Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

本当は怖いドロセルマイアー

2024年01月11日 06時30分00秒 | Weblog
 「2017年に初演された本作は、ウエイン・イーグリングによる華麗でスピーディーな振付、上品で華やかな美術や衣裳によって、古典名作の新境地を開いたと高く評価された人気演目です。「少女クララの夢」をテーマに、恋心を抱いた青年との冒険を通して大人への入り口を踏み入れていくクララの成長を描いています。

 新国立劇場は、芸術監督の発案により、年末年始に「くるみ割り人形」を上演するようになったので、1月になっても「くるみ割り人形」を鑑賞することが出来る。
 これは有難いことである。
 というのは、12月に各バレエ団がこぞってこの演目を上演するため、スケジュールのバッティングが多発してしまうからである。
 さて、「くるみ割り人形」のテーマが、「少女の通過儀礼」であることは疑いを容れない。
 これは、身もふたもない話だが、くるみ割り人形とくるみが象徴するものが何であるかを考えれば、すぐに分かることである(通過儀礼の作送り)。
 次に問題となるのは、ドロッセルマイヤーの位置づけである。
 東京バレエ団(斎藤友佳理 版)は、マーシャとくるみ割り人形/王子のパ・ド・ドゥをドロッセルマイヤーが見守るという振付だが、新国立劇場(イーグリング版)は、クララとくるみ割り人形/王子の二人にドロッセルマイヤーも加わってパ・ド・トロワを踊るという振付になっている。
 これが大きなヒントだと思うのだが、王子=ドロッセルマイヤーの甥という設定を、文字通りに受け取ることは出来ないと思われる。
 ドロッセルマイヤーの位置づけを正確に理解するためには、原作をよく読む必要がある。

 「上級裁判所顧問官のドロセルマイアーさんというのは、見た目にはけっして格好のいいひとではなくて、ちびで痩せっぽち、顔は皺だらけ、右目には目玉のかわりに大きな黒い眼帯、髪の毛だって一本もない、だからとてもきれいな白い鬘をつけている。ガラス繊維でできている精巧な模造品だけどね。
 そもそも彼自身が手さきのとても器用なひとで、時計のことなど、なんでもよく知っていて、自分で作ることだってできるんだ。だからシュタールバウム家のりっぱな時計のどれかが病気になって、歌がうたえなくなったりすると、ドロセルマイアーさんのお出ましとなる。」(p10)

 このくだりが示唆しているのは、ドロセルマイアー(ドロッセルマイヤー)は、「時間を操ることが出来る人物」ということである。
 なので、読む者は、彼は現在・過去・未来を自由に行き来することが出来るのではないかと想像する。
 そうすると、マリー(バレエではマーシャ/クララ)は、「夢」の中で、「未来」(大人になった将来の自分)ではなく、実は、少女のままで「過去」(若かりし頃のドロセルマイアーがいる世界)にタイムトリップしているという解釈も成り立つわけである。
  また、次のくだりからは、「くるみ割り人形」=「ドロセルマイアーおじさんの分身」という解釈が成り立つ。

 「「ねえ、おじさんがあたしのくるみ割りさんみたいに、きちんとおめかしして、こんなぴかぴかのブーツをはいたとしても、これほどすてきに見えるかしらね!」
 どうしてなのかマリーにはわからなかったけれど、パパとママは大きな声で笑いころげ、上級裁判所顧問官は鼻をぽうっと赤く染めただけで、さっきみたいに陽気な笑い声はたてなかった。きっとなにか、とくべつなわけがあるんだろうね。」(p27~28)

 さらに、以下のくだりによって、「若いドロセルマイアーさん」=「くるみ割り人形」という等式が成り立つことも明らかとなる。

 「「でも、ママ」とマリーが口をはさむ。「あたしはよく知っているのよ、この小さなくるみ割り人形はニュルンベルクの若いドロセルマイアーさんで、ドロセルマイアーさんの甥だってことを。」(p129)

