パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

政治への参加、興味

2015年03月29日 15時18分12秒 | あれこれ考えること

マザー・テレサによれば「愛」の反対語は「無関心」

確かにそうかもしれない
こと政治に関する分野を考えてみると思い当たる

沖縄基地移設の問題
そしてこの地区では産業廃棄物業者の問題
距離的に離れている人は、話は耳にしても
無関心というしかない反応
それは確かに愛のある態度とはいえない 

みんな自分のこととして想像力を働かせて
しっかり考えましょう 
こう訴えても、なかなか人の心は動かない

最近の新城市の新市庁舎再考を求める活動についても
関心、無関心の差は際立つ
何か変だぞと心のセンサーが働いて行動を起こす人
まるっきり関心のない人
決まったことでどうしようもないと思う人

自分の身に直接関係ないことに関心がない
これらはある面仕方ないと思わないでもない
みんながみんな関心を持って政治的な知識を持って
物事を語るというのは実際には不可能

特に政治的な活動は、法律を知らないといかんともしがたい
この法律なるものを 全員が理解するということはできない
句読点のない、専門用語の羅列の法律文を理解するのは難しいだけでなく
読む気になれないのが現実
だからこそ自分たちの代表としてプロフェッショナルな活動の役割を
ある人物に委託する(議員として選出する) 

ところが、この選出された人たちが真に自分たちの代理人かといえば
そこもどうやら怪しくなってくる
まずその人達の選ばれることになった理由の行動指針自体が
政治的なわかりにくい言葉による抽象的概念
そして例えば気前よくささやかれた言葉は
実際には一人だけでは実現不可能な事柄

もっと意地悪な見方をすれば専門家であると思われる
選択された人々も実は何も知らない人々の集合で
その上のもっと何か意図を持った人に左右されてしまう
一見代議員制で民主主義を実践しているように見えても
必ずしもそうではない可能性はある

しかし、それに変わる方法があるのかといえば
これがまたまた難しい

ならば今はどうすべきか?
議員活動をこまめにチェックしましょう
それもひとつかもしれない
でもこれは持続できそうにない

世の中にはどういうわけか独特なセンサーが働くひとが存在する
今起きている怪しい点、矛盾点、理解できない点にたいして
何か行動を起こそうとする人がいる 
(消極的なことになるが)そういう人に頑張ってもらうしか無い
気がついた人が何か行動を起こす
できれば多くの人を巻き込んで、、、
関心を持ってもらいましょう、とスローガンの連呼よりは
こちらのほうが現実的

本当のところ自分は無関心派だった
それがある人の思いに動かされていろいろ調べたり行動したりした
すると今までわからなかったことが分かるようになり
何やらおかしいぞと思うだけでなく、怒りを覚えることすら
噴出してきた
だが自分と同じ考えを持つ人は多くない (みんなが同意して欲しいということではない)
どうしてもその分野に関心が行かないと言う人は存在する

そう、気がついた人は自分のできることをするしか無い
自分の判断で、自分が自分を褒められるような行動を起こすしかない
(これはハンナ・アレントでも語られた内なる自分との対話みたいなものかな) 

ということで、自分にできることは
何かの役割を命じられたと勝手に思い込むことにして
人を恨まずに実践していくこと、、 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする