この図は敵方である武田側の落合左平次道久が、
強右衛門の忠義心に感動し、磔にされている強右衛門の姿を絵に残し
後にこれを旗指物に使ったとのこと
ここで感心するのは強右衛門の忠義心の凄さよりも
敵でありながら素晴らしいものは素晴らしいと
形に残した男たち
死をかけた戦いではあるが、憎しみ合っていない
認めるところは認め合って
これは少しばかり羨ましい世界
ところが何時からなのだろう
敵は憎むべき存在になってしまったのは
やられた方は悠長な思いに浸っていることはできないのは
わからないでもないが、
武器が自分の勇気とは関係なく
人を殺める道具になってしまった時から
人の気持ちも変わってしまったかもしれない
戊辰戦争などは憎しみそのものだったかも
多分、人は人を知りさえすれば
それ程憎むことはできない
お互いに家族が恋人があり、同じような感情の存在することを
感情的に知ることが出来れば
戦いは無駄なことと考えるに違いない
兵器の均衡状態によって平和が保たれると言う考え方は
一見現実的に思えるかもしれないが
お互いを知りあう、認め合うという交流をすることは
実はもっと効果的かもしれない(いや無理かな?)
戦いが無くならないのは不可能だとしても
鳥居強右衛門を敵方が描いた時代
此の様な心情の世界であって欲しいものだ