、さも消えてしまいそうな小さい声で申しました。

『屁こきとうございます。』


  この話芸は、細部が面白いのですが、
  カットして、飛ばしてゆきます。

『おう、なんの遠慮がいるもんかい。あたきのおる前で、
どうどうと、遠慮なしに、やってんたい。そうすりゃ、
すーとするじゃろう。』

   うん。飛ばして、最後を引用。

「残念なことが只一つありました。
花嫁が、屁こいた尻が、丁度、庭先きの柿の木の方を向いていました。
晩秋で、その柿の木は、この家の名物の大木でしたが、一杯に、
たわわに熟した柿の実が、真赤になっていました。
その柿の実が、花嫁の屁で全部落ちてしまいました。
それで、熟して落ちた柿の実は、臭くなってしもうた。

という話でした。
私には、この話より、彼が、花嫁の格好や、姑さんの姿、
こわ色をつかってやって呉れた姿、大きな手、長い顔で、
一生懸命話して、とくに、花嫁が、『ぐわわわわん』と
放屁一発したときの大声、顔、口、手のしぐさの方は、
言葉で現わせませんが、今も記憶に残っています。

彼は演説は駄目でしたが、座談は非常に巧く、面白い話をして呉れました。
この『屁こき嫁御』の話を聞いた後、私は、熟柿が食べられなくなりました。」(~p222)


うん。もうすこし、
スマートな、引用をしたかったのに、
下手クソな、引用となりました(笑)。



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馬鹿野郎。

2020-12-12 | 本棚並べ
Voice1月号の対談で
乃木坂46の鈴木絢音(あやね)さんと
金田一秀穂さんが楽しく話しておりました。

鈴木】・・・私も『読書』の時間は少ないほうかもしれません・・
というのも、普段は小説以外にも図鑑に触れる時間が多いので。
説明やイラストが綺麗に整っているのが大好きなんです。
だから私だったら、『読書』の意味を『新明解』よりも
少し広く捉えて図鑑も含めたいです。

金田一】 私も鈴木さんの意見に賛成です。よく、
『あなたの愛読書は何ですか』と聞かれることがありますよね。
正直に言えば、あまり好きではない質問なのですが(笑)、
私が一冊挙げるならば『電車の時刻表』。これも、
『新明解』の語釈では間違いなく『読書』には当たらないでしょう。
それでも、私にすれば日常で繰り返し読むのはやはり時刻表なのです。
このように、突き詰めていけば、言葉の解釈は人それぞれで良いと思います。
(p171)

これは、新明解国語辞典を鈴木さんが持ち歩いている
話から、脱線しながら楽しく語られている箇所でした。

ところで、本の内容はすっかり忘れてしまっても、
ちょっとした箇所を思い浮かべる場合ってあります。

今回この対談を読んでいたら、
そういえば、夢野久作は、百科事典を全部読んだ。
というような、箇所があったような気がしたのでした。
今日になって、本棚を見たのですが、それがどこに
指摘されていたか、分からない。
ほんのちょっとした箇所で触れられていたのだと思います。
あるいは、対談の中で触れられていたのかもしれないなあ。
しかたないけど、ついでなので

鶴見俊輔著「読書のすすめ」(潮出版社・昭和54年)を
本棚からとりだしてくる。その本の最後に、
「子供の眼」と題して話された講演でしょうか。
それが載っております。
そのなかにも、夢野久作が登場しておりました。

「この夢野久作という人物は、つねに自分の息子に、
学校の先生とちがうことを教えたんで、息子としてたいへん
困ったんです。その長男の杉山竜丸の思い出によりますと、
これは西原和海の『夢野久作の世界』という本の中に
書いてあるんですけれども、私は学校で学ぶことと、
夢野久作ーおやじですねーの話があまりかけはなれているので
非常に興味があったという。

ある時、中学校の漢文で『大学』を学んだ時、
大学の道は民に親しむにあり、と朗読してた。
(昔は漢文の素読というものなんか、漢文を大きな声出して
読むわけですよ。この声がきこえたんですね。おやじに。)

そうしたらば、書斎からおやじが飛び出してきて、
馬鹿野郎、民に親しむと読むやつがあるか、
それは、民を親にす、か、または、民を本にす、とか読むんだ、
と叱られて私は呆気にとられたことがある。
今日ようやくその意味がわかるようになったが、
その時はまったく閉口したとある。・・・」
(p222~223)

うん。夢野久作が、百科事典を読破したことは、
どこに書いてあったのか、解らず仕舞いでした。




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乃木坂46と国語辞典?

