Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

「周辺」からの逆襲(7)

2024年01月21日 06時30分00秒 | Weblog
 「希望の光」は、世話物の演目にも見ることが出来る。
 私見では、その代表が「与話情浮名横櫛」(切られ与三)である。 
 「新春浅草歌舞伎」第一部の目玉であり、これぞ新春にふさわしい演目である。
 ちなみに、私が最初にこの演目に出会ったのは小学生の頃であった。
 親戚の運動会に飛び入り参加したところ、「Disco Otomisan ディスコお富さん」の音楽に合わせて参加者が自由にダンスするという種目があり、この曲が強烈な印象を残した。
 当時は春日八郎さんがときどきNHKの懐メロ番組に出て来て、「お富さん」を歌っており、歌詞の意味はよく分からないものの、歌舞伎が元ネタであることを知った。
 もっとも、実際に歌舞伎座で全幕を観たのは、三十代になってからだった。
 つまり、私がたどってきたのは、「Disco Otomisan」→ 春日八郎の「お富さん」→歌舞伎の「与話情浮名横櫛」という、まるで逆転したルートだったのである(もっとも、こういう入り方で歌舞伎にハマる人も多いと思う。)。
 さて、この演目が実話を素材にしていることはよく知られている。
 テーマは、「お富(=妾)の請出し」であり、拡張解釈すれば「自由と独立」である。
 ということは、「自由と独立」のパイオニアである古代ギリシャ・アテネに手がかりがあるということになる。
 それは、ヘタイラ(遊女)の解放をテーマとするプラウトゥスの喜劇である(傑作の欠点(7))。
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「周辺」からの逆襲(6)

2024年01月20日 06時30分00秒 | Weblog
 レシプロシテ原理が横溢する歌舞伎の世界が完全に絶望的かと言えば、必ずしもそうではない。
 ジャンルで言うと丸本物(義太夫狂言)や世話物の中に、わずかとはいえ希望の光が垣間見える。
 初台の「新春歌舞伎」のメインは、竹田出雲作「芦屋満大内鑑~葛の葉」である。

 「安倍保名の女房葛の葉は、とんぼを捕まえて遊びから帰ってきた幼ない童子に、「虫けらを殺してはいけない」とたしなめる。その家に信太の里から庄司夫婦が娘の葛の葉姫を伴い訪ねてきた。姫と保名は許嫁の間柄。庄司が外から家の中を覗くと、なんと娘と瓜二つの女が機を織っている。そこへ保名が帰宅して「はや葛の葉に逢われたか」というので、驚いた庄司は二人の葛の葉が居ると告げる。「これはどういうことだ」、保名は庄司親子を外の物置に隠して一人で家の中に入る。」 

 この物語も、出発点は、平安時代の芦屋道満と安倍保名の間における陰陽師の跡目争いであり、やはり「イエ」と「イエ」の間の抗争である。
 さて、保名の妻:「女房葛の葉」の正体は、なんと「人間以上に夫婦親子の情愛を大切にする」キツネだった。
 信太(しのだ)の森で保名に助けられたキツネは、保名と夫婦になり、子までもうけ、一家三人で保名の故郷:安倍野で暮らしていたのである。
 要するに、典型的な異類婚姻譚なのだが、ここにおけるテーマは、「イエ」と「イエ」との間の抗争という本来のメイン・テーマとはおよそ関係のない、「人間とキツネとの間の夫婦・母子の愛情」、さらには「生き物を慈しみその命を大切にする心」である。
 主人公は、人間に化けたキツネであり、物語の舞台は安倍野と信太である。
 つまり、(イエの当主としての)人間の男や(当時の首都であった)京都ではなく、異形と辺境(併せて「周辺」と呼んでおく)が前面に出てきているわけだ。
 ここでは、「イエ」と「イエ」、あるいは人間とキツネ(さらには生き物全般)との間の垣根を超越してしまうような、つまり京都の貴族の「イエ」にあっては絶対に出てこないであろう、強力なモメントが感じられる。
 そして、私は、ここ=「周辺」に一筋の「希望の光」を見出すのある。
 
