「昭和史の語り部」半藤さんのあちこちで発表された文章をまとめたもの。発表時期は1973年から2007年まで。表題のような括りで、ひとまとめにしてある。
そこに見えるのは、一貫性ということである。歴史観というか、歴史の見方が一貫していることに驚嘆さえ感じる。ここに、筆者の面目躍如たる所以がある。
歴史における「真」と「実」の問題。事実としての「実」はちょっと資料を探れば手に当たる。しかし「真」は、多くを読み、調べたところで簡単に手に入るものではない。常に歴史に親しみ、追体験し、想像力をふくらませ、よく考えながら育成していく「歴史を見る眼」の問題。自分の見方をもつことなくしては、歴史を楽しみ、そこから意義や教訓を多く引きだすことができない。
このように喝破する筆者。長年の編集者としての眼が養った、確信から生み出されたものである。
では、何が「失敗の本質」であったのか。「どうせ」「いっそ」「せめて」。
すでに昭和20年に入って日本が負けることは明らかだったのに8月15日まで続いたのか、とりわけ「ポツダム宣言」受諾まで20日間。この間に広島・長崎の原爆をはじめどれほど多くの犠牲が出たか・・・。
このあたりの実証的な分析が見事だった。学者でもなく、評論家でもなく、たんなる一市民の目でなく、複眼的な評論姿勢がすばらしい。
そこに見えるのは、一貫性ということである。歴史観というか、歴史の見方が一貫していることに驚嘆さえ感じる。ここに、筆者の面目躍如たる所以がある。
歴史における「真」と「実」の問題。事実としての「実」はちょっと資料を探れば手に当たる。しかし「真」は、多くを読み、調べたところで簡単に手に入るものではない。常に歴史に親しみ、追体験し、想像力をふくらませ、よく考えながら育成していく「歴史を見る眼」の問題。自分の見方をもつことなくしては、歴史を楽しみ、そこから意義や教訓を多く引きだすことができない。
このように喝破する筆者。長年の編集者としての眼が養った、確信から生み出されたものである。
では、何が「失敗の本質」であったのか。「どうせ」「いっそ」「せめて」。
すでに昭和20年に入って日本が負けることは明らかだったのに8月15日まで続いたのか、とりわけ「ポツダム宣言」受諾まで20日間。この間に広島・長崎の原爆をはじめどれほど多くの犠牲が出たか・・・。
このあたりの実証的な分析が見事だった。学者でもなく、評論家でもなく、たんなる一市民の目でなく、複眼的な評論姿勢がすばらしい。