2020-12-11 | 本棚並べ
乃木坂46イチの読書家が、鈴木絢音(あやね)さん
なのだそうです。

昨日の寝床本は、Voice1月号でした。
そこの、鈴木絢音・金田一秀穂の対談が面白かった。
そこから、引用してみることに

金田一】 ・・・国語辞典を読むのがお好きなようですね。私も
多くの辞典の編纂に携わってきたものですから、嬉しく思いました。
乃木坂の活動ではいろいろな現場に行くと思いますが、
いつも分厚い紙の辞書を持ち運んでいるのですか?

鈴木】 はい、普段から鞄のなかに入れています。

金田一】 それは凄い。あくまで、電子ではなくて紙なんですね。

鈴木】 中学時代は電子辞書も使っていたんです。
でも、高校にあがるタイミングで(故郷の)秋田から
上京することになり、その電子辞書を兄にあげてからは、
紙の辞書を何冊かもつようになりました。

金田一】 へぇー、いまどき珍しいですね。
私が大学で教えている学生たちは、ほとんどがスマホ。
電子辞典ですら、あまり使われていないんじゃないかな。

鈴木】 辞書を入れているせいか、
私の鞄はアイドルらしからぬ大きさなんです。
乃木坂のメンバーからはメリー・ポピンズ
(ディズニー映画『メリー・ポピンズ』の主人公。
 いつも大きな鞄を持ち運んでいる)
みたいって、よく言われます。 (p169)


はい。興味を示された方のために、つづけて
もうすこし、引用することに


金田一】 ・・・・数多(あまた)ある辞書のなかでも、
とくに『新明解国語辞典 第七版』(三省堂)が
お気に入りのようですね。

鈴木】 そうなんです。辞書って、
昔の私もそう考えていたのですが、
客観的な語釈が書かれているイメージだと思うんですね。

でも、『新明解』はまったく違いました。
多くの単語に主観的な説明が添えられています。
読めば読むほど面白くて、惹かれていきました。

・・・たとえば『新明解』で、『蛤』を引くと、
『遠浅の海にすむ二枚貝の一種。食べる貝として、
最も普通で、おいしい。殻はなめらか』と出てきます。

『普通』とか『おいしい』という説明は、人によって
解釈が分かれるはず。そんな言葉が語釈で使われているとは、
『新明解』を手にとるまでは思いもしませんでした。


金田一】 いま鈴木さんが例に挙げた『蛤』のような語釈は、
辞書をつくる側の世界では『プロトタイプ(典型的な基本形)』
と呼ばれます。貝のなかでも最も一般的なものはなにかと考えて、
当時の編纂者は蛤を思い浮かべたのでしょう。(p170)


はい。このあとからも、いろいろと考えさせられる指摘が
出てくるのですが、このくらいでやめておくのもありかな(笑)。

ところで、何年ぶり、何十年ぶり?
本棚から、新明解国語辞典を出してくる。
机上版で、第四版となっております。
「はまぐり」を、引いてみます。

はまぐり「蛤」
  [浜栗の意]遠浅の海にすむ二枚貝の一種。
   食べる貝として、最も普通で、おいしい。
   殻はなめらか。

とあります。うん。この場合、
第七版じゃなくても古い版でもいいようです。


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中仕切(なかじきり)中払(なかばらい)。

2020-12-10 | 本棚並べ
神田秀夫氏(1913年~1993年)は、国文学者。
1984年に論稿集全5巻が出ております。
その「全5冊の跋」で、ふりかえっておられます。
そこから引用。