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「周辺」からの逆襲(5)

2024年01月19日 06時30分00秒 | Weblog
 「「新春浅草歌舞伎」の最終日となる1月26日11:00開演回および15:00開演回が、歌舞伎オンデマンドにて生配信される。

 仕事帰りに弁当を持って幕見席で歌舞伎を観る人は多いと思うし、私もその一人だった。
 だが、夕方以降の仕事がちょくちょく入ったり、なんとか歌舞伎座に着いても弁当が売り切れだったり、近年はコロナ禍に見舞われたりして、すっかりその習慣がなくなってしまった。
 コロナ前は歌舞伎座前にたくさんの人が行列を成していたが、今では、わざわざ並んでチケットを買って4階の幕見席から観るくらいなら、オンデマンドで好きな時間に観る方がよいと考える人も多いだろう。
 その「新春浅草歌舞伎」第一部の最初の演目は、「本朝廿四孝~十種香」だが、このストーリーもレシプロシテ原理てんこ盛りである。

 「甲斐の武田信玄と、越後の長尾謙信は、国境をへだてて敵対している。室町幕府の将軍足利義晴は、両家を和睦させようと、武田の子息勝頼(かつより)と長尾の娘八重垣姫(やえがきひめ)を許婚(いいなづけ)とする。その後、義晴が暗殺され、武田、長尾両家は三回忌までに犯人を見つけられない場合は、双方の子息の首を差し出すことを将軍家に約束する。
 期限内に犯人は見つからず、信玄の子で盲目の勝頼は切腹する。だがこの勝頼は、実は家老板垣兵部の一子で、勝頼と瓜二つであり、赤児の折にすりかえられていたのだ。本物の勝頼は簑作(みのさく)と名付けられ、庶民として成長していた。簑作実は勝頼は、長尾方に奪われた武田の家宝<諏訪法性の御兜>(すわほっしょうのおんかぶと)を奪いかえすため、武田家の腰元で盲目の勝頼の恋人だった濡衣(ぬれぎぬ)とともに身分をかくし、長尾家に仕官する。
」 

 「和睦のための政略結婚」のより八重垣姫が échange の客体にされてしまい、また、足利義春の命の代償として「偽勝頼の首」が捧げられる。
 やはり、どうしようもない絶望の社会である。 
 ちなみに、武田の家宝「諏訪法性の御兜」というのは、モース先生の本によく出て来る未開社会における呪術的性格をもった「護符」と似ている。
 つまり、「霊的な起源」に由来するものである(特別な日(6))。
 こうして考えてくると、この演目の唯一の救いは、八重垣姫の、(もともとは敵方であった)勝頼に対する熱烈な愛くらいのような気がしてきた。
 もっとも、「ロミオとジュリエット」の自発的な愛ではなく、将軍が強制した政略結婚が契機なのではあるが・・・。
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「周辺」からの逆襲(4)

2024年01月18日 06時30分00秒 | Weblog
 こんな感じで、「新春浅草歌舞伎」は強烈な演目の連続だが、初台の「令和6年初春歌舞伎公演」はどうだろうか? 
 こちらも大差なく、最初の演目からして既にレシプロシテ原理が炸裂している。

