Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

音楽修辞学

2023年04月10日 07時25分00秒 | Weblog

 ベートーヴェンが愛用していたブロードウッド&サンズのピアノによるプレ・コンサートがあることを失念して時間通りに会場に到着し、そこでようやく気付いていたく後悔する。
 なにしろ、ベートーヴェンはこのピアノを長らく”飾って”おき、調律をさせなかったくらい大事にしたのである(250周年)。
 さて、お馴染みの仲道さんによる楽譜の解釈の中で、「4度は天使の音階」というフレーズが出て、ギクッとした。
 ベートーヴェンは、音階に関するある思想に基づいて作曲していたということのようであり、演奏家としては、これを理解する必要があるということらしいのである。

 「音楽修辞学フィグーラに基づいた言葉があります。音楽を表現するにあたって、聴き手に伝える為の音型というのがあります。・・・
 天使の4度。天国に送るかのように、または、天使が優雅な気持ちで過ごしているような情景を思い浮かべながら演奏すると、とても素敵になります。

 「いよいよR.シュトラウスの隠れた名作『平和の日』がコンチェルタンテ・シリーズに登場です。宗教戦争であるドイツ三十年戦争の最後の日を題材にしたこのオペラ、奇しくも今の時勢を示唆する内容と言えるでしょう。今回は、この作品をイラストとともにご紹介します。 

 「セミ・ステージ形式」というのが新鮮で、好印象を抱いた。
 指揮者とオーケストラは、ピットに入るのではなく、通常の演奏会方式と同じ位置取りだが、歌手はその前方(客席に近い方)にいて、モニター(客席最前列に3台設置してある)で指揮を見ながら歌うというものである。
 これだと、歌手が客席に非常に近い上、「歌手の声が指揮者にぶつかってしまい、(一部の)客席に届きにくい」という演奏会方式最大の欠点(先日の東京・春・音楽祭「仮面舞踏会」でもこの現象がみられた)をクリアー出来る。
 ちなみに、このオペラは日本初公演だそうだが、ラストは「精霊」を讃える合唱となる。
 (文字通り)スピリチュアルな含意がありそうなので、「音楽修辞学」に”精霊”の音階なるものが存在するかどうかちょっと調べてみたが、どうやら見当たらなかった。
 この時代になると、「音楽修辞学」は廃れていたのかもしれない。
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「架空」や否や?

2023年04月09日 06時30分00秒 | Weblog
 「検察の主張は、架空取引をしたのだから会計基準の議論をするまでもなく粉飾であるということらしい。ここで詳しく論じることはしないが、高裁判決は「本件各取引は実体を欠くとした原判決の認定判断は、論理則、経験則に照らし不合理であり、その事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである」と厳しく断じた。 ・・・
 逆にいえば、会計処理は複雑なだけに、うそにうそを重ねないと粉飾の決算書は作りにくい。ある年に粉飾をしたら、翌年度はそのうそを前提に決算をしないといけない。高度経済成長期は、経営不振の年をごまかしても、すぐに業績が持ち直して、その利益などで過去のうそをごまかすこともできたというが、低成長のいまは、それも難しい。プロが決算書をきちんと分析すれば、ひとつのうその周りにいくつものうそがあることが見えるはずだ。

 どういう事案か不明なので、断定的なことは言えないが、「架空」という表現を用いるのは危なっかしいし、「粉飾」と言う概念で論じるのも宜しくないと思う。
 このことは、例えば、「在庫のキャッチボール」(キャッシュが入ればいいのか?)を考えると分かりやすい。
 3月末決算のA社は、5月末決算の関連会社であるB社に対し、3月に1000万円で商品を売却し、1000万円の「売上げ」を計上した。
 5月、B社は、A社に対し、3月に仕入れた商品を1100万円で売却し、「売上げ」を計上した。
 この取引は、帳票の裏付けがあり、キャッシュの動きもあるとすれば、「架空」とは言い難いと思われる。
 だが、少なくとも、金融機関の眼からすれば、これはまぎれもない「粉飾」である。
 もっとも、これが経済刑法に抵触するものであるかどうかは法的な判断となり、その際、会計基準等が参照されることになるだろう。
 会計学の専門家は、これをどう見るのだろうか?
 こういう風に考えると、「架空」とはいっても、一筋縄ではいかない問題を孕んでいることが分かると思う。
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アンチ・ビルドゥングス漫画