 原作には4人の「ドロセルマイアー」が出て来るようだが、上に引用したくだりを総合すると、「ドロセルマイアーおじさん」と「若いドロセルマイアーさん」(=「くるみ割り人形」)は同一人物であって、タイムトリップしているだけなのではないか、という見方が出来る。
 なるほど。
 「少女の通過儀礼」において、老人/若者の両方を兼ねる男性が登場し、少女を導く役目を演じるというわけか・・・。
 ・・・ここで私は、「ダフニスとクロエ」を思い出した。
 「ダフニスとクロエ」では、リュカイニオンという好色な中年女性が、少年ダフニスに愛の手ほどきを行う。
 これと同様のことを、ドロセルマイアーは、マリー(マーシャ/クララ)に対して試みているのではないか、という解釈が出来そうなのだ。
 ちなみに、原作では、バレエにおけるような「成長して大人になったマリー」は出て来ず、マリーは少女(「やっと7歳になったばかり」(p9 ))のままである。
 夢の中で、マリーの目の前に若返ったドロセルマイアーが現れたのだとしたら・・・。
 ・・・なんと恐ろしいドロセルマイアー!
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特別な日(10)

2024年01月10日 06時30分00秒 | Weblog
♬~毎日がスペシャル 毎日がスペシャル Everyday is a special day~

 私のiPodから流れてきたのは、竹内まりや氏の「毎日がスペシャル」だった。
 一見すると、「『特別な日』を作るな!」という私の新年の抱負(暫定版)に真っ向から反しているように思える。
 だが、歌詞を読むと、それは間違いであることが分かる。

 「・・・この曲が誕生したきっかけは、生きる事を考えさせられる深いものです。
 テレビ番組で重い病に冒された患者が「目覚めて息をしているというだけで、とても幸せだと思う」といった言葉を聞いたことなのだそうです。
それを聞いた竹内まりやは、自分が「健康であるだけで幸せなのだから、もっと頑張ろう」というメッセージソングの制作を目指したと言われています。
そんな深い想いを彼女なりの感性で表現したのが「毎日がスペシャル」なのです。
 「生きていく事は、「心の持ち方」次第なのだと思います。「毎日がスペシャル」なのは、優等生・人気者・ナイスなbodyの方だけではありません。
自分自身が毎日を特別な日だという気持ちで過ごせるかどうかなのです。
 生きていれば、みんな少しずつ年齢を重ねていきます。そして、いつかは終わりが来るのです。
 そう考えると生きているという事自体が奇跡のように思えまないでしょうか。そして、「何でもない一日」の大切さをとても感じますよね。
誕生日や記念日などだけが特別なのではありません。「毎日がスペシャル」なのです。

 なるほど。
 「毎日がスペシャル」ということは、裏返せば、特定の一日だけが「特別の日」ではないということ。
 したがって、太陽の運行を規準として時間を「日」に区分し、そのうちの特定の1日(例えば1月1日)を「特別な日」として祝う思考は克服されたことになるだろう。
 また、ここでは主語が非常に重要で、まりや氏の言わんとするところは、「毎日の『私』がスペシャル」ということなのだろう。
 ヘラクレイトスの「太陽は日々に新らし」の主語は「太陽」であり、これが太陽の神格化につながっているのだが、主語を「私」にすれば、この思考を避けることが出来るのである。
 さらに、歌詞を見ていくと、「アワビ」ではなくて「シナモンロール」、「ヘビ」ではなくて「彼」(但し若干ヘビのように陰湿?)といった具合に、ヒエロファニー的な存在は一切排除されているし、「占いラッキーじゃなくてもね」、「人気者じゃなくってもね」のくだりでは、あらゆる「聖」化や「アイドル」化を否定するかのようである(実際、彼女は若いうちに「アイドル」を引退している。)。
 つまり、まりや氏は、「毎日がスペシャル」という歌によって、太陽の「脱聖化」を狙っているのであり、彼女はアリストテレスの同志なのである。
 もともと、「太陽をアイドル化するな!」「「特別な日」をつくるな!」という風に、抱負やスローガンを否定形にするのは宜しくないことだったようだ。
 英語圏の人たちは、小さいころから、「否定形で文章を作ってはいけません!」と大人たちから厳しく指導される。
 否定形の表現は、人間をネガティヴな思考・行動へと導くからである。
 私の年頭の抱負も、やはり肯定形の表現にすべきだった。
 ・・・という訳で、私は、2024年の私の抱負を、
誰もがみな『アイドル』!
毎日が「特別な日」!
にしようかと思うのである。
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特別な日(9)

