パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

インタビューの答えは自分が考えたものか?

2020年09月01日 08時24分13秒 | あれこれ考えること

8年ほど前、銀座でテレビ局の街頭インタビューを受けたことがある
それはボツにならずに、その後全国放送の番組で流された
(TBSの関口宏のサンデーモーニング「風を読む」コーナー)
その後で突然、知り合いから「テレビで見たよ!」と電話がかかってきた

自分はこの番組を見ていなかったので自分で確かめる術はなかったが
インタビューの内容は覚えていた
それは、憲法改正の手続きである96条をもう少し緩やかにしたほうが
良いとする改憲勢力に対してどう思うか?との問に答えたものだった
その時、なんと答えたのかはあまり覚えていない
ただ、本丸の9条そのものを改正するのではなく、遠巻きに96条を改正
しようとしているのは、その意図を理解しなくてはならない、、、
と言ったような気がする

だが、その時のインタビューの後半では自分はもっと別のことを
それはメディア批判のようなことを熱く話した気がする
今も時々愚痴るが、メディア全体の姿勢が少しばかりおかしいのでないか
そのようなことを伝えた
だがテレビで流されたものは質問とは違うこの点は無視されて、
最初の方のだけを放送されたと思う

時間が経過して急にこのことを思い出したのは、自分の良き思い出を振り返るためではない
もっと現実的に今起きていることに対する違和感からだ
今起きていること、、、それはあと二週間ほどで辞任する安倍さんの後継者のこと
現在もあのときと同じように街頭インタビューが流されている
「安倍さんを支えてきてその路線を継続するには菅さんが、、、」
「国民に人気の石破さんが、、」
「はっきり物を言う河野さんも、、、」

半ば定番化されたかのようなインタビューの意見は、
果たして庶民が自分の考えついた意見なのだろうか?
それは「テレビで言っていることの繰り返し」に過ぎないのではないのか
ついそう思ってしまったのだ
自分で考えるということは、現実にはとても難しい
知らず知らず何がしかの意見に影響されていて、オリジナルな考え方は
情報通の人は特にできなくなっているのではないか
(本を読みすぎる人は、本で得られた知識を頼りにしすぎて
 自分の考え方ができなくなってしまう危険性があるとある人が警鐘を鳴らしている)

テレビ局も回答者の定番化された答を期待しているのではないか
テレビは編集という作業がある
テレビ局の意図と違う意見は、カットとか編集の仕方で違うニュアンスのものになる可能性がある
そしてテレビ局は「全体の空気」というものを創造する

インタビューに答える人について、日本人の場合と外国人のそれと比べると
偏った見方かもしれないが、外国人のそれのほうが一人の人格を持った人間が
判断したものと感じる
日本人の場合は、どこか幼稚でみんなと違うことを恐れたり、難しい問題は
わからない、、と避けてしまいそうな
(大阪のおばちゃんたちの直球な答えはそんな気遣いは感じないが)

こうなってくると、要は「個の確立」ができているか
社会における他人との関係だけでなく「自分との関係」ができているのか
が問われるのではないか、、との自分が常々考えているテーマに行き着いてしまう

とは言っても、現実世界は身の回りにある情報に左右されるのは事実
その情報さえ、ある指向性を持って選択され表現される
受け手である庶民が完全に客観的になることは難しいととしても
報道のこうした危険性を知っておくことは必要と思われる

結局のところ、報道は自らが内的なチェックと検証をし続けないと
その本来の機能を果たせなくなる、、、
などと田舎の人間が思うのは、余計なおせっかいか


コメント
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