2023年04月08日 06時30分00秒 | Weblog
 「人気漫画『うる星やつら』『犬夜叉』などで知られる漫画家・高橋留美子氏が、フランス共和国より芸術文化勲章シュヴァリエを受勲したことが6日、小学館より発表された。

 まずは、おめでとうございます!
 高橋留美子先生の作品は、かねてからフランスで高い評価を受けており、2019年には、フランス・アングレーム国際漫画祭において日本人史上2人目の最優秀賞を受賞している(漫画家 高橋留美子 インタビュー~アングレーム国際漫画祭最優秀賞記念~)。
 意外なのは、「めぞん一刻」のような、"成長しない主人公"を描く漫画が、フランスで受け入れられていたことである。

 「「めぞん一刻」のあのギャグと五代のヘタレっぷりがフランスでも理解され、おそらく愛された事実が素晴らしい。誰がどう考えても、フランス人なら「五代などやめて三鷹を選べ!」と男でも女でも言うだろうに、この作品がフランスで大ヒットしたのを見ると、我々が思うほど人間には国による違いはあまり無いのかもしれない

 だが、私見では、フランスにはこの種の”アンチ・ビルドゥングス漫画”を受容する素地が十分にあった。
 というのも、フランスには「心理小説」の伝統があるわけで、その申し子ともいうべきフランソワーズ・サガンの作風(その代表例が「一年ののち」)と、髙橋先生の作風(但し、全部の作品ではない)には、似通うところがあると思うからである。
 
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買わせたい商品

2023年04月07日 06時30分00秒 | Weblog

アメリカ「新製品のトマホークBlockⅤが出たよ。誰か買わない?
オーストラリア「うちは今金がないので。日本が買った後なら買ってもいいよ
カナダ「俺も日本が買うなら買うよ
アメリカ「日本はどう?
日本「わ、わが国は専守防衛ですので・・・
アメリカ「そんなこと言ってたら守ってあげないよ。中国が怖くないの?
日本「そ、そ、それは怖いですけど・・・
アメリカ「だったら、とりあえず400発注文して
日本「そ、それは、現状、国内世論が許しません
アメリカ「そこは、『台湾が陥落すれば石油が入らなくなる』とかなんとか言って、マスコミと一緒に説得しなよ
日本「は、はい、分かりました。400発分の予算だけは確保しときます

というやり取りがあったかどうかは不明だが、まずトマホークを買う/買わせるという話があって、「敵基地攻撃能力」の議論は、つじつま合わせの為に来たのではないかと疑われる。

結局、アングロ=サクソン・グループの”蚊帳の外”におかれたまま、金だけは出すという、いつか見た光景が繰り返されているようだ。

他方、国内では、「自省/自社の予算を増やそう」、あるいは「増税のネタが作ろう」、などといった思惑から、この機会を逃すなとばかりに様々な集団が蠢いているわけである。
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先制攻撃能力

2023年04月06日 06時30分00秒 | Weblog
木村一基九段「昔の感覚が染みついている人は、玉を囲うということを大事に考えて、それでやれるはずだということを信じて対局に臨んでいるわけです。ところが実際、その結果どうなるかというと、やっぱり負けちゃうんですよ。将棋界は勝ち負けがすべてといっていい世界ですので、じっくり囲うことに重きを置いて作戦を立てるという考え方をする棋士が今後、増えるとは思えないんですよ。そうすると、どうしてもいかに積極的に先制攻撃を仕掛けるか、相手から攻められる側としてはどのタイミングで反撃するかなど、そういったことを工夫する人が多くなるでしょう。」(p41~42)

