図書館で借りてきた「昭和万葉集」18巻を捲っていると
こんなのが目に入った
○ 未成年の我が長男を母我に許可なく洗脳を教会がなす
○ 予備校へ我が子返せと叫びたる原理教会に我は又来つ
すぐに思いつくと思われるが統一教会のことだ
ページの下には「原理運動」の説明がなされている
この歌は昭和48年の作品で、50年前から既に社会問題に
なりつつあったのがわかる
この時期は自分の学生時代に当たるが、確かにこの頃は
原理研究会に気をつけるように!と聞かされた記憶がある
だが、今こうして目にすると地殻変動は着々と
進行しつつあったのだと再確認できる
こうした庶民の気持ちを色濃く感じる感情表現は
出来事のみを淡々と伝える記述方法よりは
歴史を身近なリアルなものとして受け入れることができる
だからこそ、今の時代も庶民の感情の発露としての何かを
残しておくべきと思う(将来のために)
荒れ気味のSNSのやり取りも、歴史の一つの事実として
研究材料になりそうだ
つまりは歴史は表舞台の政治家同士の権力闘争だけでなく
庶民の生活感、感情に基づくその時代の空気みたいなものを
残すのは意味あることと思われる
話は変わって、この本の不思議なことに気がついた
昭和万葉集は恋愛の歌が少ないみたいなのだ
(全部を見たわけではないので不確かだが)
歌謡曲もポップスもロックも、恋愛の歌が当たり前のように多い
それは外国でも似たようなもの
恋愛感情はどの時代も似たようなものだとしても
時代による僅かな違いを感じ取ることができるかもしれない
そういった面では、誰もが苦労しなくてもわかる恋愛の歌は
もう少し扱って欲しかったかな
(同じのばっかりと思うから避けたのかもしれないが)
明治大正の雰囲気すら引きずっている大学ならではの注意喚起、なのかもれません。