2024年01月09日 06時30分00秒 | Weblog
(昨日の続き)
 「ギリシャ・ローマ世界では、「知性の火」と同視された太陽は、ついには宇宙の原理になってしまう。そして、いくつかの天空神(イ・ホ、ブラフマン、など)がたどった過程と同じ過程を経て、太陽はヒエロファニーから観念に変化してしまう。すでにヘラクレイトスでさえ、「太陽は日々に新らし」といっていた。プラトンにとって太陽は、目に見えるものの世界に顕現している「善」のかたちなのであり、オルフェウス派にとって、太陽は世界の知性である。・・・
 古代のたそがれ時における、この最後の太陽頌は、けっして意味のないことではない。この何度も重ね書きされた羊皮紙は、新たに書かれた文字の下に、真正の、古代的なヒエロファニーの痕跡を判読させてくれるのである。そのいくつかをここに挙げるなら、太陽が神に従属していること、これは太陽化した造物主という原始の神話を思い起こさせる。また太陽が豊饒や植物のドラマなどと関係していること、など。とはいえ、概してここには、かつて太陽のヒエロファニーが意味したものの、色あせたイメージ、合理主義によってますます色あせてきたイメージしか、もはやみいだせないのである。「選ばれた者」の中で一番最後にやってきた者、哲学者は、こうして、宇宙のもっとも強力なヒエロファニーのひとつを脱聖化するのに、成功したのであった。」(p241~242)

 何とも味わい深い文章で、ちょっと感動してしまう。
 俗界に降臨した太陽神は、大和王権、ハイダ族、ヘラクレイトス、プラトン、オルフェウス派など、ありとあらゆる人たちからさんざんもてはやされた挙句、再び「聖化」されて「観念」の世界に舞い戻ってしまい、結局は無内容なものと化してしまうのである。
 まるで、歌・ダンス・ドラマ・バラエティなど殆どあらゆるジャンルで活躍しながら、ふとしたことで社長の逆鱗に触れて解散→独立の道をたどった元国民的アイドルグループのようではないか!
 あるいは、サラリーマンであれば一度は目にするであろう、「超優秀な社員が、各部署から引っ張りだこ状態となり、種々雑多な仕事を任せられるうちに、本人の個性や才能が劣化して、しまいにはポンコツ社員となる現象」を想起させる。
 だが、最後の「選ばれた者」=哲学者の中には、こうした「太陽アンセム」の哀れな末路を初めから予見していた人がいた。
 エリアーデによれば、その人物はアリストテレスである。
 アリストテレスは、太陽ヒエロファニーの「全体性」(ここでは、あらゆるものに顕現しうるといったくらいの意味)に対する人間の感受性を鈍らせようとする哲学者の嚆矢だった。
 この点で、彼は師であったプラトンとは別の道を選んだと言える。
 そして、エリアーデの言いぶりからすると、アリストテレスらの活動は成功したようだ。
 確かに、太陽を何にでも顕現できるオールマイティーな存在≒神とみなすからこそ、レシプロシテ原理が発動して”贈与”が強制され、「夜」=「闇」=「ヘビ」の側面をも抱え込んでしまうことになり、一部の「選ばれた者」が特権を握るようになってしまうのである。
 だから、太陽を「アイドル」化してはいけないのである。
 それだけでなく、太陽の運行を規準として時間を「日」に区分し、そのうちの特定の1日(例えば1月1日)を「特別な日」として祝うという行為も、実は、太陽の神格化につながっているのではないか?
 こういう考え方のもと、私は、今年の抱負は、
太陽をアイドル化するな!
『特別な日』をつくるな!
にしようか考えた。
 そして、元旦も、「特別な日」にしない、つまり特別なことをしないことにして、よく晴れたいつもの休日のように、近くの公園にジョギングに出かけることにした。
 すると、イヤホンを装着してiPodで音楽を再生したとたん、これまでの私の思考をぶち壊すような出来事が起こったのである。
 
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特別な日(8)

