ブラックホールを撮影したニュースが昨日から今朝にかけて話題になっている
個人的にはワクワクしたニュースだが、すごいなと思いつつもふーんとしか感じなかったり
何故そんなに大騒ぎしているか理解できないと思う人もいるだろう
地球の各地の電波望遠鏡で計測し、各地で得られたデータの不足部分は高度なシミュレーションで補足し
概念的には地球の直径規模の電波望遠鏡で視力300万で目で確認できるような画像として
現したということだが、何にワクワクするかと言えば単なるロマンの一言では片付けられない
アインシュタインの相対性理論から導き出される結果としてのブラックホールの存在と確認は
単なる計算式からこのような結果が導き出せる抽象概念にまずは驚く
それに、各地の電波望遠鏡から得たデータの不足部分を補う計算式も、一体どういうものかは
わからないがその存在自体に驚き、人はどれだけのことができるのか、、という点においてロマンを感じる
このブラックホールの撮影は現場の当事者、理論物理学者は嬉しくて仕方ないだろう
いつも羨ましく思うのは、相対性理論からブラックホールが存在するということを理解できる頭の持ち主
彼らの頭の中ではおそらくもっと別の自分だけの仮説として浮かぶようなアイデアが浮かんでは消えていて
それはそれで面白くて仕方ないだろう
その結果が役に立つ立たないは別にして、何かを知りたいという強烈な欲望は他人事ながら理解できる
このような専門的な話には素人は口を挟む機会や要素はない
こうした科学分野に限らず社会は各方面に専門的に分化していることが多く、素人が口出しするとピント外れとなってしまう
ところが世の中には素人が口出しできる1つの分野が存在する
それどころか、その声が大きな力を持ってしまうことがある
それはいま自分たちの生きている世界の方向性を決めること(あるときは政治・あるときは経済)
最近は何事も複雑に関連しあっているので、素人がシンプルに分かりあえたり、難しい問題に判断を下すのは
あまりにも視野が狭すぎて問題がある可能性がある
にもかかわらず根拠もなく自分らは正しい判断をしうる存在、、と思いこむのが大衆とオルテガが説いている
もっとも政治も経済も理屈通りに物事は進まず(専門家の予想したとおりに進まず)
それゆえに専門家の視点や見識・判断も当てにならないと実感している面もそこにはあるかもしれない
一般の人たちは何を持って自分たちは正しいと判断しうるのだろうか
その根拠の1つは多分感情というもの
感情がイエスかノーかを決める
ならばその感情の下す判断は正しいものか、、
何が正しくて、何が正しくはないかという必要とされる熟慮は大概の場合対して問題にされず、
その時の勢いで正しいとされる方向は決まってしまう
結果として多くの人の選んだ道はその後のためになることと考えるか
それとも多くの人の選択は間違えるかもしれないと考えるかは
実は難しい問題で、これは国によって(その国が経験したことによって)その判断は違ってきそうだ
なんかややこしい話になってきたが、ちょいと視点を変えて素人が口を挟みたい話を
それが最近頻発するレイプに対する無罪の判決
新聞では判決文をきっちり読むことができないので専門家の判断がどうであったかは正確にはわからない
だが、新聞を読む限りではとても信じられない出来事としか思えない
いくら専門家の判断・法解釈であったとしてもこれが現実ならば、その法自体も間違っていやしないか、、とさえ思う
こうした素人が素直に変だと感じることは、将来法の変更に繋がりそうで、そうなれば素人は自然法により
正しい判断を下したということになりそうな感じ
スタートのブラックホールの話から例のごとく話がすっ飛んでしまったが、要は素人が口を挟めるのは
科学分野は全く駄目だが、専門知識を要すると思われることでも人間を扱う分野は、つい口を挟んでしまいそう
ということ(でも、それが良いか悪いか、、、、)
相も変わらずまとまらない話