午前中の投稿で不明だったというか、勘違いしていたのが市道東新町桜淵線
最初はせめて市役所と体育館の間の道と思っていたが
そうではなかった
実際はこちら↓
実際にはまだできていない道
文化会館の信号を南に向かって(東庁舎を右に見て)ぐるっと廻る道
これは、新市庁舎の付け替え道路として2年前に決定済みの道路ということらしい
そこで先ほどの市道東新町桜淵線の路線の変更を伴わない現計画の見直し
を解釈すると、つまりは、付替道路はそのままでの計画案の見直しとなる
さて見直しというが善意に解釈すれば縮小ということになるが
必ずしも言葉の上ではそうではない可能性がある
見直しは建設費高騰の折、予算が以前計画していたものよりも増える
という意地悪な解釈も可能
どのように見直すかの記述がないのでどうにでもできてしまう
また左側の案、市道東新町桜通線の路線の変更を伴う現計画の見直しも
素直に解釈しすぎてはいけない
路線の変更は道幅を変えただけでも見直しと言う言葉が使える
道路がゆっくり曲がっているのを直角にしただけで
路線の変更ということができる
つまりは、どうにでも解釈できる案であることが明らかになる
それにしても、この市道東新町桜通線のことを市民の誰が
どのくらい知っているかが大いに疑問
住民投票を行う以上前提としてみんなが内容を理解していることが求められるが
市側とすれば今までにも説明してきたし、これからもパネル等の表示で明らかにしていく
ということになりそうだが、それってどうなんだろう、、
知らないほうが悪いのか?
結局はこの住民投票の設問は、前提となる知識のばらつきが大きすぎる上に
選択肢もいかような解釈可能となり、民意を反映したものにならない可能性が大
法律に則って、段取り手順を追ってすれば(理解していなくても)それでいいのか
という問題は、実は人としての良心の問題になる
充分に分かっていないとわかった上でも、法律上に問題がないから粛々と進めていく
というのはどうなんだろう
そこで、変だと気づいた人がいて反対したとしても
数の力でそれが民主主義と開き直ってしまわれたら
何も知らない市民は知らないほうが悪いで済まされてしまうのだろうか
実際のところ、この市道東新町桜淵線が市議会で付け替え道路として決まっていることを
果たしてどのくらいの人が知っているのだろう
そのみんなが知らないことをベースに作られた案について
どう思うかと聞かれても、それは答えようがない
議員の実力、政務能力は優劣があっても仕方ないと思うが
安易におかしなことをほったらかしにするのは
人として本当にどうなんだろう
自分の町は変なことは無いと思っていたが
こんなに変な事になっているとは、、、