「・・・・己れの活動期を暦年にたとえれば、
上元(正月15日)・中元(7月15日)・下元(10月15日)の、
今ちょうど下元が過ぎるころ。これが商家なら、
中仕切(なかじきり)といって、
盆(中元)と暮との中間決済を、この下元のころにおこない、
払うものは払い、一旦帳簿を〆め、気を持ち直して、
いざ歳暮へと立ち向うところである。
たとえて云うなら、この五冊も、その中仕切である。
これから年末までの活動を、浪費に陥らせないための
中払(なかばらい)である。・・・・」
(「神田秀夫論稿集五」明治書院。p421)

神田秀夫氏の本は今年がはじめてなので、
右も左も、わからないながら惹かれます。

「これから年末までの活動を、
浪費に陥らせないための中払いである。」

こんな、仕切り方があるのだと、
自分の発想の中にはない新鮮さ。

ちなみに、どうして、神田秀夫へと
導かれたのかは、あとで、すっかり忘れるので、
たどりついた、道順を記しておくことにします。

最近になって、向井敏著「本のなかの本」(毎日新聞社)を
読み返していたら、「よみがえる古典の感触」と題して
神田秀夫著「今昔物語」(岩崎書店版「日本古典物語全集」⑧)
が紹介してあり、さっそく古本で購入してみたのでした。
それから、古本検索し、今回の箇所へと辿り着きました。



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夜は夜あけよ。

2020-12-09 | 本棚並べ
「難波大阪」の附録に
牧村史陽氏が「『郷土と史蹟』を書き終って」という
短文を書いているのですが、そこに

「単なる名勝案内ならばなんでもないが、
それでは私は飽き足らない。今までにあまり知られていない
古代遺跡や、文化碑、天然記念物までも、どこかに
こんなものがあると知れば、私はすぐに車を走らせた。
・・・・」

はい。「難波大阪」の一冊である、牧村史陽の『郷土と史蹟』
をパラリとひらくと「与謝蕪村の句碑」という箇所がでてくる。
そこだけ引用してみます。

「与謝蕪村の句碑  東大阪市新喜多

   日は日くれよ 夜は夜あけよ と鳴くかはず

近鉄奈良線永和駅の北方、旧暗越奈良街道を東へ、
長瀬川の高井田橋の手前、田中益次郎邸の奥庭にある。
先代松仙翁が蕪村の句を愛し、
その筆跡を得て昭和11年に建てたものである。」(p347)

はい。自分の家の奥庭に、句碑を建てる。
というのがいいですね。お寺だとか、名所に建てる
のとはわけが違う。しかも「その筆跡を得て」という
のだから、何とも言えません。
はい。自分のお墓をつくるのとは、違います(笑)。


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大阪の阿倍野橋。

2020-12-08 | 本棚並べ
大阪なら、本棚には谷沢永一氏の本があった。
谷沢永一著「運を引き寄せる十の心得」(ベスト新書・2008年)を
とりだしてみる。ちなみに、谷沢永一氏は大阪生まれ(1929年~2011年)。

さてっと、どこから引用しましょう。

「昭和20年3月13日から夜の大阪大空襲で、父の店舗も倉庫も自宅も
全焼しまして、そして疎開して、8月15日に終戦になった。
このときに日本全国で、運命の分かれ目が生じたんです。

というのは、大阪は阿倍野橋から南は、焼夷弾が落ちてないんです。
ところが、阿倍野橋から北は、大阪駅のもっと向こうまで全部、
完全な焼け野ヶ原です。大原社会問題研究所の書庫だけがひとつ
残っているという状態でした。」(p69)

はい。つづいて、72ページへ飛びます。

「僕の父が買った家は、阿倍野区の昭和町というところの
八軒長屋の一軒でした。そこから歩いて五、六分のところに、
詩人の小野十三郎さんが住んでおられた。その真ん中辺に、
河野多恵子が住んでいた。そこから逆に東へ行くと、
15分ぐらいのところに開高健が住んでいた。こういう、
住んだところの人間の配置ですね。

