たまたま近くで開かれるセミクラシックの
コンサートのチケットをいただいた
今日の今日もらったものだから自分はいけないので
誰か行ける人に、という訳で自分に回ってきた
プログラムは
チュイコフスキー 花のワルツ
さくら変奏曲
パッヘルベルのカノン
トルコ行進曲
グリーンスリーブス(歌)などなど
これらをピアノとハープ、バイオリン、ソプラノ、アルトで奏でられた
実は後半は聴かなかった
(ちょっと期待はずれもあって)
直近のコンサートといえばゲルギエフの芳醇なワインの
ようなやつだったから、今日の家庭的なレベルのものとは
大分差がある
ということで、今日感じたのは今日の演奏が
どうのこうの言うことではなく
素晴らしい演奏をする人たちは
おそらく半端じゃない練習をしているに違いない
とフト思ってしまったこと
そしてそこに才能が加わる
猛烈な練習ができるのも才能のなせる技かもしれない
そしてそれに伴う狂気のようなもの
芸術は心地よいだけではない
何者にも代えがたいものとして
人の一生を左右するような毒の部分も持つ
人に取り憑いたその力は
彼に集中力と狂気を与える
そしてこの狂気じみたものは何故か人の心を魅了する
その狂気の部分を感じられなかった今日の人たち
それは人として幸せなのかもしれない
なまじっか芸術の毒を知ってしまえば
楽しむどころか、苦しみのほうが多くなってしまうかもしれない
それにしても「神(美)は細部に宿る」
それを可能にする集中と才能
好きこそものの上手なれ
好きになることは才能なのかもしれない