「彼女(ジュリア・アデニー・トーマス)もまた、東京に来たときに、地下鉄の車内に貼ってあるポスターを見て、違和感を抱いたところから研究を始めています。それはツツジの花のポスターで、説明書きがあったらしい。そして「自然を愛する心」がテーマだったらしい。でもその広告を見ながら、みんな満員電車に揺られて、緑の全然ない都心(東京砂漠!)の職場に行くわけです。「???」。このポスターがいっている「自然」というのは、どうも、アメリカのイエローストーンとかナイアガラの滝だとか、国立公園の「大自然」とは全然違うことをいっているわけです。」(p55~56)
「新しい論語」を読了し、次に読み始めたのが「群島の文明と大陸の文明」。
いろいろと「日本(人)論」の”常識”が覆されて面白い。
「自然を愛する日本人」という”常識”もその一つで、外国人からみるとそれはかなりあやしいようである。
もっとも、この種の虚構は身近なところにたくさんある。
例えば私なども、山登りの後で温泉に入って心身を癒し、”自然に触れて健康的になった”(つもりの)状態でビールをがぶ飲みし、トンカツをむさぼり食う誘惑には抵抗できない。
上手いビールを飲むというのが最大の目的で、"自然を愛する"というのは口実に過ぎないのかもしれない。
なので、私自身も「自然を愛する」心の持ち主なのかどうか、自信が持てないのである。