パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

山の思い出

2022年10月07日 10時12分36秒 | 徒然なるままに

最近登山のYou Tubeばかり見ている
ツイッターもおせっかいなアルゴリズムのおかげで
山の写真の投稿が頻繁に見られる様になっている

自分の最後の山は覚えている
爺ヶ岳がそれで、扇沢からの登山道が極めて歩きやすかった
だがその日は途中から雨で合羽を着る羽目になった
冷池山荘に着いて乾燥室に向かうと
そこは湿った衣服が隙間がないほどぶら下がっていた

結局、近くの鹿島槍へは行かずに次の日は帰ってしまった
情けないが気力も体力も貧弱だった

日本3大急登の一つ、中房温泉から燕岳への道は確か2回経験した
夏の暑い盛りではなかったので想像したよりは苦労しなかった
むしろ徳沢から長塀山経由の蝶ヶ岳の方が嫌になるほどだった印象がある

ところが、何故か燕岳の頂上に行ったのかどうか記憶が曖昧だ

こんな写真を撮っているから多分行ったのだと思うが、どうもはっきりしない
その代わり覚えているのは星空だ
星が腐るほど見えた、天の川を英語でミルキーウェイというのはうまい表現だな
と思ったりした
この年は多分、有名な表銀座のコースで大天井から常念へ行って下山したと思う
(思うという記憶しかないのが情けないが)

2回目はもっと寒い時期で燕山荘がその年最後の営業日だった
道は雪が軽く覆っていた
アイゼンは持っていなかったので、登りは良いが
下りは凍っていたら歩きにくいというか怖いなと思い
登っている途中で次の日の縦走はやめることにした

星が腐るほどあったと印象深かったのはこちらの回だったかもしれない
星空を眺めているやたらと寒くて身体が震え、すぐに室内に逃げてしまった記憶があるような、、

それにしても、そこに行かなければ見えない景色がある
馬の背を分ける、、という現象が目の前で当たり前のように現れ、その表現にうなずいたり
山は結局岩の塊なのだ、、と感じたり
思いの外街の明かりは見えるものだと思ったり
何よりも純粋な世界があるような、そんな気がしたりする

山は一人で登った
相手を気遣うのが苦手なせいとか余裕のないせいもあるが
自分のペースで登らないと疲れそう、、と思ったりもした
どんな山も途中で余裕もないほどしんどくなることはあった
特に夜行で寝不足なので身体が重く、頭の中に浮かぶのは
「小屋についたらビール!」そんなことばかりだった
今でも不思議なのは頭ん中でいつだったか忘れたが
「ダテカンバ、ダテカンバ」と何回も鳴っていたのを覚えている

そしてしんどくて、人のことを思う余裕がないほど
自分自身だけ(の内面)に向かうのが、実は自分の求めていた時間なのではないか
と確信に近いものを感じるのだった

飛行機から見ると日本は山の国だ
そして自分は山が四方に見える田舎育ち
原風景は本宮山

山は良いな、、海と山、、自分は圧倒的に山が好きだ
悔しいが今は腰が痛くて山に行けない

行ける時に行っとかないと、、
いろんなことにこれは言えるかも

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 丸と四角 | トップ | 集団の心理の不思議 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

徒然なるままに」カテゴリの最新記事