 王将戦ではっきりわかったのは、「玉を殆ど囲わず、十分な研究の裏付けのある先制攻撃を仕掛ければ、途中で間違わない限りだいたい勝てる」ということである。
 このように、「先制攻撃能力」を最重視するのは木村九段の説なのだが、木村九段は、この背景にAIの影響があることを指摘している。
 例えば、藤井さんは、仕掛けから詰みまでの手順を、おそらくAIを利用して研究しているはずで、この術中にはまったらさすがの羽生さんもワンサイド・ゲームで敗けてしまう。
 つまり、事前の研究の質と量で、勝敗が決まる時代なのである。
 となると、将棋連盟会長のような公職に就くと、研究に充てる時間が不足するだろうから、さすがの佐藤康光九段もA級から陥落してしまう(1勝8敗)。
 何と、”羽生世代”はA級から姿を消してしまった。

 「日本将棋連盟の佐藤康光会長(53)=九段=は4日、東京・千駄ケ谷の将棋会館で記者会見し、6月9日の任期満了を持って退任することを明らかにした。羽生善治九段(52)が理事予備選挙に立候補しており、6月の棋士総会を経て次期会長に就任する見通しとなった。

 佐藤九段に代わって、羽生さんが会長に就任するようだが、これは自然な流れだろう。
 それにしても、AIの無い時代ではあったけれど、連盟の会長を務めながら、かつ病と闘いながら、A級の地位を守り抜いた大山康晴十五世名人は偉大だった(羽生善治A級陥落で改めて思う 大山康晴十五世名人の威容)。

 
 
 
 
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サステイナビリティの主体

2023年04月05日 06時30分00秒 | Weblog
 「わが国は獲れるだけ獲ろうとしてそれでも獲れない状態です。一方で、北欧、北米、オセアニアなどの漁業先進国は、実際に漁獲できる数量より「大幅」に天然魚の漁獲量を制限しています。そして漁業で成功している国に共通しているのが、サスティナビリティを考慮している点です。」(p2)
 「「スルメイカが獲れない」というニュースを聞いたことがあるかと思います。その原因として挙がるのが、外国船による操業です。ただ、その一方で、日本では、写真のように生まれたばかりと思われる小さなスルメイカを獲って売っています。これでいいのでしょうか? 自国のことは棚に上げて外国ばかり非難しても何の解決にもつながりません。」(p5)

 「マイナーリーグには、10代後半の選手も在籍しているが、公式戦では「球数制限」は行っていない。必要がないからだ。「勝利」よりも「育成」が優先され、目先の勝利のために、投手を酷使することはあり得ない。チームの多くは、MLB球団とは別の経営になっており、MLB球団と契約をした選手を預かっている。マイナーの投手が登板過多で故障したりすれば、チームや指導者がMLB球団からペナルティを受けたり、場合によっては契約解除されることもあり得る。このためにマイナー各球団は投手の投球数を厳しく管理しているのだ。

