名古屋で暮らしていたころの話
銭湯にでかけて、脱衣場から浴槽に向かって歩いていると足元に桶が勢いよく飛んできた
驚いて振り返ると、若い男が怒った表情で何か大きな声で言っている
知らない男だ、、
首を傾げて彼の方を向くと、再び言った
「(お前、俺を見て)田舎もんだと馬鹿にしただろう!」
はーーん?
言葉は聞こえたが何を言ってるかさっぱりわからない
第一、彼を見た自覚がない
それに、田舎もんだとバカにした記憶は全く無い
なぜなら自分も田舎もんだったからだ
「馬鹿になんかしていない!」
くらいのことは言ったかもしれないが、その後のことは覚えていない
ただ強烈に覚えているのは彼が「田舎もんだからと馬鹿にしただろう」
と言ったこと
田舎から出てきた人は、人によっては訛りも含めて強烈な劣等感を持っているかもしれない
そんな思いが強く頭に刻まれた瞬間だった
(宮台真司氏の何かの本に、ある時期こうした傾向があったと書かれていたような記憶が)
現在、東京の人口の何%が地元の人間で、どのくらいが地方出身者かしらない
だが地方の人間が大都会に憧れると同時に、自分が都会人と思われたいという思いは、
彼らが現実生活を経験する上で募ってくるかもしれない
東京人のすること、好み、トレンドを追いかけること
それが都会人、、、と錯覚してしまいそうなこと
そうしたことは今ないだろうか?
「田舎もんだからと馬鹿にしただろう」の言葉を思い出すたびに考えてしまう
バリバリの田舎もんの現在、おしゃれな服を着たり、トレンドの店に行くこともない
東京では身近にいるタレントさんも見ることはない
今は太陽に合わせて起きたり寝たりして、深夜の情報番組やお笑いを見ることもない
年齢のせいかもしれないが、つまりは都会にさほど憧れなくなった
田舎もんに思われたくない、、
この素朴な思いが、「みんなと同じがいい」とか「異端に思われたくない}
という傾向に拍車をかけていないだろうか
同調圧力とまではいかなくても、自然にそう思ってしまいそう
現在の社会・政治の状態を見るにつけ、東京にいる地方出身者は
勝手に想像した東京の常識に従わず、自分の素朴な判断に自信を持ってほしいと思う
今日のは意味不明かもしれないが、いつもの独断と偏見で思いついたこと