パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

法人税減税と補助金

2015年03月02日 16時26分56秒 | あれこれ考えること

日本の法人税は高いから、世界と戦うためには法人税を下げて
企業により積極的なお金の使い方をして、競争力をあげてもらう
とか、高すぎる法人税では企業が海外に出て行ってしまうから
下げるのが現時点では必要な政策
と法人税引き下げを目論む人は唱える

しかし円高で好決算の企業は実際に
その収益の法人税分を収めているかといえば
どうもそうではないらしい
租税特措法というとんでも膨大な条文の法律があって
例えば研究開発費などは控除されるとか
ということで実際に企業が税金で払っているのは
イタリア、フランス並みの20数%で、日本は現実には
高すぎる法人税ではないという

これは週刊ポストからの受け売りだが
それが本当かどうかも含めて、ホントに討論してもらいたいものだ

ところで研究開発費などは補助金事業の対象になりやすいが
補助金を受けた企業から一年間は寄付・献金を受けてはならない
という点で、数人の政治家が槍玉に上がっているが
この補助金というのも結構怪しい種類のもの

もちろん建前は文句の付け所がないように見える
しかし補助金事業が決まって一般に公表され締切までの
段取りに少し問題がある

まずは補助金事業をどうやって知るか?
各省のホームページに出ているからこまめにチェックを
してください、が出す側の言い分だろうか

さて、この公募期間がどうかといえば、非常に短いものがある
面倒な申請用紙をすぐさま書き上げなけれならないとか
この短さを勘ぐれば、ある企業には予めこの補助金事業の実施が
伝わっているのではないかと考えることもできる

実際のところある時聞いた話だが
補助金事業を設ける側にも、いざ公募してもエントリーが
少ないと(ないと)問題になってしまう
そこで予め公募してくれそうな補助金事業をある企業と内々に
相談していて、その企業のエントリーをまずは確保していく
段取りになっている

つまり補助金は自前の事業の経費を少なくするために
社会的に立派な事業だから少し補助をしてほしい
と言う内容
そしてその金額はあるものによっては非常に高額のものもある
高額になればなるほどその申請書は綿密な計画を基に
書かれなければならないが、その意味は分からないでもないが
現実にその申請書を書き切ることができるのは
やはり特別な技術を持った人に頼らざるをえない
この特別な技術を持った人とは、ざっくり言えば大手の企業には
確保できるが、それ以外は難しい

結局、補助金は大手の企業がまことしやかな建前を並べて
自分の企業の出費を抑えるために税金から
お金を出させるということ

この税金からなる補助金をもらった企業から
寄付・献金を受け取っているとなれば
財布の中はいっしょになっているから
税金で寄付・献金を行っていることになる
そして勘ぐれば、成功報酬として寄付をしたと思われても仕方ない

だからこそ、補助金を受けた企業から一年間は
寄付・献金を受けてはならない
というのだが、
補助金を受けたかどうかは知らなかった
と判で押したように言い逃れする

知らなかったで済ましていいのか
この手の問題は大臣の辞任で幕引きがなされてしまうが
ホントのところの癒着とかお金の真っ当な処理が
なされていたのかを問い詰める報道等はなくなっていく

本当にどうなのだろう
最初の法人税減税の現実的な分析とか
政治家と金の問題とか
騒ぐだけ騒いで、また次の話題にひっきりなしに飛びつく
メディアも国民も
ホントにこれでいいのだろうか?

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川崎市の少年殺害事件の報道

2015年03月02日 15時49分49秒 | あれこれ考えること

ワイドショーと名付けられるものから、普通の朝晩のニュースでも
川崎市の少年殺害事件の報道がされている

それを見ていて何か違和感を感じて
どこかムカムカした気分になるのを止めることができない
事件が悲惨であったり、残酷であったり、常軌を逸している
とかいうためではない

テレビは18歳の少年の異常さを際立たせようとしたり
また被害にあった少年との交流のきっかけがバスケットであり
それは被害にあった少年の大好きなものであったがために
皮肉な結果となっていると、劇的さだけを際立たせる
扱いに終始している

自分が何故こんなにムカムカするのか考えてみると
それは、何故この事件が起きるのを止めることができなかったか?
そしてどうすればこのような事件を再び起こさないようにできるか?
と言う視点がまるっきり欠けているからだ
と気がついた

何故、数日間も中学校に来ないで普通ではない状態なのに
放って置かれたのか
アザをつくってきたのに何故何も無関心でいられたのか

そう、問題は周囲の大人たちは何をしたのか
が全然問われていない
ただただ事件の異常さだけをセンセーショナルに捉えているだけ

子どもたちの起こす事件の多くは
実は大人に責任がある場合が多い

初めから異常の傾向があるにしても
それに関心を持って対処する気持ちの人が一人でもいたら
何とかなったのではないか
そんな例が多すぎる

子どもたちは壊れてしまってきている
しかし、それ以上に大人たちが壊れてきてしまっている
そしてそれに気づかないでいる

むかし若者は怒りの対象が社会の矛盾やら不正などだった
しかし今は社会に対する怒りを示す若者は少なくなった
一人が声を上げてもどうなるものでもないし
と初めから諦めていたりする面もあるが、それ以前に
怒りの対象が個人的なことに終始している
例えば既読スルーされたとか口答えしたとか、、

この現実は非常に怖い
若者を取り巻く世界がインターネットで広がったにも関わらず
実際はもっと小さな世界でしか彼らが生きていないということ
反射神経のように社会にうまく対応するだけで
想像力をもった全人格的な人間が生まれにくいようになっている現在

実はこれこそが今回の事件の背景ではないのか

大人たちは、他人の事のように思っているが
実は自分たちがこの様な事件を起こした原因となっていることに
気づいているのだろうか



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