 わが国でもようやく”サステイナビリティ”が声高に叫ばれる時代になった。
 だが、そこにおいて欠落していると思われるのは、”サステイナビリティ”の主体は一体何かという観点である。
 これについては、漁業におけるサステイナビリティが分かりやすい。
 北欧、北米、オセアニアなどの漁業先進国の発想は、conservation (保全)であり、やや誇張して言うと「育成」である。
 つまり、漁獲制限によって魚の個体(魚の集団ではない)を「育成」し、繁殖可能なまでに成長させた後で捕獲するというもの。
 日本ではこうした発想が希薄であり、生まれたばかりのスルメイカでも平気で獲ってしまう。
 したがって、おそらく日本や東アジア諸国などは、取り残された状態となっていると思われる。
 ところで、「育成」という観点からすると、アメリカでのプロ野球選手の育成方針も参考になる。
 昭和の時代、日本の高校野球やプロ野球には、「球数制限」という概念が存在しなかった。
 このため、高校野球では、投手は連投するのが当たり前で、プロになるころには肩やひじを壊しているケースが続出していた。
 「負けたら終わり」という状況下、「チームのために自分を犠牲にする」ことが奨励され、賞賛されていた(今でも、「後がない」状況で死力を尽くしてプレーする高校球児を見るのが大好きという大人は多いはずである。)。
 だが、アメリカのプロ野球では昔から「球数制限」が存在していたし、マイナーリーグに至っては「勝利」よりも「育成」が重視され、選手を故障させることは禁忌とされるらしい。
 要するに、球団の「勝利」=球団のサステイナビリティよりも、個々の選手の育成=個人のサステイナビリティが重視されているわけである。
 つまり、ざっくり言うと、欧米の「サステイナビリティ」の主体は個人であるのに対し、日本の「サステイナビリティ」の主体は「集団」なのである。
 だが、「集団」の存続を至上命題とする思考は、生物学的な観点からみて疑問とされる(レミングの嘘)。
 サステイナビリティに関する誤解も、そろそろ解いた方が良さそうである。
 
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裏金作りと表金作り

2023年04月04日 06時30分00秒 | Weblog
 「水増し発注と還流の手口はこうだ。
 日本ロジ社はアンテナやコンクリート柱といった資材の保管業務で、保管料の基準となる倉庫の面積を過大に申告。トレイルは資材を運ぶトラックの台数を水増ししていた。
 不正に振り込ませた資金の一部は、佐藤被告の妻の会社などを経由して還流させていたという。
 佐藤被告は契約の決裁権だけでなく、取引内容をチェックする「検収」の責任者も兼ねていた。警視庁は立場を悪用して不正を主導したとみている。

 「若いみなさんは、たぶん、信じられないと思いますが、実は、この時代、お役所が裏金を作るのは普通のことであり、検察庁や裁判所まで裏金を作っていました。

 「罰が当たって30年、日本は少子化・高齢化という人口動態上の負荷もあって、「落ち目の国」になりました。今の日本の指導層の方々には悪いけれど「落ち目の国に最適化して、貧乏慣れした」人たちです。だから、彼らはもう日本をもう一度なんとかするという気はありません。もう日本に先はないんだけれど、公共的リソースはまだまだ豊かにある。だから、公権力を私的目的のために運用し、公共財を私財に付け替えている分には、当分いい思いができる。そういう自己利益優先の人たちばかりで政治や経済やメディアがいまは仕切られています。 

 楽天モバイルの詐欺事件は、ずいぶんと古典的な手口で、いまどきこのような裏金作りが行われていることに衝撃を受けた。
 公金について言えば、かつては、岡口判事も指摘したとおり、警察、検察や裁判所を含む官公庁において組織的な裏金作りが行われていた。
 近年では、おそらく「組織的な」裏金作りはまずなくなったと思われるが(但し確証はない)、その代わり、正面から公金をむしり取るような行為が行われるようになった。
 内田先生も指摘する、現在の政治や経済やメディアにおいて広くみられる「公共財を私財に付け替える」行為のことである。
 「敵基地攻撃能力」を巡っても、こうした狙いを持った人たちが蠢動している。
 「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」の”有識者”を見ると、 ”有識者”どころか、もろに利害関係者(防衛省や外務省のOB)、利害関係者にシンパシーを抱いている学者や財界関係者、政府寄りのメディア関係者などで固められており、「結論先にありき」であることが明白である。
 意外だったのは、船橋洋一氏(元朝日新聞主筆)氏が、初会合を欠席したものの、事前に「ミサイルを含む打撃能力(反撃能力)の保有も欠かせない」と記された発言要旨を提出したとされる点である。
 何があったか分からないが、発言要旨を見ると、読売、日経に続いて朝日まで政府の代弁者になってしまった感がある。 
 さて、興味深いのは、次の主張である。
 
