「それなりの武家の家には「通字」というものがあります。その家の男子みなが名前に用いる漢字、それが通字です。たとえば織田なら「信」、武田家も「信」、家康以降の徳川は「家」、北条家は「氏」、足利将軍家は「義」、という具合です。」(p3)
「それから、地位が上位の人が、下位の者に、自分の名前の一字(通常は、通字ではない方)を与えることもよくありました。織田信長の「長」を与えられたのが、義弟の浅井長政(それまでは賢政を名乗っていた)や家臣の丹羽長秀。徳川家康も、家臣の榊原康政に「康」の字を与えていますね。」(p4)
「中国で「家」と呼ばれるものは、その最大の意味では、専ら男性の系統をたどって同一の先祖を有すると観念された人々全体をいう。「宗」「宗族」「同族」等ともいう。この人々には先祖から受け継いだ同じ「気」(中略)が流れていると観念する。」(p75~76)
「また孟子は「生命とは気である」と考える道家の思想を受け継いでいます。これもまた<汎霊論>的な世界観です。
つまり、この宇宙のすべては「霊的な物質(spiritual matter)」としての気によって成り立っているとするのです。」(p68)
「日本における中華へのあこがれと同一化の欲望は果てしがありませんでした。だが、朝鮮のようには中華化できなかったのです。・・・
いいかえると、父系の家族制度を構築できないなんらかの理由と、権力を完全に一元化できないなんらかの理由が、日本の非中華性=原始性にとっての重大な性格を形成しているのではないでしょうか。」(p51~52)
小倉紀蔵先生は、「日本には<汎霊論>的な思想が根付かなかった」と指摘する。
<汎霊論>というのは、典型的には、「気」のような一元的な霊的物質によって世界が構成されていると考える思想のことであり、パウロ以降の主流派キリスト教もこれに属する。
伝統的な中華思想においては、「気」(小倉先生によれば<第二の生命>)の実体は男性のDNAであり、「気」を同じくするものが「家族」ということになる。
誤解を恐れずに言えば、「気」はシニフィエであり、「家族」の一員はレフェランであるということになる。
ところが、日本には、この思想が根付くことはなかった(らしい)。
その代わり、「苗字」を同じくする者によって構成される「イエ」の制度が存在する。
これは、私見では、シニフィエはそもそも想定されておらず、シニフィアンとレフェランだけが存在するという思考に基づいているように思われる。
しかも、シニフィアンは、江戸時代には「苗字」と「通字」の2段階に分かれており、さらに、共通のDNAを保有しない主君・家来の間でも、「通字」ではない「字」を同じくすることがあったのである(「家来」という言葉が象徴的である。)。
おおざっぱに言うと、日本には、中華圏における「気」は存在せず、その代わりに「名」が用いられた、という見方が出来ると思う。
うーむ、日本は、「名さえあれば実がなくてもオーケー」という、ある意味ではイージーな社会、つまり「シニフィエなき社会」であることを示しているのではないだろうか?
それはそれで凄いことではあるけれど。