仮に選挙前の様々な報道(当選予想など)がなかったとしたら
選挙結果はどのように変わるのだろうか?
選挙当日の刻々と変わる投票率を報道しない国があるそうだ
投票率の高低で得する政党、損する政党、個人が出てくるから
それを避けるためとのこと
人を選ぶにはその根拠となる情報が必要だが、その情報は果たして
誰かが勝ちそうだ!といった類のものだろうか
現在の日本では時間が経てばわかる結果を、メディアは競って予想する
現在の自民党の総裁選は「勝ち馬に乗る」という言葉で代表される
政治家個人の後先の損得を考えた判断基準が大手を奮っているし
メディアもそれを、さも価値あるかのように報道する
報道とか知らされるべき事柄は、勝敗の行方の予想ではなくて
選ばれた人が何をなしうるか、、とか、
それを実行しうる胆力とか人間性を持っているか
という点ではないだろうか
もっとも、一般人がそれらを見抜く力があるかどうかは少し疑問だが
もしかしたら、見抜く力がない、、と自覚しているからこそ、
人は他人の選択が気になるのかもしれない
「多数の中に自分がいる」それを自覚するだけで安心するのかもしれない
それは同調圧力などと大げさなものではないだろう
ハンナ・アーレントのアトム化とか西洋の識者が使う「孤立化」が
不安に耐えられない(それを自覚していない)人々の安心する手段として
多くの中のひとり、、という選択をするのかもしれない
話は飛ぶが、(現時点では)結果的に我が国の首相を選ぶことになる
自民党総裁選は、自民党員(代議士・党員)だけで行われる
今回は時間の関係で(?)代議士票が重要視され、少し無視された感のある
地方の普通の自民党員だが、彼らはいったいどんな理由で自民党員になっているのだろう
自民党員は年会費として4000円支払うそうだ
そして党員募集の謳い文句には「あなたが選んだ人が首相になる」
といったニュアンスのことが書かれているらしい
自民党員だけに許された総裁を選ぶ権利、それを実行することで自分の選んだ人物が首相になる
この実感は、思いの外優越感をもたらすものかもしれない
ちょいと自慢したくなる自分の選んだ人が最高権力者になるという出来事、
だがその選択が間違って他の人がなってしまったら、彼は無駄なことをしたことになる
そこで彼は選挙の結果だけが気になる
そしてケインズの美人投票のように、誰が一番美人か?ではなくて、誰が選ばれそうか?
が選択の唯一の基準となる
こうしたことが自民党員の中だけでなく、広く一般社会でも起きているのではないか
もっともこれは日本特有のものか、それともどこにでもあることなのかわからないが
それにしても、最近思うことは、人には正しく人を選ぶ能力があるのだろうか?という点
4年に一度、公開討論会を行う事によって、市民が好ましい選択を行うことができるようになるか
は大いに疑問(ある条例への疑問)
最終的には(根本的には)教育という分野が重要になってきそうで、現在の関心事は
ボイテルスバッハ・コンセンサス
ドイツの政治教育のこと
これは自分が消化できたらいつか取り上げてみよう