目利き「紅白の梅が満開の早春の鎌倉八幡宮に、源頼朝の挙兵を石橋山で破った平家方の武将・大庭三郎景親(おおばさぶろうかげちか)と俣野五郎(またののごろう)兄弟が参詣に来ている。そこへ同僚の梶原平三景時(かじわらへいぞうかげとき)が、梅を観にやってくる。梶原の誘いで一献汲み交わすところに、青貝師(螺鈿細工の職人)六郎太夫(ろくろだゆう)と娘梢(こずえ)が訪ねて来て、大庭に家宝の刀を買ってほしいと頼む。大庭は梶原に刀の目利き(鑑定)を頼む。梶原は一目見て「天晴れ稀代の名剣」と賞賛する。」 
二つ胴「大庭は大喜びで買おうとするが、俣野が横から口をはさみ、二人重ねて一刀に斬る「二つ胴(ふたつどう)」を試すべきだという。しかし、試し斬りにするにも、死罪と決まった囚人は剣菱呑助一人しかいない。すると六郎太夫がわざと嘘を言って娘を家に使いにやってから、自ら犠牲になるから二ツ胴の試し斬りをしてくれと言う。それを聴いて梶原が試し斬りを買って出る。戻ってきた梢が驚き嘆く前で、梶原は呑助と六郎太夫を重ねて斬るが、わざと失敗したように見せて、上になった呑助と、下になった六郎太夫の縛めの縄まで斬って止める。

 「魚屋宗五郎」と「熊谷陣屋」では、「子」や「娘」がéchange の客体とされ、「合法的に」殺されていた。 
 「梶原平三誉石切」においても同じく、ポイントは、「子」又は「娘」である。
 青貝師:六郎太夫は、源頼朝再挙の軍資金調達のため、家宝の刀を相応の値段で売ろうとする。
 そうでもしない限り、娘:梢は廓勤めをして300両を得なければならない。
 ここでも「「イエ」のピンチを救うため、娘が「売られ」そうになる」という、お定まりのスキームが登場する。
 だが、「二ツ胴」で成功しないと刀が売れないところ、犠牲となり得るのは、酔っぱらって主人を殺害した死刑囚:剣菱呑助ひとりしかいない。
 そこで、六郎太夫は、「自ら犠牲になるから二ツ胴の試し斬りをしてくれ」とポトラッチを買って出る。
 ここの「犠牲」の意味は要注意で、六郎太夫は、表向きは「二ツ胴」のための「犠牲」であるが、真実は梢を廓に出さずにしない(彼女を守る)ための「犠牲」になろうとしたのである。
 それを見抜いた梶原は、わざと剣を止めて、六郎太夫の命を救う。
 「熊谷陣屋」よりマシなのは、梢が死ななくて済むところぐらいで、後はやはりレシプロシテ原理満載のストーリーである。
 しかも、江戸時代の観客は、「二つ胴」を喜んで観ていたらしい。
 ・・・それにしても、胴体が真っ二つに切れるというのは、「初春歌舞伎」にふさわしい演目なのだろうか?
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「周辺」からの逆襲(3)

2024年01月17日 06時30分00秒 | Weblog
 「一枝を伐らば、一指を剪るべし」という義経のメッセージを、熊谷直実は、「陣屋の脇に生えている若い桜を守護せよ」という文字通りの意味だけでなく、 「後白河法皇の落胤である若き平敦盛の命を守れ」という密命をも含んでいると解釈した。
 そこで直実は、義経の密命に従うため、我が子:小次郎を敦盛と偽り討ち、その首を持参して首実検に臨んだ。
 顧みると、「一枝を伐らば、一指を剪るべし」は、何ともストレートなレシプロシテ原理の表現である。
 ちなみに、「子殺し」は、「自殺」(ポトラッチとしての自殺)に次ぐ強力なポトラッチであり、既にギリシャ神話にその例を見ることが出来る。
 タンタロスは、ゼウスにある要求(demande)を受け容れさせる目的で、我が子:ペロプスを殺して食べさせようとしたのである。