それから、近くに藤本進治という、無名で亡くなった
哲学者ですが、これが大変な物知りで、出身は関大の
経済学部ですが、哲学者のくせに、近代日本文学についても、
じつに詳しい人です。ところが、世渡りの非常に下手な人で
したから、本は買えない。コクヨの四百字詰めの原稿用紙に、
自分で勝手に発表のあてもなく論文を書いて、今度はそれを
また裏返して、今度は半分に切って、裏は真っ白ですね、
そこへ読んだ本の抜き書きをするんですよ。
その抜き書きがたくさんありました。ほんとうに博学多識
といいますか、そういう先生と知り合うことができました。

全部ほんとに近所にいた。
同人雑誌をやっていると、当然小野さんともお目にかかる
機会が増えまして、そこで小野さんのところに僕もなんべんも
遊びに行く。向こうは子供が多くて、たしか5人だったかな。
ちょうど彼らが適齢期でしたから、僕なんかとちょうど
話し相手にいいわけです。私は当時は推理小説に凝っておりまして、
ヴァン・ダインであろうがエラリー・クイーンであろうが、
江戸川乱歩であろうが横溝正史であろうが、とにかく面白い
推理小説の筋をずっとしゃべるということができましたから、
小野家へなんべんも行って、子供たちみんなにサービスをした。
ということで、小野十三郎さんと縁ができたんです。」
(~p73)

うん。まだまだ続くのですが、これくらいにして
本棚からとりだしてきたのは、未読本の
谷沢永一編「なにわ町人学者伝」(潮出版社・昭和58年)。
はい。この本が、やっと、読み頃をむかえられたようです。




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その感覚の新鮮なこと。

2020-12-07 | 本棚並べ
森三千代さんの「徒然草」あとがきも、
印象に残りますので、この機会に引用。
岩崎書店「日本古典物語全集⑦ 枕草子物語」(昭和50年)。
この本のあとがきから引用。

「・・しかし、もっともおどろくべきことは、
その感覚の新鮮なことです。

たとえば、蠅が顔にとまったのを、むれた足でとまると言ったり、
牛車で道を行って、車の輪がおしつぶして行く
よもぎの葉のにおいを感じたり、ちょっと人の気づかない、
それでいて、言われてみると、はっと思うような
新しい感覚をもっています。

また、人の心の、とてもこまかいところまで
わけいって考えています。
いい就職の知らせがあるかどうかを待っている一家の人びとの気持だとか、
あこがれていた宮中にはじめて出仕したときの清少納言自身の複雑な気持
だとかは、われわれ現代人が日常に味わっている気持ともぴったりします。

千年というながい年月をへだてていても、
人間の感情はそんなにちがってはいないと、つくづく考えさせられます。

『枕草子』の文章は、だらだらしたところがなく、
簡潔で、印象的です。そして、どこをとってみても、
ぴりっとしていて、生きているようです。
それは、多感で、明るくて、さっぱりした
清少納言の性質そのままをあらわしているようです。

賀茂の祭のことや、中宮の身辺の生活を書いたのを見ますと、
清少納言が、どんなに美しいものを愛していたかがわかります。」
(p314~315)

はい。枕草子の内容によりそう
豊穣でいて、さりげない「あとがき」を読めました。

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「枕草子」を読む楽しみ。

2020-12-06 | 本棚並べ
島内裕子校訂・訳「枕草子」上下(ちくま学芸文庫)。
この下巻の島内裕子さんの解説は、平成29年2月15日と
日付があります。
はい。ここからこの箇所を引用。

「『枕草子』を読むということは、
散文を書く行為がもたらす自由の実体を、
しかとこの目で見届けることであった、
そこにこの作品を読む楽しみもある。
頁を繰るごとに眼前に広がる景色は、
新鮮な空気に満ち、花の香りや草の匂い、
雨の湿り気、風の強弱までも、さまざまに描き分けている。

