パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

パルジファル

2015年03月30日 20時04分56秒 | 音楽

初めて見たオペラ(楽劇)が、1976年
バイロイト100周年のでのトリスタンとイゾルデとパルジファル
と言うのは極めて珍しいパターンに違いない

その内のトリスタンとイゾルデは全曲レコードは持っていなかったが
パルジファルはあの名高いクナッパーツブッシュの録音が
バイロイトのセットでさまよえるオランダ人、タンホイザーと
いっしょになっていて、愛聴していた

バイロイトの現場で「パルジファルは私の一番のお気に入りのオペラ、
だから、いい席を持っているあなたは私の席と交換する義務がある」
と強引な理屈をつけて迫ったアメリカの女性がいたが、実は自分も
パルジファルはお気に入り

ニーチェが何を言おうが、またウソっぽいと批判されようが
あの響きにはうっとりしてしまう
特に男性合唱から少年の合唱のあたり、花の乙女の誘惑、聖金曜日の奇跡などは
何度聴いてもうっとりしてしまう

このパルジファルは昔バイロイトから門外不出だったが
あるときから他でもできるようになった
昨年は日本でも飯守泰次郎の指揮で国立歌劇場で行われ
自分も出かけたが、ヨーロッパではどうも復活祭のあたりに
演奏されることが多いようだ

4月8日 ウィーンの国立歌劇場(シュタッツオパー)で
パルジファルが演目として登場する
この日、自分はその現場にいる予定だ
と言うより、その為に時間を合わせてウィーンに行くことにしている

一昨年、30数年ぶりにウィーンを訪れ
ウィーンの国立歌劇場の前を通り過ぎた時に
中に入れなかったのがとても切なく思えて
今度は入ろうと心に決め、それで思い切って三度目のウィーン旅行を計画したのだが
幸い2ヶ月前のインターネットチケット予約で購入できた

パルジファルは4月8日だけでなく、3日、5日にも上演されることになっていて
その日のチケットはそれほどの売れ行きではなく、のんびり構えていたらそれが大失敗
この日(4月8日)だけはあっという間に残りが高い席か安い席しか無くなってしまった

高い席は服装も気を使わねばならないし、靴もちゃんとしなければならないし
と思い安い席にしようとしたが、せっかくあそこまで行って
不満の残る席だと後悔するに違いないと思い直して
東京の国立歌劇場で入った席と同等の金額の席を手に入れた

それで今日は予習を兼ねてレコードを聴いた
当日は東京のように字幕が出るわけではないし
集中が続くかが少し心配だが本場の音は楽しみだ

しかし、それにしても何故4月8日だけが
チケットの売れ行きが良かったのだろう
演奏者は同じなのに、、
4月8日はキリスト教に何かの日なのだろうか



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やっぱり混乱する住民投票案(何故こんな案になったか?)

2015年03月30日 18時42分34秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政


先日可決された住民投票の案

どう考えても混乱を招く内容に思えてならないので
試しに近所の方まで持って行って聞いてみた

とりあえず何も言わないでいると「あれっ、ちょっと待って、ええと」
「路線の変更を伴わないということだから道路を新しくしないということだよね、
小さい建物でいいってことだよね」(間違い)
「なんでこんな文章になっているのか、自分たちは単にもっと縮小してほしい希望を述べているだけなのに!」
「これは市側の提案と今の状況を知っている人と知らない人では判断が全く異なることになるよね」
「道路が何処のことかわからない、この道路がどうのこうのと言われても問題は道路じゃなくて、縮小して欲しいだけ」
「投票の現場に道路の地図が掲示されたって面倒で見ない人が多いので面倒くさくなっていい加減に丸を打つ人が出てきそう」   等など

結局、明らかになってことはこの案は酷いということ
これでは判断のしようがないということ
市民は今までの流れとか計画全体を熟知している人ばかりではない
そういう人に勘違いするような、あるいは理解できないような文章は
果たして住民投票のために署名活動をした人たち(市民)の声を反映しているのか

そこで、少し悪意を持って考えてみると
この文章はわざと意図を持ってわかりにくくしているとも考えられないことはない

何故わかりにくくしたか?それは結果はどっちでもいい!と最初から考えているから
右側のほうが多ければ今までどおりの付け替え道路案の縮小(?)で進められるし
左側が多ければ(多分こんなにややこしい文章では分散する)
参考にしますでも右側の案も多いので、と答便する


実は住民投票は市側(市長)もやりたがっていたのではないか(条件付きで)
矛盾するようだが、それは市が数年前に常設型の住民投票ができる条例を制定して
市民が主役の市である証とした
その住民投票条例を実施しないようなことや無視することはできない
しかし、実施して好ましい結果が出ないことは困るならばどうするか、
判断に困る文言にしてしまえ
そうすれば票は分散する
どのみち条例は議員の多数決によるから多少文章がおかしくても押しきれる
住民投票を行った実績は残るし、外(市外)にも伝わって進歩的な市と思われる

こんな考えであっては欲しくないが、
少し推理を働かせば多少の間違いはあるにしてもこの結論に落ち着く

正直なところ、この件はここ数年のうちで一番怒りを覚えたことだ
とてもなにもしないで放っておく訳にはいかない

自分は単純に市民がどう思っているかを確かめて欲しいだけ
その結果が今までの計画案通りであれば、それはそれで仕方ないと思っている
また見直しに決まってもそれを選んだ市民も責任を持たねばいけないなとも思っている
それなのに、この成り行きはなんだろう
こんな小さな市の中で、こんな政治的な策略なされるとは

市議会議員は本当にこれで正しい選択ができると思っているのか
彼らの想像力はまともなんだろうか、そして良心は、、

リコール
そうした声も出つつある
正直なところ、それもあり!と思わざるをえない

コメント (2)
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