Le festin de Tantale
"Zeus avait prié son hôte de faire telle demande qu'il lui plairait; la demande deTantale, ce fut de partager la vie des dieux. Zeus fut obligé d'y satisfaire; mais mal en advint au solliciteur.・・・
Dans l'échange des dons, contre-dons, offres et promesse qui caractérise les 《 formes archaïques 》, c'est d'abord une obligation que d'accéder à la demande, quelle qu'elle soit, d'un partenaire."(p22)
「タンタロスのごちそう」
 「ゼウスは、ホスト(タンタロス)にどのような要求を満たせば満足するか言うよう頼んだ。タンタロスの要求は、神々と命を共にする(不死となる)ことであった。ゼウスは、この要求を満足させなければならない。ところが、ある不幸がこの嘆願者(タンタロス)の身に起こったのである・・・
 贈与又は反対贈与の échange においては、給付と約束が「祖型」を特徴づけている。それは何よりも、相手方の要求を、それが何であれ、受け容れる義務なのである。」(私訳につき誤訳あるかも)

 ルイ・ジェルネは、モース先生を引用しながら、ギリシャ神話における「ポトラッチとしての子殺し」を指摘した。
 日本でも、熊谷直実は、歌舞伎の世界の中で(史実では、熊谷小次郎(直家)は53歳まで生きたとされる。)、タンタロスと同じことをやっていた(もっとも、ここでは「首」と「首」とのポトラッチ的な échange という形式であるが)。
 これは何というすさまじい”ポトラッチ合戦”であることか!
 ・・・それにしても、生首が出てくる「熊谷陣屋」は、果たして「新春歌舞伎」の演目としてふさわしいのだろうか?
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「周辺」からの逆襲(2)

2024年01月16日 06時30分00秒 | Weblog
 江戸時代、歌舞伎は「現代劇」として上演され、その題材には当時実際に起きた事件(「忠臣蔵」がその筆頭)がしばしば用いられた。
 ということは、江戸時代の社会構造を分析するに当たっては、演目次第ではあるが、歌舞伎を素材として用いることが有効かもしれないということである。
 例えば、「魚屋宗五郎」について言えば、不義密通が死刑に値する犯罪とされるというのであれば、その社会には、当然のことながら「政治」も「法」も存在しないことが分かる。
 言い換えれば、その社会にはレシプロシテ原理が蔓延っており、「占有」もおよそ理解されなかった、ということである。
 さらに、誤解を恐れずに誇張して言えば、江戸時代、人間は「個人」としては存在しておらず、「イエ」の構成員としてのみ存在していた。
 「イエ」の存続・永続こそが、個々の人間にとっての至上命題だったのである。
 なので、お蔦は、魚屋(=「イエ」)のピンチを救うため、磯部家(=「イエ」)に200両で売られた。
 つまり、「イエ」同士の échange の客体とされた。
 お蔦は、「イエ」原理を脅かす”犯罪”=「不義密通」の疑いで磯部から「手討ち」(主人=「イエ」の当主による奉公人=「イエ」の準構成員の殺害。これは「犯罪」ではない!)にされてしまう。
 宗五郎は、一度は磯部に対し憤りを覚えつつも、最後は磯部から「弔慰金」と(宗五郎・お蔦の父に対する)「二人扶持」という代償を受けて納得する(後者がお蔦の「父」に対する贈与なのは、彼が「イエ」の当主だからである。)。
 つまり、この物語においては、最初から最後までレシプロシテ原理が貫かれ、「イエ」と「イエ」の間における échange に終始しているのである。
 ・・・さて、「新春浅草歌舞伎」第二部の1本目「熊谷陣屋」も、3本目の「魚屋宗五郎」に負けないくらいひどい。