 「「(トマホークが)地上基地に配備されれば、相手からそこをたたかれることになるため、周辺住民から反対意見が出る」と指摘。トマホークの配備先として、米国から原子力潜水艦をリースする必要性を訴えた。

 「敵基地攻撃基地」は攻撃のターゲットとなるため、日本国内ではなく、リースした原子力潜水艦にトマホークを配備すべきというものである。
 当然、「敵基地」も移動式や原潜だったりするわけなので、こういうレベルの議論が出てくるということ自体、「まず予算ありき」の話であることを示している。
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フラワー・ガーディアン

2023年04月03日 06時30分00秒 | Weblog
 私が住んでいる町は、都内有数の桜の名所ということもあって、毎日大変な混雑で、特に週末は電車に乗るのも一苦労である(酔っぱらった花見客が、空き缶だけでなく、ゲ〇やウ●コまで残していくので、住民は大変である。)。
 なので、週末は、混んでくる前に仕事場に移動し、仕事場を拠点として過ごすというのが習慣化してしまった。
 なかなか天気に恵まれない週末が続いていたが、土曜日は珍しく快晴の予報で、ハイキング日和となった。
 というわけで、郊外の、あまり混雑しないようなところに、桜ではなく、かたくりの花を見つつ、ハイキングに行くことにした。
 このアイデアは、「東京発 半日ゆるゆる登山」(ヤマケイ新書)p78に載っていたものである。
 城山かたくりの里は、私有地の林にかたくりを含むたくさんの花や木が植えられていて、この時期だけ一般に開放しているらしい。
 こんな広大な敷地を個人で所有しているというのは凄いことだが、散策しているうちに、何だか幸福感に包まれてきた。
 ピピ島の楽園のイメージとはちょっと違うが、リタイヤ後を「山里の楽園」で過ごすというのも魅力的である(これに”鶏犬の声相聞こゆ”が加われば桃源郷である。)。
 そういえば、ホームページの末尾には、管理人の肩書として「花守人」という記載がある。
 英語で言えば、「フラワー・ガーディアン」になる。
 昔のクラスメートに、「フォレスト・ガーディアン」(森の番人)になった人がいたが、「フラワー・ガーディアン」という仕事には夢がある。
 ・・・もっとも、その時までに、「最後の棒倒し」によって日本が滅亡していないことが前提になるけれど・・・。

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それまで

2023年04月02日 06時30分00秒 | Weblog
  「・・・リッカルドと逢引きしていた女は、何と自分の妻だった! 痛恨の呻きをあげるレナートを、サムエルたちは嘲笑う。何事かを決意したレナートは「明朝、自宅に来い」と彼らに告げる。 ・・・
 リッカルドはレナート夫妻を本国に帰すことに決めたことを告げ、今生の別れとばかり、最後の愛の二重唱を歌うが、時すでに遅し! いつの間にか背後にまわっていたレナートが、リッカルドを短剣で突き刺す。会場が騒然となる中、瀕死のリッカルドは、アメーリアの潔白と、レナート含むすべての者の無罪を宣し、胸元から辞令を出してレナートに与える。己の誤解を深く悔やむレナート、リッカルドの寛大な采配を称える一同。やがてリッカルドがこと切れると、「恐ろしい夜よ!」との叫びとともに幕が下りる。

アメーリア(リッカルドに向かって)「私は彼のものです。あなたに命を捧げようというあの人のもの。・・・私はあなたに自分の血を捧げたあの人のものです。
リッカルド「私のいのちは・・・・・・、全世界は、ただひと言のために・・・・・・
アメーリア「憐れみ深い天よ!
リッカルド「愛しているといって・・・・・・
アメーリア「行ってください、リッカルド様!
リッカルド「ただひと言・・・・・・
アメーリア「それでは、あなたを愛しています。」(p51~52)

