何十年ぶりだろう、甘酸っぱい記憶のあるレコードを引っ張り出して聴いた
メモリー 小谷野とも子ファースト
あのときは、誰かを思いながら聴いていて、今でもその時のことを思い出す
伸びやかな湿り気のある声質でインパクトのある歌い方
最初の曲「孤独の旅」とか「雨」が好きだった
だが今聴くと少し恥ずかいというか、距離をおきたい気がしてくる
それはこの世界が「真夜中のラブレター」みたいにあまりにもその世界に入り込んで
客観性を欠いて少し恥ずかしいような気がしてしまったから
このアルバムの世界は、女だけしかわからない世界のようで、男はちょっとついていけないぞ、、
そんな気がした
だがそのうち、こんなふうに感じたのは今回が初めてではなかったことを思い出した
似たような印象を持ったのは、竹内まりやのアルバムを聴いた時もそうだ
中島みゆきのアルバムもそうだったかも知れない
外国人ではジャニス・イアンの「愛の回想録」を聴いたときもやはり似た印象を感じたような、、
(女の世界すぎる、、、ような)
こうした印象は歌詞のある歌だけで感じるものではなく器楽曲でも似たように感じることがある
マルタ・アルゲリッチの弾くバッハ・ショパンは、「女の直感」で遠慮なく突き進む
何故かそう感じてしまう
男と女の差、うまく言葉にできないが、確かに存在する感じ方とか好みとか捉え方、そして表現の違い
女の感じ方はよくわからないが、、男の自分からするとブルックナーの音楽が女性受けしないのはなんとなくわかる
それは男性原理でできているような曲だから
でも残念ながら根拠のあることではなく、ただそう感じる、、というだけで、説明しきれないのが情けない
ところで古谷野とも子さんは伊勢正三さんの奥さんだそうだ
びっくりしたのと、なんとなく納得するような気がした(またもや気がした、、、だけのことだが)