 「1184(寿永3)年、源平一谷合戦の折。源氏の武将熊谷次郎直実の陣屋前に桜の若木があった。桜には「一枝(いっし)を盗むものは、一指(いっし)を切り落とす」という制札が立っていた。・・・
 実はこの陣屋には、敦盛の首を実検するため主君義経が待っていた。実検のために衣服を改めて主君の前に出た熊谷は、まず制札を引き抜いて義経のもとへ差し出し、首桶(くびおけ)の蓋(ふた)を取って捧げ持つ。その首を見て相模はわが眼を疑った。首は敦盛ではなく、小次郎のものだったからだ。騒然となる母二人を熊谷は押しとどめ、制札を手にして義経の言葉を待つ。 
 義経は意外なことに、身替り首を実検して、敦盛に間違いないと断言した。実は、敦盛の本当の父親は後白河法皇なのである。皇統に連なる身分の敦盛の命を助けよと、義経は「一枝を伐らば、一指を剪るべし」の制札に事寄せ熊谷に命じていたのだ。主命にこたえるため、熊谷は同じ年頃の息子小次郎の首を身替りにしたのだった。」 
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「周辺」からの逆襲(1)

2024年01月15日 06時30分00秒 | Weblog
 「当時、男性は既婚、女性は未婚だったが、男性教諭が女性教諭に好意を抱き、19年7月から男性教諭が他校へ異動する21年春まで、校内で日常的に胸や尻を触っていたほか、男子トイレ内での性行為、裸の写真や下着姿などのわいせつ画像の送信要求などを繰り返していたという。・・・
 内田教授によると、学校には暴力やハラスメントに対して内部での指導で乗り越えようとする文化があるといい「男性教諭は教務主任という期待される立場でもあり、校長は何とか指導で乗り越えようとしたのではないか」と推測。「困った時に適切に相談できる態勢があれば、こうした事案は起きなかったかもしれない」と指摘している。

 江戸時代、不義密通は大罪であり、外部に発覚すればお家取り潰しの理由ともされた。
 その実例が、近松の「大経師昔暦」のもととなった「おさん茂兵衛の姦通事件」である(絶望の社会)。
 なので、江戸時代の武士や町人は、不義密通を「内々に処理」しようとしていたようである。
 ところが、それと似た事件が、現代の日本で起こった。
 日本の学校には、「暴力やハラスメントに対して内部での指導で乗り越えようとする文化」があるらしいが、この絶望的な状況は、江戸時代からほとんど変わっていないかのようだ。

 「貧しい魚屋の宗五郎一家の暮らしは、妹のお蔦(つた)が大身の旗本、磯部主計(かずえ)之助(のすけ)の側室とされたことで豊かになりました。だが、お蔦は不義の疑いで主計之助に手打ちにされてしまいます。

 自らのイエを救うため200両で磯部主計之助に「買われて」側室となったお蔦は、彼女に横恋慕する用人:岩上典蔵から手籠めにされそうになった後、彼の意趣返しで不義密通の濡れ衣を着せられる。
 典蔵の告発を真に受けた磯部は、なんと、お蔦の「たぶさをとって引き回し、一太刀でもって斬り殺した」あげく、死体を井戸に投げ捨てた。
 つまり、お蔦は、不義密通の被疑事実(しかも濡れ衣)により、お上による裁き(司法手続)を経ることなく、主人によって「お手討ち」されたのである。
 なんだか、「暴力やハラスメントを内部の指導で乗り越えようとする」現代の教育界と似ているではないか!
 ・・・それにしても、この演目は、果たして「新春歌舞伎」にふさわしいのだろうか?
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サムシング・スペシャル

2024年01月14日 06時30分00秒 | Weblog
 「日本の皆様からの義援金を活用し新制作されたウクライナ国立バレエ「ジゼル」の世界初演を迎えました。お越しいただきました皆様、暖かな拍手ありがとうございました。 明日も、団員一同、皆様への感謝の気持ちを込めてパフォーマンスいたします。」 