リッカルド(レナートとアメーリアをイギリスに赴任させる辞令に)「ああ、私は自分の犠牲の上に署名してしまった。ああ私の光である人よ、永遠にあなたを失うことは仕方がないとしても、あなたの思い出は、私の心の奥に秘められて、あなたがどんなところにいようとも、私の胸の高鳴りはあなたのもとに届くだろう。」(p85)

 なんとなく既視感を覚えてしまう三角関係の物語だが、これは、「それから」の逆のストーリーだと考えると腑に落ちる。
 つまり、リッカルド=長井 代助、レナート=平岡 常次郎、アメーリア=平岡 三千代 と置き換えた上で、「仮面舞踏会」においては、相思相愛の仲であるにも関わらず、リッカルド(=長井 代助)はアメーリアのことをあきらめ、自ら身を引くという風にみるわけである。
 そうすると、リッカルドは、いわば”勝負に打って出る”前の優柔不断な長井 代助と言えるから、「仮面舞踏会」は、「それから」ではなく、「それまで」のストーリーだということになるだろう。
 もっとも、両者は設定が決定的に違う。
 一番大きいのは、ライバル関係にある二人の男の関係である。
 「それから」においては、二人は「友」であるが、「仮面舞踏会」においては「主人と部下」となっている。
 後者においては、「主人と部下が一人の女を巡って争う」ということになると、主従関係が崩れてしまう。
 かといって、「主人が、部下の妻を、部下の頭越しに押さえてしまう」というのは最悪の筋書きである。
 これだと、リッカルド-レナート、レナート-アメーリアという「二重分節関係」が破壊されてしまうからである。

 「凡そ<分節>の、特に<二重分節>の、生命線は、A-B-bにおいてAがbを押さえてしまわないことである。これがA-B間の<二重分節>の試金石になる。Bはbを押さえられるとAに屈服するか、自ら存在を抹消する(potlatch)しかない。枝分節の定義である。」(p310)
 
 なので、正当な筋書きとして考えられるのは、「アメーリアがレナートに離婚を申し入れる」といったところだろう(コジマ・ワーグナーがこれに近いか?)。
 何しろ、台本を素直に読む限り、アメーリアが本当に愛しているのはリッカルドなのだから。
 もっとも、これだとオペラではなく、離婚訴訟の物語になってしまうかもしれない。

 
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音楽による催眠と覚醒

2023年04月01日 06時30分00秒 | Weblog

 ピーター・ライト版と同じく4幕構成。
 だが、「ローエングリンからトリスタンとイゾルデへ」では終わらず、さらに、「オルフェオとエウリディーチェ」が続いている。
 つまり、悲劇の後のハッピー・エンドとなっている。
 さて、隣に座っていたマダムたちが、こんな会話をしていた。

A「私、すっかり寝てしまって、大事な場面を全部見逃したわ。オデットの登場とか、ジークフリートとのパ・ド・ドゥとか
B「私もそうよ。こうしてバレエを観ていると、幸せ過ぎて眠くなっちゃうのよね

 特等席に座っている人たちが、長時間眠っているというのは、オペラでも歌舞伎でもよくあるとだ。
 私見では、これには音楽の催眠効果が強く作用していると思う。
 例えば、2幕のパ・ド・ドゥ(アダージョ)などのヴァイオリンの音には、相当な催眠効果があるはずである。
 だが、この逆で、覚醒効果を有する音楽もある。

『Resonance』
【振付】福田圭吾
【音楽】ミカエル・カールソン

 私は、ミカエル・カールソンの曲(ピアノ演奏)ですっかり覚醒してしまい、公演終了直後は、ほぼこの音楽しか記憶に残らない状態であった。
 入手しようと思ったのだが、プログラムには曲目が書かれていない(ちゃんと書いて欲しいものである。)。
 調べたところ、どうやら「Rooms」(振付:アレクサンダー・エクマン)に使用されている音楽のようである。
 だが、DVDもCDもストリーミングも見つからなかった。
 「喉から手が出るほど欲しい」というのは、こういう状態を言うのだろう。
 
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