夜空には月が照り、星々が輝く。
地上には、人間の生活がある。
宮廷の日々、天皇・中宮・殿上人・女房たち・・、
と文字だけ列ねれば、摂関政治や受領階級などという言葉が
現代人の頭を掠める。けれども、それらの言葉によって
『枕草子』が書かれているわけではなく、そもそもが、
当時の社会機構を後世の人々に伝える目的があったわけではない。

清少納言は自分が書きたいことを、自分の言葉で、
散文として書き綴った。このことが何より大切である。

宮廷のしきたりや、身分とそれにともなう職掌や、
宮廷人たちの衣裳の素材や色彩が、次から次へと
『枕草子』から溢れ出てくる。文章の意味を考えて
いるうちに、いつの間にか新しい場面に移り変わり、
現代と変わらぬ人情の機微や季節の順行が書かれていれば、
『そう、その通り』と頷くうちに、また宮廷生活の一齣に
変わっている。その間断することのない場面転換の中で、
読者の方でもいつの間にか、『枕草子』の緩急自在な文体と
内容に、自分の心を乗せる術を身に付けて読み進めることが
できるようになる。

 ・・・・・・・・・・・

『枕草子』は、『今、この瞬間』を生きている人間の多様性と、
精神の自由なあり方を、生気に満ちた表現で綴ってゆく。
それは、何よりもまず清少納言自身が、この現実世界に
倦んでいないからであって、たとえ退屈で鬱屈する時が
あったとしても、本を読んだり美味しい物を食べたり、
真っ白な綺麗な紙の束を貰ったりすれば、
物憂さも晴れようというものである。
 ・・・・・・」(p502~504)

はい。ここに、最新の枕草子の解説があるのでした。

きょうは日曜日。12月の最初の日曜日は
この地区では海岸掃除ということで、
砂浜のゴミをあつめて、海岸のところどころで、
燃やしました。快晴で、風もなく、サーファーがおり、
砂浜には、川から流れてきた竹や木などが、
打ち上げられているのでした。それをところどころに
集めては燃やします。午後になってから
その燃え残りに砂をかけてまわって、終了。
各家から一人でるのですが、私は若い方です。

オイ。『枕草子』という、海原へは、いつ漕ぎだすんだい。
と、今日の海も心配してくれているようでした(笑)。

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大坂では『おっしょはん』。

2020-12-05 | 本棚並べ
「難波大阪」の3冊本は
和綴本を仕舞っておくような丁寧な函入。
昭和50年発行で、その際の定価が2万円。
うん。その金額で購入していたとしたら、
おそれおおくて、ページをひらくのさえ、
ためらわれるだろう、りっぱな装幀です。

はい。古本値で購入できたので、
いまでも十分きれいな本ですが、
お気楽くにページをひらきます。

今日は、難波大阪の「歴史と文化」の巻
をひらく。パッとひらくと寺子屋とある。
うん。興味深いので引用してみることに。


「寺子屋・寺屋というのは京坂の言葉で、
江戸では手習い師匠とか書道指南とかいっていた。

そこで教える人のことを師匠、お師匠さん、お師匠様といった。
大坂では『おっしょはん』と呼んだ。

子供の方は弟子、弟子子(でしこ)と江戸ではいった。
江戸で300軒ぐらい、それに内職的なものを入れるともっといた。
浪人者、儒学者、神主、僧侶らがやり、一軒に一人の師匠がいた。

師匠の机は教え机で、唐机(からづくえ)であり、
弟子の机は稽古机で、天神机であった。

武士の師匠は脇差しを差し、木刀、タンポ槍、
弓の折れ矢を置いて弟子を戒めた。

弟子のなかには番頭という級長格の者がいて、
弟子入りして間のないものを教えた。
7歳ぐらいで寺子屋の場合は寺入り、
手習い師匠では弟子入りをした。
2月の初午に入るのが普通であったが、
それ以外いつでも入れた。束脩として
一朱または二朱を持って行くことになっていた。