 「ジゼル」はクラシック・バレエの定番演目で、上演頻度も高い。
 その中で、今回のウクライナ国立バレエ団の「ジゼル」は、冒頭から”サムシング・スペシャル”なものを感じさせる。
 その理由の一つは、舞台と衣装である。
 日本からの義援金で制作されたという舞台セットだが、輸送には約3か月かかるため、おそらく9月には発送されたのだろう。
 お金がかかっているということで、なかなか見栄えは豪華である。
 衣装も豪華で、特にアルブレヒトの婚約者:バチルドのドレスはめちゃくちゃ高そう。
 主役二人(怪我のため降板したミクルーハに代わるクラフチェンコ&オメリチェンコ )は、おそらく日本公演では今回が初めての組み合わせで、新鮮な印象。
 クラフチェンコはジゼル役がピッタリの小柄で繊細な美少女、オメリチェンコは顔はセバスティアン・ヴァイグレにやや似ているダンス―ル・ノーブルで、二人とも見るからに気合が入っている。
 錯乱するジゼルを演じるクラフチェンコは、死ぬ前の金魚のような迫真の動きを見せるし、オメリチェンコのアントルシャは「こんなに続けて大丈夫?」と思わせるほど見どころがあった。
 なんだか、ふだん観る「ジゼル」とはいろいろなものが違っているのだが、最大の違いはラストだろう。
 アルブレヒトが死んでしまうエンディングは初めて見たが、これはピーター・ライト版「白鳥の湖」と似ている。
 考えてみれば、アルブレヒトは、身分を偽って不貞行為に興じ、自分の剣を突きつけられてもシラを切るような卑劣な男であり、相応の罰をうけておかしくない。
 それに、生き残ったもののもぬけの殻のようになった彼との不幸な結婚生活を余儀なくされるというのであれば、何の落ち度もないバチルドは気の毒である。
 というわけで、振付家のヴィクトル・ヤレメンコが、オーソドックスな「ジゼルによって命を救われるアルブレヒト」という筋書きを大きく改変し、「死んでジゼルと結ばれるアルブレヒト」にしたのは、ある意味では正解なのかもしれない。
 総合的にみて、これまで観た「ジゼル」の中では最高だったという印象だが、さらに”サムシング・スペシャル”の理由を考えていくと、主役二人は私生活でも恋人同士ということなのか?
 もちろん、これは下衆の勘繰りでしかないのだが。
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眠くならないクライスレリアーナ

2024年01月13日 06時30分00秒 | Weblog
曲目・演目
ベリオ:水のクラヴィーア(1965)
ショパン:24の前奏曲 Op.28
シューマン:クライスレリアーナ Op.16
バルトーク:戸外にて Sz.81/BB89

 私は、朝目覚めるとまずiPodに手を伸ばし、あるクラシックのピアノ曲を再生することにしている。
 これは私の”起床儀礼”の一つである。
 その曲は、阪田知樹さんが演奏するショパン(バラキレフ編曲)ピアノ協奏曲第1 番 ホ短調 作品11より第2 楽章「ロマンス」("Illusions"「イリュージョンズ」に収録)である。
 個人的には、朝の目覚めの曲としては、① ポジティヴな気分を促進する(暗くない)もの、② 穏やかな(あまり騒がしくなく、過度に刺激的でない)もの、③ 適度な長さ(10分程度)のもの、というのが相応しいと考えているのだが、「ロマンス」はこれをいずれも満たしているのである。
 というわけで、当然のことながら、阪田さんのソロコンサートには出来るだけ行くようにしている。
 ところが、昨年は不覚にも「華麗なるコンチェルト・シリーズ第19回《ファンタジック・リスト》阪田知樹」に行っただけで、これはソロではないので、
結局ソロコンサートには行きそびれたのである。
 今年は新年早々、ソロコンサートが開催されたのだが、私にとっての難点は、シューマンの「クライスレリアーナ」(「くるみ割り人形」の原作者E.T.A.ホフマンの評論集の題名から引用)である。
 玄人(ピアニスト)が好む演目で、演奏機会も多いのだが、私は、これを聴き始めるととたんに眠くなってしまう。
 私は、中学時代は毎日のように「トロイメライ」を弾いていたので、シューマンは大好きな作曲家の1人なのだが、同じ人物がどうして「クライスレリアーナ」のような難解で退屈な曲を作ったのか、長年疑問に思っていた。
 ところが、この曲を阪田さんの演奏で聴くと、何とも生き生きとした、メロディラインのくっきりとした、しかもメリハリの利いた名曲に聴こえて来たのである。
  彼が弾くと全く眠くならないばかりか、数十年を経て「開眼」したかのような、爽やかな気分にしてくれる。
 それは、私が阪田さんの演奏する曲を、”起床儀礼”に使わせてもらっているからなのかもしれない。
 早く次のCDを出してくれないかな。
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ないものねだり

