今も思うのだけれど、立原道造のソネット「萱草に寄す」は
その思い浮かべる風景を彼の暮らした軽井沢ではなく
青い広々としたとした牧草と、青い空、ベランダに花を飾った木造の家
そして目の前にはアイガーの壁が見えるスイスのグリンデルワルトを想像すると
とてもしっくり来る気がする
とてもメルヘンチックで、切なくて、若いときしか感じられなかったり
作ることができない作品で、自分が初めて書き写そうとした詩だ
甘ちょろい、、かもしれないが、これらは静かでとても美しい
一番好きなのは「のちのおもひに」 次は「はじめてのものに」
のちのおもひに
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を
うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……
夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
はじめてのものに
ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた
その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた
――人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた
いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた
今でもこれらを読むと、なぜか心が不安になる
どうやら、最近余裕のない自分が自分自身に戻るためには
これを読む時間が必要かもしれない、、、