道具は机、硯箱、白紙の折手本、草子一冊で、
手本は師匠が書いてくれた。
そこでは普通行書を習い、
楷書や草書は別に書家について学んだ。

朝の五つから八つまでやり、
月謝は200文位だが、月謝を取らないで、
五節句に200文か300文、あるいは一朱をとる者もいた。

夏には畳銭、冬には炭銭を納め、
盆や暮には砂糖袋と200文ぐらいをそえて出した。

『いろは』『一二三』『江戸方角』『竜田詣』『庭訓往来』
などを教材にし、最後に『商売往来』を学ぶ。

毎月25日は天神様で稽古を休み、秋には天神様に参った。
町の手習い師匠でも、普通の弟子が帰った後の
八ッ過ぎには四書、五経ぐらいは教えた。

大坂では『商売往来』や証文、店請状などで、幾分の商業教育もした。
また幕府は高札文などを教材として
寺子屋の師匠に下付し、風教維持の一手段とした。
また、大阪では、算盤屋という和算を教える塾が一般化していた。」
(p321~322)

はい。まだつづくのですが、ここまで、
私は、じゅうぶんに満腹感があります。




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大阪を愛する方々に。

2020-12-04 | 本棚並べ
牧村史陽編「大阪ことば事典」(講談社・昭和54年)の
「はしがき」を見ると、

「・・利用者の便宜のため、巻末に
『大阪のシャレ言葉』『いろはたとえ』『項目検出索引』を付した。
私の旧著『難波大阪ー郷土と史蹟ー』(昭和50年、講談社)と
併読していただければと思う。・・・」

とある。この箇所が気になり、
日本の古本屋でネット検索すると
「難波大阪」全三巻としてあるのがわかる。

はい。しばし躊躇してから、注文することに。
注文先の古本屋は栄文社(西宮市宮西町9‐16)。
りっぱな函に3冊揃いで収まっておりました。
2500円+送料1200円=3700円。
一枚の紙を折って4頁にした付録もついている。
3冊は、「歴史と文化」「美術と芸能」「郷土と史蹟」。
そのうちの、「郷土と史蹟」の担当が牧村史陽氏でした。
付録のはじめに、牧村氏の文がありました。
はい。附録がついていない古本もありますので、
ちょいと、紹介がてら、それを引用。

「・・・『郷土史は足で書け』というのが、
かねてからの私の持論である。中学時代から私は、
大阪、京都、奈良と、ところきらわず歩きまわり、
写真を撮(うつ)しまわった。
だから自慢ではないが、どこにどんなものがあるかは
ほとんど知りつくしているつもりである。・・・・・・」

はい。このくらいにして、
牧村氏の付録の文のおわりはというと

「『大阪ものは売れない』というジンクスを破ってまで、あえて
出版に踏みきって下さった講談社の皆さまには感謝のほかはない。
大阪をこの上なく愛する読者の方々に、こんなものもあったのか、
大阪はこんなところだったのかと、再認識していただければ幸いである。」


ここに、「大阪をこの上なく愛する読者の方々」にとあります。
装幀もりっぱで豪華な3冊ですが、付録ナシなら古本で2000円から
買えちゃうのでした(送料別)。
はい。大阪古本屋のおっちゃんなら、きっと

『ぐわっ、この本、昔は値打ちあったのに。
 今もうこんな値段!?
 かーッ、値崩れもいいとやーッ』

と、言う場面です。

うん。わたしはまだ、付録しか見ておりません(笑)。
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枕草子で読む「心の贅沢」。

2020-12-03 | 本棚並べ
気になるので、枕草子の新しい現代語訳をさがしてみる。
ちくま学芸文庫に島内裕子校訂・訳「枕草子」上下巻があるので
すこしでも安くと古本で注文。
上には帯もありまして、その帯には大きめに
「大人のための、新訳」とあり、帯の下には、
「北村季吟の『枕草子春曙抄』本文に
文学として味わえる流麗な現代語訳を付す」とあります。
ページの最後をめくると
「本書は『ちくま学芸文庫』のために新たに書き下ろされたものである。」
とあります。
ちなみに、2017年4月10日第一刷発行。

