「裁判官の父のもと裕福な家庭に生まれ、20歳でコロンビア大学ロースクールを卒業した超エリート。だのに、どこかコンプレックスの影も見える。ユダヤ系なのに反ユダヤ的言動をとり、民主党支持のはずが共和党の政治コンサルタントをしたり、自身ゲイなのを隠すのみならずゲイを圧迫したり。不思議なのは、嫌われ者だったはずが妙な人気もあったこと。人気のクラブに出没するなど、意外にヒップな面があったかららしい。 」
第一部と第二部で計8時間という、ワーグナー的な規模の芝居である。
トニー・クシュナーは、かつてトーマス・マンが「魔の山」において試みたのと似たことを、芝居という形式で行おうとしたかのように思える。
「魔の山」は、「結核という病気を通して20世紀前半のヨーロッパを描いた小説」であるのに対し、「エンジェルス・イン・アメリカ」は、「エイズという病気を通して20世紀後半のアメリカを描いた芝居」であるということが出来るからである。
池澤夏樹氏も指摘するとおり、「魔の山」の登場人物は、それぞれヨーロッパの国(但し、フランスを除く)を代表しており、小説内で「ヨーロッパのプレゼンテーション」が行われている。
つまり、「魔の山」は、「プレゼンテーション小説」である。
同様に、「エンジェルス・イン・アメリカ」の登場人物は、20世紀後半のアメリカにおけるマイノリティーを代表しており、それぞれがプレゼンテーションを行っている。
すなわち、ユダヤ人のゲイ・カップル、モルモン教徒の母、その息子の裁判所書記官と薬物依存の妻、元ドラァグクイーンの黒人看護師、といった具合である。
さらに、ロイ・コーンという実在の人物を実名のまま登場させたところが大きな特色と言えるだろう。
さて、「魔の山」には、「隠れた登場人物」として、 "Zauberberg"(魔法の山)が存在しているが、「エンジェルス・イン・アメリカ」の場合はどうだろうか?
この芝居の舞台であるニューヨーク(ほかにソルトレイク・シティもちょっとだけ登場) には、何と「天使」が降臨する。
私見では、これは、WASPの象徴であり、作者が仕込んだ「隠れた登場人物」の一種である(実際には隠れてなどいないのだが・・・)。
というのも、この「天使」(たち)は、登場人物を祝福するのではなく、「移住」と「前進」を禁じようとする、「官僚」としての言動に終始しているからである。
作者は、フロンティアへの「移住」を制限し、「前進」を妨げているのはマジョリティーであるWASPであると言いたいのかもしれない。
・・・というわけで、かなり毒の効いた芝居なのだが、第三部を作って欲しいと思っているのは私だけだろうか?