パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

国家以上のもの

2013年03月04日 19時37分44秒 | あれこれ考えること

フェアトレードという言葉がある

国際貿易における先進国と途上国の公平さを図り
立場の弱い途上国の生産者・労働者により良い取引状況を提供し
彼らの権利を強化することで持続可能な開発が実現できるように貢献する。
また、従来の国際貿易の規則と実態を変化させるために働きかける。

つまり、フェアな貿易をしようとするもの

一次産品などを先進国が破格値で買い漁って
先進国にとっては好都合の経済的であったとしても
果たしてその行為が人として正しいかどうかを
考えるにいたっては疑問が多々あるので
出来る限り一方的なメリットに偏らないようにしようとする
考え方と理解している

ところが、いま話題のTPPというシステムは一歩間違うと
このフェアトレードができにくくなってしまわないか少し心配だ

発展途上国は何時まで経っても利幅の少ない一次産品の
輸出だけで、先進国は法律を盾にとり、
半永久的な利益確保を確かなものとする

特にISD条項は国家の法律以上のものとなって
企業が国を訴えて賠償金の請求をおこなうという
確かに近くのあの国のように国が勝手にやってしまったら
企業は予定外の不利益を被ってしまう
だからこの手の法律の必要性も分からないではないけれど
だからと言って、発展途上国の可能性を奪いかねないものを
後生大事に持ち上げるのはどうなんだろう

アメリカの国益とTPPと言う図式より
グローバル企業の権益の拡大のためのシステムがTPPのような気がする

工業・輸出産業関連の企業のTPP賛成
国内産業中心のTPP反対
と言った単純なモノではなくて
問題はグローバル企業といったモンスターのようなもの

このモンスターは結局豊富な資金で
政治すら左右する持ちうる
政治を支配するのは理念ではなく
人が一番弱い経済的な誘惑によって
企業の都合が最優先されてしまう

この時、企業の発展が雇用も確保し
国も結果的に豊かになる
と言う理屈をきっと口にするだろうけれど
どうも現実は信じ難い

どうも、人の不幸を(不公平を)
平気で見ていられるということが
自分の都合だけを優先して考えるしかないひとが
多くなりすぎている現実が少し辛い

人は間違いを起こす
その為には多少無駄であったとしても
人間的な要素を残す法律・方法に従ったほうが
良いような気がしてならない

しかし、世の中にはとてつもなく良い人がいる一方
とてつもなく悪い人がいるのも事実
(同じ人間の中にも二人住んでいる可能性もあるのだが)
いずれにしても、もう少し人が人のことを考えてあげられるように
なればいいのにと、つくづく思う

まずはフェアトレード
できることから始めなくては!

コメント
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