誰が10番を司令塔と定義付けてしまったのだろう
専門誌ではないメディアは
10番、即司令塔の意味合いで使っている
しかし、10番は司令塔なのか?
そもそも司令塔という言葉自体が存在するのか?
10番でもメッシもルーニーも日本で言う司令塔ではない
メッシなんかは典型的な点取り屋
ルーニーはちょっと違うけど全体をコントロールする
司令塔ではない
いったい、日本で使われる司令塔は何をイメージして
使っているのだろう?
割合該当しそうなのは中村俊輔とかリケルメかもしれない
沢山ボールに触ってボールを散らして
とりあえず彼を経由して
問題なのは、今のサッカーはこれが機能しにくくなっているということ
プレスが厳しくなって時間もスペースもない現代のサッカー
それは誰かの指示によって動くといったようなのんびりしたものではない
現代は、個々がそれぞれの自主的な瞬時の判断によって
最適と思われる手段を選ぶ
それも究極の目的の得点を目指し効率的に
日本代表の10番は、もう司令塔でなくてもいいのではないか?
ヨーロッパでは当たり前になっているセカンドストライカー的な
扱いで充分なのではないか
決めるところは決める
FWほど前線で潰れ役になるわけではなく
間隙を縫って決める
そして時々効果的なパスも供給する
そのスペシャリストとして10番が存在すればいいのではないか
そもそも司令塔という言葉は
日本人好みの言葉ではないのか
どうも日本の組織は上意下達が基本になって
トップの命令が全てみたいなところがある
しかし、現場に携わっいる人間は
その都度最適な判断を要求され
それは指示待ちでは間に合わないとが多い
それで機能させるためには個々の現場の判断が
正しくできるようにその人々の訓練をすることしかない
ザックジャパン、山本ジャパン
日本では闘う当事者ではなく、命令を下す人間が代表のように扱われる
確かに監督に責任はとってもらわねばならないが
判断は個々の部分が大事
ということで前にも提案したが
サッカーにおける司令塔という言葉を
死語にしたいと思う
もはやそういう時代ではないのだ
ただいつまでもこうした言葉が使われ続けるのは
サッカーの解説においても野球的な発想が
幅をきかしているためのように思うのは偏見か?