うん。せっかくなので「はじめに」のはじまりを引用。

「春は曙・・・。この一言を聞いただけで、
『枕草子』の伸びやかで、美しく、楽しい世界が、心に広がる。
『枕草子』の世界は、当時、最高に豪奢な中宮定子の宮廷生活から
生れたが、その豪奢は、威厳に満ちた重々しさではなく、機知と辛辣、
笑いとさざめきが、縦横無尽の光の箭(や)となって飛び交い、
織り上げてゆくものであった。
だから、現代のわたしたちは、『枕草子』を読むことによって、
本当の心の贅沢というものを、つまりは、溌剌とした人間精神の精粋を、
わが胸の裡に蔵(おさ)めることができる。・・・」(p9)


うん。パラリとひらいた箇所から第73段
『喩無(たとしへな)き物』の現代語訳を引用。

「かけ離れすぎていて、とうてい比較できない物。
夏と冬。夜と昼。雨の日と晴れの日。
若い人と年老いた人。笑うのと腹が立つの。
黒と白。愛情と憎悪。藍色と黄蘗色(きはだいろ)。
雨と霧。かつての愛情が無くなってしまえば、
自分の相手を見る場合でも、相手が自分を見る場合でも、
もはや同じ人とも思えないくらい、
かけ離れた別人になっているものだ。」

うん。『評』も引用。

「この段は、今までの列挙章段と視点が違う。
なぜなら、今まである一つのテーマに当て嵌まるものを
次々に挙げていたのが、ここでは、極端な対立項をワンセットとして、
列挙しているからである。
季節や天候や時間帯や人間感情など、
ある意味で常識的であるが、最後の一文が、深い含蓄を感じさせる。

『春曙抄』はこの部分、『白氏文集』の『太行路』を引き、
『人情の反覆』(人間の心が反転してやまないこと)を示唆する。
・・・・・」(上巻p231~232)


はい。ちなみに現代語訳の「若い人と年老いた人」は、
原文では、「若きと、老いたると」となっております。

え~と。あとは、この文庫のページ数。
上巻が455ページで、
下巻は島内裕子さんの解説もはいって524ページ。



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山口マオの2021年カレンダー。

2020-12-02 | 地域
イラストレーターの山口マオさんは、
名前こそ知っていたのですが、
ハテ、どういう方なのかは、知らずにおりました。
たまたま、山口マオさんの2021年カレンダーが手にはいる。

各月ごとに、イラストがある。さっそく、
毎月のイラストをパラパラとめくります。
最後のページに、各イラストについてのコメントが
まとめられていて、俄然イラストが身近に感じられます。
はい。イラストが、きゅうに語り出したような具合です。

ちなみに、各月のカレンダーの方には、題名も言葉もありません。
最後に「マオネコのつぶやき」とあって、題名も言葉もあります。
うん。イラストは引用せずに「つぶやき」のみ引用してみます。
たとえば、
1月は、「観客のいないサーカス」と題されています。
そこに付された「つぶやき」のコメントはというと、

「観客が一人もいないテントの中、
空中ブランコが大きな弧を描いて舞う。
失敗したら命を落としかねない空中ブランコだからこそ
観客がいようがいまいが、一瞬も気を抜くことは許されない。
そしてパートナーとの信頼感こそが何より大切なのだ。」

はい。これが2021年1月のイラスト。
2021年の12枚の「マオネコ」のイラストを
一足先に、のぞかせてもらいました。

ちなみに、
海猫堂山口マオグッズで検索すれば
7月・5月・1月のイラストがご覧になれます。
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半世紀ほど昔の中学生。

2020-12-01 | 本棚並べ
本棚から加藤秀俊著の2冊
「メディアの発生」(中央公論新社・2009年)と
「メディアの展開」(中央公論新社・2015年)を
出してくる。すっかり内容を忘れていたのですが、
あとがきが、思い浮かんだので、その確認。

