パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

決断力不足について

2010年01月11日 22時02分22秒 | Weblog
大概の人は重要な決断を迫られたときには迷う
それが自分だけに納まらず組織の存亡、将来
または損得にかかわることなら尚更の事

結局、どんな判断をしようが
よい点、悪い点は存在し、
後からは批判されるのは世の常

だから何を言われようが、批判も甘んじて受ける
といった覚悟が必要ということになる

しかし、そうは言うものの
さあ、選択はあなたの自由です
そのかわり全責任もあなたにあります
などと言われたら不通の人はやっぱり
延々と悩むのではないだろうか

カラマーゾフでの大審問官の章
絶対的な自由など人は望んでいない
システムがすべきことを指し示し
それに従うほうが人間は楽なのだ!
と、それに近いような(?)ことを述べているのは
本当にそのとおりだと思う

さて確かに人はよさそうな鳩山さん
覚悟が無い!
ということになりそうなのだが
普通の人の悩み方をする人のようだ

本当にこれでいいのか?
自分の判断は正しいのか?
いっそ、誰かが決めてくれないか?
(小沢さんでなくても神様?でも)

しかし、残念ながら立場というものがある
どっしと構えていて欲しいのも
外からの印象

もっとも何にもぶれずにビシビシ決めていくのも
ちょっと心配が無いわけではない
妙な覚悟がある人というのは
なんだかギャンブラーに似ていないか?

今の世の中、誰が判断するにしても
正解なんてものは見つけられないに違いない
仮にあるとしたらそれは下した判断を正当化する
行動の結果としてしかない

人は迷う
経営者も迷う
でも反面それは必死になっている証拠

最後の判断を間違えないようにするには
理性的なものだけではないだろう
多分、情緒、感情、直感を含めた全人格的な
総合力でしか答えは見つけられないのでは?
それと少しばかりの運も必要
(やっぱり神頼み?)



コメント
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