おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書73「日本の暦 旧暦と新暦がわかる本」(岡田芳朗編)新人物往来社

2009-12-30 20:26:03 | つぶやき
 本所松坂公園。言わずと知れた吉良邸跡。赤穂浪士の討ち入りの12月14日をメインに記念行事が行われる。泉岳寺でも行われるが、ここは「吉良」祭のはずだったが赤穂浪士には叶わない。少しばかり名称変更。けれど、赤穂浪士の人気には敵役にすぎない、これが地元では悔しい?
 ところで、12月14日は、今の時期、まだ冬の初め。芝居や映画でおなじみの雪つもる中での中での討ち入り(ホントウに雪が降っていたかは?)とはずいぶんと趣が異なる。
 旧暦と新暦。日本の明治新政府。明治5年(西暦1872)年11月9日、突如として太陽暦採用の詔書が発せられ、12月3日をもって明治6年1月1日とすることになった。明治維新という大変革だからできた話か。
 かつて聞いた話に、公務員の12月分の給料(月給)を払わなくするためだった。この書で改めて確認。それも、この年は閏月として12月が2回(この年は13ヶ月)あったので、2ヶ月分の給料支払いが得をした、とある。財政事情の悪化の中、実に思い切った施策ではあった。
 もちろん、これだけが理由ではないが、実利ではこれが大きいようだ。巷は大混乱。暦屋は大損害、庶民の突如のことで右往左往。このへんの事情が詳しく書かれている。
 この他にも蘊蓄のある話が盛りだくさん。「世界暦」なども初めて知った。これは、毎年同じ日が同じ曜日になる制度。なかなかおもしろい話で、第二次世界大戦後、国連で議論があったようだが、いつしか立ち消えになったという。
 日本でも各地にあった「地方歴」、古代からの暦の歴史など「暦の知識108」など興味深い話題がコンパクトにまとめられている。年の瀬、新年を迎えるのにふさわしい話題であった。
 ところで、赤穂浪士の討ち入りは、今の暦で換算すると、西暦1703年1月31日午前4時になるそうだ。けっこう寒そうな冬の早朝となる。たしかにこれの方が、当時の赤穂浪士の心意気を、寒さに感じることができるか。
 職場の同僚と、この日に(すなわち1月31日に)朝6時過ぎ(実際に吉良の首を打ち取って引きあげる時刻?)から、泉岳寺まで彼らが通った道筋通りに歩いてみようかと計画したことがある。なかなか果たせないままであるが。
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