ある人の話、あるいは気持ちの変化
彼は家族とレトランに行った
毎月恒例でその日はメニューが安くなるので、もう数年前から続いている
食は保守的と言われるが、頼むものはほとんど毎回同じだ
その日も、前回とは違うが特に変えたというものではなかった
支払い金額は、〇〇くらい、、とメニューをみて計算した
慣れない手付きの男性がレジを行っていた
彼は注文書をみて一つ一つ声を挙げながら入力した
「〇〇になります」
「えっ?」
金額がいつもより1000円以上も安い
ここからが気持ちが揺れたそうだ
「彼(レジ係)は、間違えているかもしれない、ラッキー」
「いや合ってるかもしれない、あれだけ念入りにチェックしていたのだから」
「間違っていたとしても、間違えたほうが悪いから、要求された分だけ払えばいい」
「こんな時、都合の悪い話はみんな黙ってしまうに違いない、、間違った金額を払ったって、、」
彼はモヤモヤしながら要求された金額を支払ったそうだ
でも、心の中はすっきりしない
そこでレシートを確認することにした
するとやはりひとつ料理分がカウントされていなかった
「それで金額が思ったのと違ったのか」
金額の違いのモヤモヤは解決したが、それからどうすべきかは相変わらず残ったままだ
「今日はついてる、ラッキー!」
と考えるのと、
「いくら彼が間違えたからと言って、知らぬふりをするのはいけないのじゃないか」
この2つの思いが数多の中を巡る
結局、彼はレジ係に
「このメニューを打ち忘れてますよ!」
と正直に伝えることにした
その理由が彼らしいものだった
彼はそのレストランの会計が合わなくなること、損することを心配して正直に伝えたのではなかった
またモラルに反しているので行動したのでもなかった
彼は「そのような自分と、これからずっと付き合っていくのがとても耐えられない」
と思ったそうだ
これから折に触れて、あの時悪いことをした、、、とずっと思い続けていく
そして、その度に少しばかり落ち込む
そんな経験は、したくない
何よりも「自分が自分に対しがっかりしたくない」
と思ったのだそうだ
そう考えると、迷っていたのがウソのように晴れてさっぱりと行動できたそうだ
そして先程までは、自分にがっかりするかもしれないと思っていたのが
反対に、自分はエライじゃん、、と自分を褒めたくなった、、らしい
気持ちの移り変わりをわざわざ話してくれた彼
少し変わり者なのかもしれない
でも彼の気持ちはよく分かる
人は社会では他人との関係だけで生きている訳じゃない
「自分との関係」の中でも生きてる
判断基準が損得だけでなく、どういう人間でありたいか!
を追加すると、人は判断を間違えなくなりそうな気がするが、さて