「2012年に市川亀治郎改め、四代目市川猿之助を襲名した。おじの二代目市川猿翁が作り上げた「スーパー歌舞伎」をさらに発展させ、「スーパー歌舞伎2『ワンピース』」などを上演した。 ・・・
「あるバーでは『私は〝市川猿之助〟が嫌いなんだ!』などとこぼすこともあった。完璧主義で、自身の芸に厳しいことで知られてましたから、大名跡にプレッシャーがあったのではないか」(梨園関係者)」
「イエ」制度を考えるときは、梨園のならわしを例にとると分かりやすい。
「屋号」=苗字は「イエ」(家業・家職を同じくする人間の集団)の表章であり、「襲名」は「シニフィエなき社会」を示す最も分かりやすい例である。
これに対し、西欧(及び中国)における「シニフィエ」とは一体何であったかが問題だが、これについては、小倉先生の<汎霊論>が大きなヒントになっていると思う。
(パウロに先行する)<汎霊論>の提唱者がプラトンであることについては、おそらく異論を見ないだろう。
「まず、「イデア」(idea)という言葉の意味ですが、これはidein(見る)という動詞からつくられた言葉で、字義どおりには「見られるもの」、つまりはものの「姿」、「形」を意味します。・・・プラトンはイデアという言葉を、形は形でもわれわれの肉眼に見える形ではなく、いわば「魂の眼」によって洞察される純粋な形、つまり、物の真の姿、事物の原型を指すために使うのです。・・・ギリシャ語のイデアには、英語のideaがもっている「観念」という意味はまったくありません。英語でも、ギリシャ語のイデアの訳語としては、むしろformという言葉を当てるのが普通です。」(p85~87)
ここでは、「イデア」を、道教・朱子学の「気」とパラレルに考えると分かりやすい。
「気」(<第二の生命>の一種)を同じくする者たち(宗族、同族など)は、イデア=formが同じ、つまり「父と同じ姿」をしていると考えるのである。
(なので、前にも指摘したが、岩波文庫版「ヘーシオドス 仕事と日」の以下のくだりは、おそらく誤訳であろう。
「しかしゼウスはこの人間の種族をも、子が生まれながらにして、こめかみに白髪を生ずるに至れば直ちに滅ぼされるであろう。父は子と、子は父と心が通わず、・・・」(p32~33)
ここは「父は子と、子は父と姿が似ず、・・・」とでも訳すべきところだろう。)。
「しかしゼウスはこの人間の種族をも、子が生まれながらにして、こめかみに白髪を生ずるに至れば直ちに滅ぼされるであろう。父は子と、子は父と心が通わず、・・・」(p32~33)
ここは「父は子と、子は父と姿が似ず、・・・」とでも訳すべきところだろう。)。
これに対し、日本の「イエ」制度は、明確にイデア=formを放棄しているわけであり、西欧や中国より甘いルールと言えるだろう。
しかも、「父と同じ姿」を再生することによって<第一の生命>の克服を試みたのと同じ効果が、「名(苗字)」を与えることによって実現出来るのだから、手続も簡単である。
だが、「苗字」や「名跡」は自然的あるいは生得的なものではなく、社会が付与するものなので、様々な事情によって劣化する(名跡が汚れる、名が廃れる、など)、あるいは、社会によって抹殺されることがあり得る。
実際、今回の事件の真相いかんによっては、「名跡」が「永久欠番」となり、<第一の生命>と同じ運命を辿るおそれもあるだろう。
今後の捜査で詳しい状況が分かって来ると思うが、市川段四郎さんと奥様に合掌。