2024年01月08日 06時30分00秒 | Weblog
 おおざっぱに言うと、太陽神崇拝を行おうとすると、「アワビだけでなく、もれなくヘビも付いてきます」という、「抱き合わせ商法」にはまってしまうのである。
 爬虫類が大好きな「鰐さん」(ちゃんねる鰐)のような人であれば、それも大歓迎だろうが、女性や子供などは、おそらくしり込みしてしまいそうな信仰である。
 「お不動さまは大日如来の成り代わった御姿です(人々の一切の煩悩と迷いを断ち、すべての人を救うお不動さま)」というのとは、話がちょっと違うのである。
 さて、太陽のヒエロファニーについては、大きく2つの問題があると思う。
 一つは、モース先生が説いたような、”贈与”の強制の問題である。
 太陽神に限らず、「聖」なる/不死の存在を観念してしまうと、これが人間に”贈与”(通常は生贄)を求めてくる。
 しかも、これを拒否すると、災難が降りかかってしまうのである。
 
ポリュドロスの亡霊「だが今は、いとしい母上ヘカベ殿の上を、身体を抜け出て、飛んでいる。お痛わしい母上がトロイアからこのケルネソスの地においであってよりもう三日目、その間わたしは空に漂っている。アカイア人はみんな、船があるのに動かず、このトラキアの地の浜辺に坐っている。ペレウスが子アキレウスが塚より現れ出でて、海を渡る櫂を家路にむけようとするギリシアの軍勢をみんな押し止めたからだ。姉上ポリュセクネを自分の塚への好ましいいけにえ、償いとしてうけることを求めているのだ。これを彼は得るであろう、彼の友は、この贈り物を拒みはせぬ。定めは今日のこの日死へと姉上を導くであろう。・・・」(p348)

 死んだアキレウスは、(当時のギリシャ人がそう考えていたように)地中で生活を続けており、「いけにえ」としてポリュセクネを所望した。
 対して、これを友は拒むことが出来ない。
 同様に、伊勢の人たちは常にアワビをアマテラスに奉納しなければならず、皇族のうち独身の女性:「斎宮」は(ヘビ=男性神としての)アマテラスに奉仕しなければならないのである。
 このように、”贈与”の強制は、「聖」なる/不死の存在通有の問題である。
 これに対し、エリアーデは、太陽のヒエロファニー特有の問題を指摘している。
 太陽のヒエロファニーは、「選ばれた」少数者に特権をもたらし、これが多大な弊害を生むというのである。

 「以上、簡潔に述べてきたこの太陽のヒエロファニーの形態論を、全般的概括でしめくくるつもりはない。そうしても結局は、これまでにわれわれが強調してきた次のような主要なテーマを、もう一度むしかえすことになってしまうであろうから。そのテーマとは、至高存在者の太陽化、太陽と至上権・加入儀礼・選ばれた者との関連、太陽のアンビヴァレンス、太陽と死者や豊饒との関係、などである。しかし、君主であれ、加入儀礼を受けた者であれ、あるいは英雄や哲学者であれ、選ばれた者と太陽神学との類縁性を強調しておくほうがよいだろう。太陽のヒエロファアニーは、他の宇宙的ヒエロファニーと違って、ある閉鎖的な集団や、「選ばれた」少数者の特権となりがちである。その結果、合理化の過程を促したり、早めたりするようになる。・・・」(p240)
 
 
 
 
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特別な日(7)

2024年01月07日 06時30分00秒 | Weblog
 (神としての)太陽→アワビという風に、「聖」なるものが「俗」なるものに姿を変えて現れること(又は姿そのもの)を、ミルチャ・エリアーデは、「ヒエロファニー(Hierophany)」と呼んだ(私が勝手に使っている「第2の animus」という言葉(不健全な自我の拡張(7))も、これに近いかもしれない。)。
 造語なので訳しづらいが、「聖なるものの顕現(物)」とでも訳しておくか、なじみのある「化身」という近似語で済ませるか、ということでよいと思う。
 さて、いにしえの三重県では、海洋生物であるアワビが太陽神のヒエロファニーとされていたわけだが、お隣の奈良県ではどうだったのだろうか?
 結論から言えば、大和王権が樹立されたいにしえの奈良県・三輪山の麓における太陽神のヒエロファニーは、何とヘビだった!
 
