おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書54「芥川龍之介と腸詰め」(荒木正純)悠書館

2009-11-16 21:37:25 | つぶやき
 昔から「鼻」は性器の象徴というよりか、性器そのものというふうに言われる。大きさやかたちが何に喩えられもする。実に卑猥な存在である。
 まして、顔のまん中に鎮座しているのだから。そうそう、天狗の「鼻」(もどき)などは、女性が、その寂しさを紛らわす利用価値があったようだ。
 「禅智内供の鼻と云へば、池の尾で知らない者はない。長さは五六寸あつて、上唇の上から顋の下まで下がつてゐる。形は元も先も同じやうに太い。云はば、細長い腸詰めのやうな物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下がつてゐるのである。」
 芥川龍之介の「鼻」(龍之介のデビュー作とでもいう作品で、夏目漱石から絶賛された、今昔物語の話を翻案したもの。)を素材にしている。
 副題に「『鼻』をめぐる明治・大正期のモノと性の文化誌」とあるが如く、「ソーセージ」文化誌から始まり(西洋食文化の輸入の歴史、ドイツのソーセージ職人のエピソード。前説には、鉄砲伝来のエピソードまで紹介している)
 芥川がどこでソーセージと出会ったか、なぜソーセージと表記せず、「腸詰め」と書いたのか、当初の「烏瓜」とか「赤茄子」などいう比喩がどうして腸詰めという表現に変わったのか、などさまざまな話題が盛りだくさんになっている。
 特に、同時代史的に、芥川と法華経との関わり、いかに芥川が法華経に関心を持ち、作品の中に取り入れたか、などは面白かった。
 さらに、芥川(「羅生門」などの作品で高校生にはなじみな作家だ)が、実は好色(男女関係や性的なモノへの好奇心という意味で)な人物であったらしいことなどたくさんの資料を駆使しながら明らかにしている。
 小生が関心を寄せたのは、膨大な資料の検索をインターネットで行ったことによって、この作品をものすことができたとの筆者の言。
 小生も、ブログでは多くの資料などを検索して(引用して)投稿することも多いが、「国会図書館近代デジタルライブラリー」なる存在を初めて知った。
 多数の情報、資料、映像などをインターネットから借用しながらこうした多面的な要素を持つ、学術的な論文が書ける時代になってのだ、と改めて思った。
コメント
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