ちなみに、加藤秀俊氏は1930年東京生まれ。
「メディアの発生」のあとがきに

「・・まとまった自由時間のなかで、気ままに本を読んだり、
旅にでたりしながらすこしずつ書いていたら、いつのまにか
足かけ5年の歳月がすぎて、わたしはいつのまにやら
79歳の誕生日をむかえていた。いうならば、これはわたしの
八十代へむけての卒業論文のようなものだ、と自分ではおもっている。

筆のすすむまま書きつづけ、気がついてみたら原稿の量は
千二百枚をこえていた。こんな長編を書き下ろしたのは
生れてはじめての経験だった。・・・」(p618)

「メディアの展開」のあとがきでは

「前著・・『あとがき』でそれを『八十代へむけての卒業論文』
だと書いた。あれからちょうど6年、気がついてみたらおやおや、
いつのまにやらわたしは85歳になっていた。・・・」(p612)


はい。せっかく本を出して来たのですから、
パラリとひらいた箇所を引用。

「・・わたしの中学時代の国語教科書の
冒頭にあったのは橘南谿(たちばななんけい)の『東西遊記』。
それにつづいて『常山紀談』があった。これは岡山藩の家老まで
つとめた湯浅常山(ゆあさじょうざん)がしるした戦国時代以後の
武将の故事逸話集。山内一豊(やまのうちかずとよ)の馬の話、
曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)の頓智、
塚原卜伝(つかはらぼくでん)の剣術、さらには
鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の忠節など、
おおむね講談本でもおなじみの物語集で、教科書には
道徳的、教訓的な挿話が収録されていた。

現在の子どもたちには想像もつくまいが、
いまから半世紀ほどむかしの中学生はこんな書物によって
学習していたのである。20世紀はじめの中学生はそれほどに
18世紀の日本の文章に親近感をもっていたのであった。

これらのテキストは当時の中学生の学力からすると、
そんなにむずかしいものではなかったし、わたしなどは
おおいに感心して愛読したのだが、いったいこういう文章は
なんと名づけたらいいのだろう、という疑問にぶつかった。
 ・・・・・・・

べつにどうということもない文章。それでいて、おもしろい。
いったい、こういう文章はなんというのですか、とかつての
中学生は国語の先生に質問した。

そうかい、いいところに気がついたね、
こういうのは『随筆』というんだ、読んで字の如し、
筆のむくまま、まあ、題名のない『作文』だと思いなさい。
こんなしだいでわたしは『随筆』という文学のジャンルが
あることを知った。・・・」(「メディアの展開」p473~474)

すぐあとに、正岡子規の『筆まかせ』からの引用がありました。

「 
『この随筆なる者は余の備忘録といはんか
出鱈目の書きはなしといはんか 心のちょっと感じたることを
そのままに書きつけをくものなれば 杜撰(ずさん)の多きは
いふまでもなし 殊にこれはこの頃始めし故
書く事を続々と思ひ出して困る故
汽車も避けよふといふ走り書きで文章も文法も何もかまはず
和文あり 漢文あり 直訳文あり 文法は古代のもあり
近代のもあり 自己流もあり 一度書いて読み返したことなく
直したることなし さればそれ心して読み給へ。』

いささか開き直った文章だが、
『心にちょっと感じた』ことをすぐに文章にしてしまうのだから、
『随筆』の極限的な例といえるだろうし、これほどみごとに
『随筆』というジャンルを定義したものはほかにない、とわたしはおもう。

じっさい、これを読んでみると東京の街頭風景の比較から
故郷松山の風俗の変遷、幼児期の回想から文壇時評、
文体論から野球、さらに漱石との往復書簡にいたるまで、
なんでも書き付けてある。・・・・・」(p474~475)

これをたどって、つぎのページには枕草子の名も
でてきたりして、読むのはたのしかったのですが、
今では、内容すっかり忘れてしまっておりました。




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