この25年間における富士五湖の観光産業の変化について、私は、ハイキングをしながら調査するという、一石二鳥の方法を選んだ。
今回用いたのは、「YAMAP山登りベストコース」の「石割山・大平山・飯盛山縦走コース」(p217)で、定番コースと言って良い。
ハイキングコース周辺を見る限り、山中湖ではテニスは今も盛んなようで、登山口付近にリゾート施設関連のテニスコートを2つ見つけた(新しく整備されたもののようである。)。
そればかりか、これも新しく整備されたと思われる大きなサッカー場やドッグキャンプまである。
まだまだ開発可能な土地と相応の資金力が残っているのだ。
さて、YAMAPの最新の地図と、25年前のJTBのガイドブックの地図を見比べると、ちょっと驚く違いを発見した。
通常であれば、25年で山の地図が変わるなどということはないはずだが、実は、大きな違いがある。
25年前の地図では、「大平山」山頂付近に存在した「パラグライダースクール」の記載が、現在の地図では見当たらないのである。
実際、山頂付近にそれらしきものは見かけなかったが、単に「まだシーズンではない」ということかもしれないので、存在しないとまでは言い切れない。
そう言えば、25年前、山中湖ではパラグライダーを、河口湖では水上スキーをよく見た記憶がある。
ところが、今回のハイキング(調査?)では、少なくとも山中湖周辺ではパラグライダーも水上スキーも見なかった。
この25年で、「空を飛び、海を駆ける」日本人は消滅したのだろうか?
と思いきや、ハンググライダー専門店(忍野スカイスポーツクラブ)が誕生していた。
ちなみに、帰りの特急「富士周遊」は、9割ほどが外国人で占められていた。
「富士山」は日本観光の目玉だが、次の目的地(大阪・京都)には、一旦東京に戻り、新幹線で向かう人が多いのかもしれない。
河口湖駅から御殿場アウトレットモール行きのバスがあるので、御殿場方面に抜けて大阪方面に向かうルートもあるのだが、メジャーではないようだ。