パンセ(みたいなものを目指して)

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裁判について(素人が感じること)

2020年12月02日 08時24分23秒 | あれこれ考えること

聞きかじった話!

森友学園事件で公文書改ざんの中心人物と思われる佐川さん個人に対し
賠償金を支払うように求めた裁判がある
そこでは更に証言台に立って公文書改ざんの理由とか実態を明らかに
してほしいとの要望も含まれている

ところが、専門家の話を聴くと「裁判というものは、、、」
と首をかしげる状況にある

まずは佐川さん個人の賠償については、国家公務員法(?)では仕事中に生じた
行為については、個人ではなくて国が支払うとした記述があって
佐川さん個人を訴えてもこの点で負けてしまうかもしれないというのだ

一方、佐川さんへの賠償金の金額の設定(訴状の)はあまり金額が低いと
彼が支払って一件落着としてしまうのを避けるために、原告側は高めに設定してあるらしい

また話は違うが、ある行政裁判では訴状の中に(そちらが)負けた場合は
弁護士費用としてすごく高めの金額を支払うようにするという項目を入れて
裁判参加への意欲を削ぐみたいなこともあったそうだ
(具体的にはどんな内容だったか忘れたが、だいたいこんなふう)

どうやら裁判というものは、勝ち負けを決する勝負事であって
「どちらが正しいか」を決める場だけではなさそうということを最近実感しつつある
(少しばかり経験したので)

双方が勝つためにいろんな理屈を探し、そして相手側の不備を突く
それは本質的な内容の部分ではなく、ほんの入口の部分の手続きをついてくるのもある

そしてその理屈は、素人にはわからない専門家同士の空中戦の様な戦いになる
その空中戦は、一般人の常識とか感情からすると「なんだかなぁ~」と
首をかしげてしまうことが多い(佐川さんの個人の責任のように)

裁判は単に事実認定による公平な判断というのは、絵に書いた餅まではいかないとしても
どうも怪しいものらしい
それは、先のアメリカ大統領選挙前に最高裁判事の欠員の任命に共和党よりの人物を抜擢し
裁判の内容いかんを問わず、トランプさんに有利に働くようになっていると報道された

裁判は結局のところ、「現時点において」とか「実定法の範囲の中で」との限界がある
と言っても、実定法を無視して進めていくのは極めて乱暴な話で、ある程度はその範囲内で
進められるのは仕方ないかもしれない
でも「それでは何かが違う」と湧き上がってくる感情とか怒りは
いくら説明をされても納得できないかもしれない
となると、実定法に定められた法自体が現実を反映していないものではないか
との考えに至るかもしれない
ということで、現時点での法はいつか変わるかもしれない動的なもので
解釈至上主義ではいけない、、となるのだが、これは何も知らない素人の希望を含めた願い

最近、身近な方が裁判を起こしているので、ついこんなことを考えてしまった

 


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