 「・・・『日本書紀』にみられるアマテラスオオミカミは、三回ほどカミの観念のうえで変化しているからです。はじめ”太陽そのもの”であり、つぎに”太陽神をまつる女”となり、それから”天皇家の祖先神”にと転々して完成しているのです。・・・
 太陽のたましい=日のカミは、太陽の妻=ヒルメ=棚機つ女を訪問するときは蛇の姿となってやってくると思われたのでした。」(p14~15)
 「しかも、この日祀部は、敏達天皇のすまいのある他田におかれていました。他田は、いまの奈良県桜井の町のすぐ北側(奈良盆地の東南端)のところで、有名な神体山の大三輪神社(大神神社)のあるところです。大三輪のカミは蛇で、夜な夜な女性のもとにかよっていたことは古典にしるされていて、名高いはなしです。・・・
 このような皇大神宮の前身の信仰の形は、三輪山の信仰の形でした。この三輪山の場所のあたりに、日本古典がしるしているアマテラスオオミカミを最初にまつった笠縫邑があったのでした。」(p62~63)

 「森羅万象における”超自然”として、生き物も驚異の対象でした。列島の山野に棲息する蛇は敏捷さ、獰猛さのみならず、脱皮をくり返す強靭な生命力ゆえに縄文時代から畏れられ、崇められてきました。・・・
 神社によく見られるしめ縄は、雌雄の蛇が交尾をしている姿を模したものです。また神前にお供えする餅は、蛇がトグロを巻く姿を象っています。実際、トグロを巻いた太い縄がしめ縄とともに神前を飾ることもあります。」(p31~32)

 脱皮を繰り返して成長するところから「死と再生」の象徴とされるヘビは、太陽のヒエロファニーとみなされたのである。
 これは、社会人類学的に見れば、驚くにはあたいしない。
 太陽も、日々「昼(光)と夜(闇)」、すなわち「死と再生」を作り出しているからである。

 「しかしすでに『リグ・ヴェーダ』において、とくにブラーフマナ書の思弁において、太陽はその暗い様相においても見られている。『リグ・ヴェーダ』は太陽の様相の一方を「光り輝く」と呼び、他方を「黒い」(つまり目に見えない)と呼んでいる。・・・
 夜と昼(nakutoshasa=両数の女性名詞)とは姉妹である。同様に、神々と悪魔「阿修羅」(asura)とは兄弟である。・・・太陽もまたこの神の二元性の中に入り、同じように、いくつかの神話の中で、蛇の様相(換言すれば、「暗い」、「区別できない」)をあらわしている。これは太陽の青天白日的様相の正反対である。」(p232~233)

 ヘビを太陽のヒエロファニーととらえる点で、日本神話はインド神話との共通性を持っている。
 だが、日本神話の独自性は、蛇を、神宮のご神体(の一つ)である”神鏡”としてまでも崇めている(らしい)ところにあるのではないだろうか?
 何しろ、「カガミ」の語源は、「かが」(ヘビ)の「め」(目)だというのだから。

 

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特別な日(6)

2024年01月06日 06時30分00秒 | Weblog
 「アマテラス=太陽霊の人格化」という今谷・筑紫先生の説について補足すると、ジェームズ・フレイザーによれば、「自然神としての太陽」(太陽霊)に対する崇拝は、アフリカ、オーストラリア、メラネシア、ポリネシア、ミクロネシアにおいて終始一貫して存続しているらしい(The Worship of Nature)。
 対して、モース先生は、カナダやアラスカに居住するハイダ族の「財産女」(Property Women)に関する記述の中で、これがアジア由来であることを示唆した上でこう指摘する。

 「これらの貴重品すべては呪術的性格を持つ寡婦産(亡父から継承する財産)である。それらを与えた者と受け取った物とが同一視され、またそれらの護符をクランに与えた精霊の先祖である英雄とも同一視されている。いずれにせよ、あらゆる部族において貴重品はすべて霊的な起源に由来し、霊的な性格を備えている。・・・
 この貴重な物や富のしるしはいずれもトロブリアンド諸島におけると同じように独自の個性、名称、性質、力を備えている。大きいアワビの貝殻、これで覆った楯、これで飾った帯や毛布に、人の顔、目、動物の顔、人物などを織り込み、刺繍した紋章入りの毛布などすべてが生命のある存在である。」(p111~112)
 (注225)「アワビの貝殻は、現在銅貨が用いられているように、かつては貨幣の価値を持っていたに違いないと思われる。・・・
 マセットのハイダ族の神話においては、「創造主であるカラス」が妻に与える太陽はアワビの貝殻である。」(p174~175)

