昨日(4月26日)新城のJC主催による
愛知県会議員立候補予定者公開討論会が開催された
19時開会の予定
余裕を持って20分ほど前に会場に到着したが
思いの外会場は混んでいる
県議選でこんなに入るとは正直思わなかった
そこに来ている人たちは立候補者の
投票選択の判断のために来ているのか、
それとも特定の候補者の支援のために来ているのか
何にしても熱気は予想を上回るものだった
主催者の意図通りに進んだかどうかは不明だが
特に熱を帯びた話になったのは
新城市の八名地区の産業廃棄物業者の操業の問題
地元民はこの産廃業者の他の地区の仕事ぶりを知って
自分たちの地区も悪臭、環境汚染となってしまうのではないか
との不安で、反対活動をしている
元々は八名の工業団地の一角を購入した企業が倒産して
その後には製造業、物流業がはいるという規則があり
何かあった時には買戻特約を行うということだったのが
知らないうちに買戻特約は解除されていた
いやいや、そもそも買戻特約は競売で購入した時点で
その法律は無くなることになっている
この下りはよくわからない
もっとも自分の理解、知識がいい加減だからわからないのだが
とにかく、何らかの事情で正式な競売が行われ
少し問題となる業者の持ち物となった
ところが、この業者の評判(豊橋市の東細谷地区)は
芳しいものではない
悪臭・土壌汚染がかなり酷いらしく
普通の生活ができない状態になっているとのこと
当然、新城市も同じようなことになる可能性があるので反対
ということになるのだが、
行政は悪臭の判断には個人差があり、また常時ではない
土壌汚染についても自分たちの調査では、別の調査のような悪い結果は出ていない
つまり咬み合わない
堆肥をつくり、それを販売するという目的の施設らしいが
心配しているのは現実には堆肥をつくるというよりは
産業廃棄物の捨て場所になっているのではないかということ
ここでまた法律の問題が起きてくる
産業廃棄物、リサイクル法、
廃棄物を出す側の規制はあるが、処理する方の規制が法律的に整備されていない
ここの問題を変えていかねばならないが
これは少し遠い話なので国会にも働きかけている
とりあえずは現実的な方法として、堆肥を作ると言いながら本質的には
産業廃棄物の最終処理(捨場)になっているのは、申請した仕事内容と異なっており
これは違反だ
そうした違反業者が操業するのは許されないはず
と反対側の運動している立候補予定者は説く
現職の方は反対活動は手続きを踏んでやって来た
現実的な今後の対立候補側の方法は少し理解できない、、
どちらにも言い分があり、持ち時間が短いせいと
全体像を理解していないために
残念ながら印象とか感想の範囲に留まってしまうが
ここに来ていた人たちはどんな考えなんだろう
それにしても小ホールの席は満席
この状態が選挙当日まで行けば投票率は上がる
この選挙は本当に盛り上がっているのか
それとも一部の人達で危機感を覚えているのかは
正直なところ疑問
新城市を騒がしているもう一つの問題は新市庁舎の問題
5階建て9000平米、50億円は大きすぎ
後の世代に借金を残すことになるから
分相応の規模に考えなおそうと再考を求めるために
住民投票をしようとした活動がこれまでのこと
結果的に住民投票をすべきと署名した人が
5日間で9000も集まったために、
市民の意見は再考を求めることにあるのは馬鹿にできず
そして建設費の最近の高騰を受けて
予定の50億では済みそうにないから
やはり何らかの見直しは必要と議員も折れて
それなら住民投票をしようということになった
しかし、問題はまた噴出
何に対して住民は判断をするのか
その部分が不明
簡単に言ってしまえば、ひとつは建設費が高騰して大変だから
従来の手段を手直しして節約を図るというもの
もう一つは、計画自体がそもそも無理なものだったのだから
それを根本から訂正、しかし現実路線としてまるっきり0から
のスタートではなく、現行案にたいする対応案の支持を得るのも
これは市民には分かりにくいものとなる
初めからやり直せ!
ではなく、どちらのほうがいいかを選ばせるもので
たとえ住民投票を行ったとしても社名活動をした人が
望んだ住民投票ではないことになる
残るのは住民投票をしたという事実だけ
どちらも節約には違いないからいいのでは!
では終わらない
今回の産廃、市庁舎の件について
昨日の帰りの駐車場での知り合いとの会話
今まで無関心だったのがいけなかった
市議会議員も地元だからと言う判断で選んでしまったのはまずかった
もう少し考えて選ばなければならないし、
これからは活動に関心とチェックを入れるべきだな、、、
気づくのが遅すぎたかも知れないが
今できることをとにかく行い
これからすべきことは反省を肝に銘じて行うことだ
それにしても、政治ってやつは
正直、まともな人間が出来る世界ではないのかもしれない
政治家が偉いということはなく
政治家になれない庶民は、実は人としてまともでいられる可能性があり
何もなさなくても尊敬される存在なのかもしれない
と思ったりした