2024年01月12日 06時30分00秒 | Weblog
 「「初春歌舞伎公演」は、毎年1月に東京・国立劇場で開催されてきた公演。国立劇場が建て替えに伴い10月末に閉場したため、来年は新国立劇場 中劇場で実施される。上演演目には「梶原平三誉石切 鶴ヶ岡八幡社頭の場」「芦屋道満大内鑑 -葛の葉-」「勢獅子門出初台」が並んだ。

 「この席で今年、一時休演など、体調不良が続きファンを心配させた菊五郎が、最近の状態を初めて語った。
 「背骨がまっすぐになり、(骨をつなぐ)クッションが無くなった。脊柱管狭窄症と座骨神経痛で。重心が定まらず立っている方がつらく、動いている方が楽」と説明した。痛みはないという。そして「役者って体が動かないとおもしろくないものでね。もっと動きてーな!と思った」と悔しさをにじませた。

 国立劇場の建て替えのため、今年の「初春歌舞伎公演」は新国立劇場で開催されている。
 ふだんは静かにオペラ、バレエや芝居を鑑賞している場所に、歌舞伎愛好家がやって来るのだから、ちょっとシュールである。
 ふだんであれば、客席では会話禁止で、ブラボーも演技が止まったときだけに発せられるのだが、今回の公演では、歌舞伎愛好家の方(高齢の方が大半)の多くが、かなり自由に会話しており、「音羽屋!」「萬屋!」という掛け声が二階席最前列辺りから頻繁に響いてくる。
 残念なのは、「花道」と「弁当」がないところ。
 「花道」については、何とか工夫して短い道(4メートルくらい)を造っているが、これだと「勧進帳」のような演目は難しいだろう。
 弁当も売っていないので、おにぎりなどを持ち込んでいるお客さんがちらほら見られた。
 菊五郎は体調に配慮したのだろうが、最後の演目の中盤あたりから登場。
 やはり腰が痛そうに見えるが、最後は楽しそうにおひねりを客席に投げていた。

 「40回目の公演となる歌舞伎界の次代を担う若手花形俳優が大役に挑む“若手歌舞伎俳優の登竜門”『新春浅草歌舞伎』(2024年1月2日(火)~26日(金)に浅草公会堂)の取材会が18日、都内で行われ尾上松也、中村歌昇、坂東巳之助、坂東新悟、中村種之助、中村米吉、中村隼人、中村橋之助、中村莟玉が登場した。 尾上松也、中村歌昇、坂東巳之助、坂東新悟、中村種之助、中村米吉、中村隼人の7名は今回の公演で卒業する。

 私が行ったのは初日(第一部)ということもあって、ほぼ満員の大盛況である。
 弁当の売り切れを心配したのだが、会場でたくさん売られており、杞憂に終わった。
 蝙蝠の安五郎(松也)やお富(米吉)らの気合が圧倒的なのは、彼らが今回の公演で「卒業」するからなのかもしれない。
 特に米吉は、第一部では3演目出ずっぱりの大活躍である。
 「新春歌舞伎公演」との比較で一つだけ残念だったのは、「おひねり」がなかったこと。
 新国立劇場の「花道」「弁当」もそうだが、これはないものねだりというものだろう。
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