 モース先生の本は、注を含め隅々まで原文で読むべきなのだが、上に引用したくだりはまさにそのことを教えてくれる。
 「太陽霊の人格化」の前段階あるいはそのヴァリエーションとして、太陽霊が生き物として姿を現すことがあるようだ。
 ハイダ族においては、太陽霊は、アワビの貝殻に「乗り移る」「宿る」と考えられていたようである。
 このように、ハイダ族では、アワビの「貝殻」が太陽霊のいわば化身とされたのだが、これに対し、北太平洋の対岸=伊勢では、アワビの「肉」が、太陽神(人格化された/トーテムとしての太陽)の食べ物(好物)とされた。

 「倭姫命(やまとひめのみこと)は大和の国から天照大神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする最適地を求めて旅をし、伊勢の五十鈴川のほとりに御鎮座を終えられました。船で志摩地方を巡幸された国崎の鎧崎(よろいざき)で、海女が潜っているのをご覧になられました。  
 そのとき、「その貝は何というのか」とお聞きになり、海女のお弁が「これはアワビと申します。大層おいしい貝です」と申し上げると、倭姫命はアワビをお召し上がりになりました。倭姫命はいたく感動し、「この貝を毎年、伊勢神宮に献納してほしい」と言われました。 お弁は「生のままでは腐るので薄く切り乾燥させて貯蔵します」と申し上げると、それも献納するように言われました。これが「ノシアワビ」の起源で、国崎の海女と漁師は、今でも 6 月、10月、12月の 3 回、ノシアワビを伊勢神宮に献納しています。
 
 ハイダ族神話と日本神話をミックスしておおざっぱにまとめると、「アワビは太陽が恵み与える贈り物であると同時に太陽の大好物でもある」というお話になる。
 まあ、これで神宮が伊勢にある理由が分かるというものだ。
 さて、多くの人は、「太陽霊がアワビに乗り移る、あるいは、太陽神がアワビを食べるくらいなら、特に問題ないではないか?」と考えるだろう。
 ところが、太陽霊の人格化(というか生き物化)は、アワビだけにはとどまらないのである。

 
 
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特別な日(5)

2024年01月05日 06時30分00秒 | Weblog
 「『日本書紀』の敏達(びだつ)天皇六年(577)の条に「詔して日祀部(ひまつりべ)を置いた」という記事がみえます。この記事の意味と信頼度は、いままでわからないものの一つでしたが、今谷文雄氏が「古代太陽神崇拝に関して」(日本歴史」131号)という論文で、その説明をされました。この論文は、短いけれども重大な内容をもっています。この論文があきらかにしたことは、朝廷に日祀部を置いた敏達六年には、天皇家は太陽そのものを礼拝していた、つまり日まつりを行なっていたのであって、このころにはまだ天皇家の先祖伸としてのアマテラスオオミカミはできていなかった、という事実です。
 天皇家は、いつのころからかトーテムとしての太陽をまつるようになっていた。しかし、そのような天つカミ=日(太陽)は、どこまでも自然神であって、人格化されて天皇の始祖とみなされるところまではいっていない、というのです。これは、賛成せざるをえないすぐれた研究です。」(p61~62)

 なるほど。
 天照大神のモデルは、太陽なのだった。
 もちろん、(自然神としての)太陽を崇拝する思考は、古今東西至る所でみられる。

"--- Fragt man mich, ob es in meiner Natur sei, die Sonne zu verehren, so sage ich abermals: durchaus! Denn sie ist gleichfalls eine Offenbarung des Höchsten, und zwar die mächtigste, die uns Erdenkingstern wahrzunehmen vergönnt ist. Ich anbete in ihr das Licht und die zeugende Kraft Gottes, wodurch allein wir leben, weben und sind, und alle Pflanzen und Tiere mit uns."
ーまたもし私の本性の中に太陽を崇拝する気持ちがあるかと問う人があるならば、私は再び、無論だ!と答える。何故なら、太陽は同じように最高者の啓示であり、しかもわれわれ人間に認めることが許されている最も強力な啓示であるからだ。私は太陽に現われる神の光と神の生産力とを崇拝する。われわれは専らそのお蔭によって生き、働きかつ存在し、またすべての動植物もわれわれと共にそうしているのだ。)(p134~135)

