パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

責任と判断(ハンナ・アレント)

2015年03月21日 08時28分35秒 | 

秋ではないが読書モードに入ってい
それも大作を続けて!

今年になって読んだ本は
「幻影の時代」(D.J.ブーアスティン)
「21世紀の資本」(トマ・ピケティ)
そして「責任と判断」〈ハンナ・アレント)
全て読み飛ばす訳にはいかない作品
しかし残念ながら結果的には読み飛ばした
ことになってしまいそうなくらい覚えていないかもしれない

だが面白かった、興味深かったと言う実感だけは
覚えている

何かのために読むわけではないし
いつか役立つこともあるだろうくらいの感覚だから
取り立てて覚えていないことも気にしてはいないが

「責任と判断」〈ハンナ・アレント)


 ナチの戦犯、アイヒマンの裁判について、アイヒマンは平凡な人間で
ある状況下で人間は何をしてしまうかを、凡庸な悪と名づけて
人は誰でもその悪を犯してしまう可能性がある
と、読む前は そのくらいのことが書かれていると思っていた

しかし、そうではなかった
確かにそのようなことも扱われている
だが通奏低音の様に彼女の全体を支えているのは
ヨーロッパの形而上学的、哲学的な思考

ソクラテス、カント、ニーチェ らの哲学をベースとした
その上になりたつ思考
その意味でこの本は哲学の分野に関するものと言える

彼女の思考パターンに慣れていないから
慣れるまでは読むのに苦労した
だが途中からは違うテーマを扱われていたとしても
癖とか思考パターンがわかってくると
なんとなく分かるような気がしてくる
慣れは大きい、もう少し彼女の作品を読めば大枠の思想は
理解できるかもしれない

ということで次の候補はアイヒマンの裁判に関する
彼女の最も人気のない作品
あるいは、ニーチェの「道徳の系譜」
もしくはカント、プラトンの著作か

ところで、この本を読んでいて本質とは関係ないが
ナチの非道の行為の著述があったが、読んでいただけで
吐き気がするような気持ちが悪くなった 

それは、自分がなさなければ自分が抹殺されてしまう、とか
自分がしなくても誰かが行う 、とか
自分は単に歯車に過ぎなかった、とか
そう言った判断の前の、人としての葛藤の欠如が
全く欠けていて、そのことが行う行為の圧倒的な残忍さが
気持ち悪さの原因なのかもしれない

いずれにせよ、人はある状況下で
とんでもないことをしでかしてしまう可能性があるのは事実
これを防ぐにはその状況を作らないことだけでなく
個人の判断能力の(哲学的、形而上学的の)アップを図るしかない

自分との対話
つまるところ、ここに集約されるのかも知れない

本を読んでの感想というよりは
本から刺激を受けて感じたことはそんなこと
とすれば、やっぱり本を読んだことは役立ったいるのかもしれない 

コメント
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