ボイテルスバッハ・コンセンサスという言葉を知った
ドイツの主権者教育(学校での?)の基本となるもので
ウキペディアによると
- 1.圧倒の禁止の原則。教員は、期待される見解をもって生徒を圧倒し、生徒自らの判断の獲得を妨げることがあってはならない。
- 2.論争性の原則。学問と政治の世界において論争がある事柄は、授業においても議論があるものとして扱う。
- 3.生徒志向の原則。生徒は、自らの利害関心に基づいて政治的状況を分析し、政治参加の方法と手段を追求できるようにならなければならない。
だそうだ
特に2番目、(学問と)政治の世界のおいて論争がある事柄は、授業においても議論があるものとして扱う
が当たり前のこととされており、これには羨ましくて痺れてしまう
日本では批判は見聞きしたくないと答える若者(学生)が多いとアンケートに出ている(先日の講演のデータによると)
当たり前に存在する意見の相違(論争)を批判と取り違えて、ただただ何もしないことが公平・中立と考えがちのような若者をイメージすると
少し不安を感じてしまう(海外に出たら通用しないぞ)
最近、両論あるなかで一人の人間として行動を起こして話題になっている人がいる
タレントのローラが自分のインスタグラムのフォロワーに対して「WE THE PEOPLE」の署名を声がけしたのだ
(辺野古埋めたて一時中止)
これに早速、賛成・反対(というより意地悪のような)の方面から反応があるのだが、
ここで一番やばいのは、タレントはそういう行為は行うべきでない、、を強要するような意見とか雰囲気の存在
3番目の、自らの利害関心に基づいて政治的状況を分析し、政治参加の方法と手段を追求できるようにならなければならない
を実行しただけなのに、それがとやかく言われるのは少し変(な世界)
普通に考えればこのようなコンセンサスによらずとも、28歳で様々な体験をし分別をわきまえた一人の女性が
自分の内側から湧き上がってきた思いを表に出すのはとても自然なことだし、出さない方が不自然といえる
それをしないならストレスが溜まりそう
何もしないことが中立・公平と考え、ある種の同調圧力に簡単に屈してしまうのが若い人だけでなく
いろんな世界(芸能界)にも多いとすると
なんだかな、、、ちょいと心配、、