  ニーチェ先生が「人間的な、あまりに人間的な」の中で「ドイツ語の最高の本」と賞賛した「ゲーテとの対話」からの抜粋。
 ゲーテは、何と「太陽崇拝」の信仰告白を行っていた!
(つくづく第三書房の廃業は残念なことだが、この「対訳双書」シリーズは出版権譲渡の対象から外れてしまったのだろうか(第三書房の書籍について)、古本市場では1万円を超える値段が付いている。)
 「我が国は『日いづる国』、国旗も『日の丸』、天皇陛下ももともとはお日様を崇拝しておられたし、ゲーテ先生もお墨付きを与えて下さっている。それでは、来年からは、年末年始休暇を『太陽復活ウィーク』と称して、盛大に”日本版『サートゥルナ―リア祭』を祝いましょう!
と行きたいところである。
 だが、そこに問題はないだろうか?
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特別な日(4)

2024年01月04日 06時30分00秒 | Weblog
 「現在の暦が使用されるようになったのは明治6年1月1日から。 この日はそれまで使用されていた天保暦では、明治5年12月3日に当たります。 ですから、明治5年の12月は1日と2日の2日間しかありませんでした。
 この改暦が正式に決定されたのは、明治5年11月9日のこと。「太政官布告(第337号)」という法律によってです。 法律の公布から、実際の改暦までの期間が1ヶ月もないという慌ただしさです。年末ですので、既に翌年の暦は印刷されていましたが、この法律によって既に印刷されていた暦は、紙屑になってしまいました。
 明治の改暦は突然で、十分な検討もされないまま施行されましたので、多くの誤りや問題点をのこしていました。 そこまでして明治新政府が改暦を行った理由には、深刻な財政問題があったといわれています。 というのは、従来の暦では翌明治6年は閏年で、閏月が入るため1年が13ヶ月あることになっていました。既に役人の給与を年棒制から月給制に改めた後なので、明治6年には13回、給与を支払わなければなりません。これは、財政難であった明治新政府にとって悩みの種でした。
 その上、太陽暦に切り替えることによって、明治5年の12月は2日しかありませんので、 この月の月給は支払わないこととすれば、明治5年分の給与も1月分減らせる、正に一石二鳥の改暦だったわけです。

 天保暦から太陽暦への改暦は、明治政府による暴挙だったようである。
 もっとも、政府から「来月から暦が変わります」と言われて、国民がこれに素直に従ったとは考えにくい。
 私の想像では、多くの人たちは、これまで通りの旧暦に則ったライフスタイルを維持すべく、1月1日はあくまで「春の始まり」であると強弁したのではないだろうか?
 ただ、そうなると、日程的には「春の始まり」よりもサートゥルナ―リア祭、つまり「太陽の復活」の方に近い。
 ちなみに、日本には、旧暦(太陰暦)の1月1日に「太陽の復活」を祝う祭典を開催している島がある。

 「伊勢湾の入口に神島という孤島があります。もともと志摩国に属しているので、いまは鳥羽市の中に含まれていますが、どちらかというと志摩半島よりは愛知県の渥美半島に近い島です。ここは孤島ですので、古い風習がたくさん残されています。
 この島では毎年旧暦正月の元旦、まだくらいうちに東の空を仰ぎながら行なう太陽霊の復活祭があります。それはゲーター祭とよばれるもので、グミの木を編んでつくった直径6尺の輪(白布または白紙を巻いてある)を空高くさしあげる行事なのです。・・・
 このゲーター祭は、あきらかに太陽霊の復活を祈るまつりです。」(p185~186)。

 「鳥羽市の離島・神島で9日、「子どもゲーター祭り」が2年ぶりに行われた。地元の神島小・中学校の児童生徒16人と保護者や島民らが、長さ約4メートルの女竹(めだけ)を持ち、太陽に見立てた直径1メートル余の白い輪「アワ」を何度も何度も突き上げた。やり遂げた児童らは「重かった」と言いながらも笑顔を見せていた。

 旧暦の正月というのがちょっと惜しいところだが、これを太陽暦の1月1日に行えば、日本版「サートゥルナ―リア祭」(但し、政治的・社会的儀礼としての性格は持たない)となるところである。
 ・・・いやいや、冷静に考えてみれば、元旦には多くの人が「初日の出」を拝むわけだし、「鏡餅」の1つは太陽を表しているそうなので(鏡もちの由来と美味しく食べるコツ)、年末年始の休暇を、やや強引に「太陽復活ウィーク」と呼んでも良いような気がしてきた。


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特別な日(3)

2024年01月03日 06時30分00秒 | Weblog
 だが、1月1日が「特別な日」ではないかと言えば、必ずしもそうとは言い切れない
 古代ローマでも、この日に近い期間(12月17日から12月23日まで)に、「サートゥルナーリア祭」が盛大に開催されていた。
 ちなみに、これはクリスマスの起源とも言われているそうだ(大祭「サートゥルナーリア祭」はクリスマスの原型か)。
 サートゥルナ―リア祭が、農耕儀礼の側面を有する点については争いがない。
 冬至の前後に行われることから分かる通り、「太陽の復活」がテーマであると見てよい。
 だが、ローマ人のことゆえ、この祭りが単に農耕儀礼としてのみ機能していたわけではない。
 
"L'etat ancien est attesté a contrario, dans les fêtes de type Saturnales qui signifient le monde renversé --- celui où les paysans (serfs) ont accès à la ville."(p272)
古い状態は、これとは逆に、サートゥルナ―リア祭のようなタイプの祭りに示されている。これは、逆立ちした世界を意味しており、そこにおいて、農民たち(奴隷たち)は、街に立ち入ることが出来るのである。
(注 ここの"ville"は、”cité"(都市)の方がよいように思う。)

 サートゥルナ―リア祭の期間中、「都市と領域」、「主人と農民(奴隷)」という対立関係はいったん解消され(更には逆転してしまい)、本村先生いわく「無礼講」の状態となっていたようである。
 つまり、政治的・社会的関係が、一時的とはいえリセットされたのである。
 したがって、この祭りが、農耕儀礼としての意義だけではなく、政治的・社会的儀礼としての意義を併せ持っていたことは明らかだろう。
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特別な日(2)

2024年01月02日 06時30分00秒 | Weblog
 現在世界中で使われている暦は、古代ローマの暦(ローマ暦)が基となっている。
 古代ローマにおける暦の政治的・社会的な機能は、昨日引用したとおり、① 政治・軍事体制のリセット(とりわけコンスルの軍指揮権に対する制約)、② 協働(農耕)スケジュールの確定、だった。
 この考え方によれば、年の始まりは現在の3月1日とするのが合理的であり、それゆえこの月は「軍神マルスの月」とされた。

 「紀元前8世紀頃のローマで使われていたとされる「ロムルス暦 」では、月は10しかなく、農業をしない冬の期間には月日が割り振られていませんでした。いまの3月から12月にあたる月は、ロムルス暦の時代から存在していますが、いまの1月と2月にあたる月は、当時はまだありませんでした。
 古代ローマの王、ヌマ・ポンピリウスが制定したとされる「ヌマ暦 」では、それまで使われていた10の月にIanuarius(英語のJanuary)とFebruarius(英語のFebruary)を追加しました。当時のFebruariusは現在のような「2番目の月」ではなく、一年の最後の月とされていました。

 このように、ローマ暦でもヌマ暦でも、1月1日は一年の初めの日ではなく、「特別な日」ではなかった。
 一年の始まり=元日は3月1日であり、この日には「マトロナリア祭」、すなわち”女性の女神”=ジュノーを祝う祭典が催されたのである。

 「ローマ建国時の新年(旧暦)は、春からの農作業が始まる3月がスタート月で、3月1日にはジュノーに捧げるマトロナリア祭から始まります。この日は、既婚女性は主人から贈物を受けとり夫人は使用人に食事を振る舞ったとの言い伝えがあります。3月は農耕と軍神マルスに捧げる月のMARZO(英語March)、4月は花が開く美しい季節の始まりAperioに由来するAPRILE(Aphrodite:アフロディーテに捧げる月に起因するともされる)、5月は繫殖と成長を司る女神マイアに由来するMAGGIO。
 3月から5月までは、農耕期で農作業があるために結婚の儀式は禁じられていましたが、6月のGIUGNO(Juniusから英語のJuneに派生した言葉の語源)は乾期に入る季節で農作業もひと段落するので、結婚の儀式が許されジュノーに捧げる月とされました。当時のローマ人は占いを信じており、6月でも20日頃から月末までの間に結婚の儀式を行うことが最適としていたようです。この風習は、現在もジューン・ブライドとして6月に結婚をすると女性は女神ジュノーに守られて幸福な生活を過ごせるとの言い伝えが引継がれています。
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