昨日と今朝のワイドショーで、名古屋の地下鉄で男が電車の扉を閉めるのを
何回にもわたって邪魔をし、駅員さんが必死に対応している動画が紹介されて
この男の行為が法的にどうなのか、、と放送されていた
確かに怒りを覚える行為なのだが、ここで不思議だったのは
地下鉄に乗っているすぐ近くの人は何もしなかったんだろうか、、ということ
明らかにまともでないことをしているのを目前で見ているし実害も被っている(はず)
しかし、何も具体的な行動は起こさなかったように見える
これが動画に、彼を叱責する声や行為が映っていなかっただけならいいが
そうでなかったとしたら、、、
少し前、ツイッターで似たような動画が拡散されていた
いい年のおっちゃんが、子供が座っていた(バスの?)席を譲れとゴネて座り込んでしまった
その行為を見ていたおばちゃんが、おっちゃんに文句を言っている動画で
かなり激しい感情のやり取りがあった
おっちゃんにはおっちゃんの言い分があるだろうし、ああ言えばこういうで
話はかみ合わない、、でも、単純に怒りを覚えるし見苦しいし大人気なく思う
そしてここでも不思議に思えたのは、正当な声を挙げているおばちゃんに
乗客のだれも助け舟を出さないように見えたことだ
なんで乗車している人たちはおばちゃんに加勢しないのか、、
それが不思議で仕方ない
(日本以外の国なら乗客が一斉におばちゃんに加勢して
おっちゃんは叩き出されるとのツイートもあったような)
この2つの出来事
目前でなにか理不尽が事が起きている、それに対しては腹が立つし少しばかりの被害も受けている
だがそれに対して声をだすのは少しばかり勇気が必要だし、もしかしたらとばっちりを受けるかもしれない
そんなことはかなわないことで、誰か別の人が言ってくれたり行ってくれればいいことで、自分には関係ないこと、、
それに他の人も自分と同じように考えているようだし、、、、
この乗客の傍観者のようにみえる行いは、拡大解釈をするならば現在のこの国で起きていることへの傍観者の態度に似ている
特に野党よりの姿勢を取らなくても(まともな自民党員ならば、それがいるとして)ずっと続いている現世政権のむちゃくちゃぶりは
声をだしたり行動に移して批判すべきだし、メディアもそれを追求すべきなのにそれができていない
この傍観者としての態度は忍耐力とは違い、それは無気力との表現のほうが近そうだ
現在の見て見ぬふり、傍観者、無気力、今だけ、自分だけ、お金だけ、、
この風潮が導き出すのは、あまり美しくない姿のように思えるのだが
少しニュアンスは違うが、ビートルズのアビーロードのあの美しいメドレーの最後「ジ・エンド」では
and in the end the love you take is equal to the love you make
と歌ってる
(しんどくても自分の手にするものは自分で手にしなきゃ)