パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

総論賛成、各論反対

2009年09月18日 21時17分58秒 | Weblog
民主党、マニフェストに上げた項目を
実施に向けて矢継ぎ早に取り組んでいるようだ
税金の無駄遣いの排除
まずは八ッ場(やんば)ダム(群馬県)の建設中止
それからアニメの殿堂もその方向に向かっている

ところが地元では、今更!
とか、実情を理解していない!
とか現実に仕事に携わっている方達の反対の声が
湧き上がって、自治体の首長も概ね中止されては困る
といった意見のようだ

こうした事は当事者には大変な事だけれど
実際にはよくある事だ
誰かがプラスに働けば、誰かにマイナスに働く
今回の場合は国全体ではプラスでも
自治体の経済にはマイナスになるということだ

しかし、残念ながら現時点で
皆がプラスになることは難しく
結果的には誰かが我慢しなくてはならないのが実情

ところが、その誰かに皆なりたくない

我慢するのは自分たちではなくて
どこか別の人たちであってほしい

抽象的な無駄遣いの排除には賛成でも
いざ各論として、自分たちに影響があるとなると
いきなり全体としての賛成の方向性も怪しくなってしまう

人間なんて、こんなもん!

こんな風に言いきってしまうのは簡単だけれど
本当は総論賛成の時点で
自分たちがその影響をもろに受けてしまうかもしれない
と想像して、それでも賛成か反対かを決めなければならない

また、意に反して多数の意見が自分と違っていたとしても
甘んじて受け入れる覚悟も必要なのではないだろうか
(もっとも、いつもいつも多数意見に従うのが正しいとは
 言いきれないのがあるのも事実だが)
とりあえず民主主義の国だから総意には従わなければ!

しかし人間てのは勝手な生き物で
例えば先着何名様までと予め分かっているプレゼントでも
いざ貰える貰えないの区切りの人物は
簡単に仕方ない!
と諦めきれず制度の不備を愚痴ったり
何とかして例外に該当する様に粘ったりする

つまりは覚悟ができていないのだ
だだっ子みたいにすねて、
自分だけは特別がいい!
と感情的になってしまう

この気持ちは分からないではないけれど
大の大人たちは
自分だけは例外であってほしい!
という考えそのものを
持たない様にしなければならないと思うのだが、、、
(きっとできないだろうな!悔しいけれど)



コメント
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