パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

田舎もん

2020年09月05日 18時04分28秒 | あれこれ考えること

名古屋で暮らしていたころの話

銭湯にでかけて、脱衣場から浴槽に向かって歩いていると足元に桶が勢いよく飛んできた
驚いて振り返ると、若い男が怒った表情で何か大きな声で言っている
知らない男だ、、
首を傾げて彼の方を向くと、再び言った
「(お前、俺を見て)田舎もんだと馬鹿にしただろう!」

はーーん?
言葉は聞こえたが何を言ってるかさっぱりわからない
第一、彼を見た自覚がない
それに、田舎もんだとバカにした記憶は全く無い
なぜなら自分も田舎もんだったからだ

「馬鹿になんかしていない!」
くらいのことは言ったかもしれないが、その後のことは覚えていない
ただ強烈に覚えているのは彼が「田舎もんだからと馬鹿にしただろう」
と言ったこと

田舎から出てきた人は、人によっては訛りも含めて強烈な劣等感を持っているかもしれない
そんな思いが強く頭に刻まれた瞬間だった
(宮台真司氏の何かの本に、ある時期こうした傾向があったと書かれていたような記憶が)

現在、東京の人口の何%が地元の人間で、どのくらいが地方出身者かしらない
だが地方の人間が大都会に憧れると同時に、自分が都会人と思われたいという思いは、
彼らが現実生活を経験する上で募ってくるかもしれない

東京人のすること、好み、トレンドを追いかけること
それが都会人、、、と錯覚してしまいそうなこと
そうしたことは今ないだろうか?
「田舎もんだからと馬鹿にしただろう」の言葉を思い出すたびに考えてしまう

バリバリの田舎もんの現在、おしゃれな服を着たり、トレンドの店に行くこともない
東京では身近にいるタレントさんも見ることはない
今は太陽に合わせて起きたり寝たりして、深夜の情報番組やお笑いを見ることもない
年齢のせいかもしれないが、つまりは都会にさほど憧れなくなった

田舎もんに思われたくない、、
この素朴な思いが、「みんなと同じがいい」とか「異端に思われたくない}
という傾向に拍車をかけていないだろうか
同調圧力とまではいかなくても、自然にそう思ってしまいそう
現在の社会・政治の状態を見るにつけ、東京にいる地方出身者は
勝手に想像した東京の常識に従わず、自分の素朴な判断に自信を持ってほしいと思う

今日のは意味不明かもしれないが、いつもの独断と偏見で思いついたこと

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「一番ふさわしくない人は?」と聞いたらどんな結果が出るだろう

2020年09月05日 08時11分14秒 | あれこれ考えること

安倍さんの辞任表明を受けて、テレビは次期首相が誰になるかを
どの局も同じように伝えている
派閥間の権力闘争だとか隠された戦略とかは、専門家の言い分をそのまま信じて
想像の世界の可能性でありながら確定した事実のように伝えている
(専門家は裏を取っているらしいが)
そしてそれは戦国時代の各陣営の生き延びるための戦略・戦術を連想させる
(問題は将来のヴィジョンではないところ)
今回は派閥の支持が菅さんに集中し、あまりにも結果が早くから想像できるので
テレビ局が騒ぐほど関心はない

ただ気になるのはテレビ局の報道姿勢で、そんなことがニュースになるのか?
と思われることを平気で横並びで放送しているように思われること
それは「菅さんはパンケーキが好き」とは「岸田さんの勝負ネクタイは、、」とか
「次のファーストレディ候補の横顔」とか、つまりは本質にあまり関係ないことを
時間をかけて報道している

庶民は難しいことを報道しても面白く感じないから、人にフォーカスした内容を
伝えようとしていると思われるが、こうしたメディアの報道は他の民主主義国家
と比べて同じかどうかが気になる

日本の特殊性をつい感じてしまうことはメディアに限らず他にもある
「次の首相は誰がいいか?」の世論調査の結果だ
安倍さん辞任表明時点では世間は石破さんの人気が高かった(現実的かどうかは別として)
ところが主だった派閥が菅さん支持を明らかにした現時点では、世論調査も菅さんが
一番ふさわしい人物として挙げている
先の調査ではわずかしかいなかった人物が、たった一週間ほどの短い時間で
まるっきり評価が変わっている
これはどう考えたらいいのだろう(少し危険ではないだろうか)

世論調査などは結局人気投票に過ぎないのかもしれない
誰に任せたら世の中が良くなるのか、、を考えるのではなく
知ってる人の名前を、そして多くの人が思っている人の名前を上げる
そして自分自身の選択が多くの人の選択と違わないことを知らず知らず願ってしまう
それはケインズの美人投票を実行しているかのよう

ところで、世論調査の質問を「だれが一番ふさわしくないか?」
と変えたら結果はどのようになるだろう
芸能人に対する同様な質問で出てくるような答え
「一番好きなタレントと一番嫌いなタレントは同じ人物」
と同じ結果がここでも見られないだろうか
菅さんは森友・加計・桜問題の際に説明不十分の判定を世間から受けた
政権側の人物なので、それを知っている人は「一番ふさわしくない」
との評価をすることは充分考えられる

結局のところ、上位者を可とする一見まともに見えそうな選択方法も
必ずしも全体の意志の反映とならない可能性があるということだ

選択方法も世論調査も、無条件に良きものとして思い込んではいけないと思う
多数決が民意の反映でない可能性、世論調査が単なる人気投票の可能性
そうした実態を踏まえた上で、庶民はどのような考え方をしたらいいかを自問自答せねば

「わかりやすい」「親しみやすい」
これは、もしかしたら危険なキーワードかもしれない




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