あれっ!
案外素直に、しかも納得しているみたい!
彼らは怒られて、かえってすっきりしたのだろうか?
これは昨日の少年サッカー練習でのこと
1.2年のグループでは1日に数回喧嘩が起きる
それは順番を追い抜かれたとか、
自分のボールを誰それが取ったとか
たわいもないことなのだが、昨日も
グランドに落ちていた紐のようなものを取り合って
どちらも自分のだと譲らず殴り合い、蹴り合いまで発展してきた
自分は練習時間内の喧嘩はあまり積極的に止めない
それがいいことか悪いことかはあまり自信ないが
止めない理由は子供たちのチンチンになった怒りの
行き場を強引に止めてしまうのはどうかな?
と思うからだ
もちろんその成り行きをよく見てのことだが
無理矢理怒りを押さえつけられるのは少しかわいそうな気もして
とりあえずの感情の発露は許してあげることにしている
そこで少ししたところで仲裁に入って
お互いが気まずい感情になってしまうことを気づかせて
それで喧嘩はいけないことだと言うことにしている
ところが昨日はいつまでも単に意地の張り合いで
大目に見る面もなかったので
もうやめなさい!と言ったのだが全然聞かない
さらに蹴ろうとまでした
流石にこちらも少し腹が立ってきて
「蹴るのはボールだけ、喧嘩になっても人は蹴るな!」
と大声で静止したがその問題となった紐のようなものを取り合って
喧嘩をやめない
「いい加減にしろ!」
いままで子供たちが多分経験したことのないような
強い口調で叫んだ
自分は滅多に怒らない、大きな声を出すことはあっても
「がんばれ!」とか「うまい!」とか「何々君すごい!」とか
「話、止め!」とかその類いがほとんどで
いわゆる大人が怒っているという感じではなかったが、
昨日はその剣幕に二人はビビったようだ
すぐに喧嘩を止め、しおらしく並んだ
そして二言三言やはり目一杯怒っている口調で何か言って
後ろを向かせ、お尻を軽くたたいて
「罰だ、コート2周走ってこい!」
と言ったのだが、その時の彼らの反応が冒頭の印象につながる
つまり、ふて腐れるのでもなく、いやいややっているのでもなく
むしろ練習ごとのように真面目にその罰を受けようとしていた
これには自分の方が驚いてしまった
特に一人は誰とでも喧嘩をして、人の話を聞かないタイプだったので
そんな風に素直に行動することが意外だった
子供たちは普段怒らない人が目一杯怒ったのが怖かったのか
それとも
少しは自分たちが悪かったと思っていたのか
いずれにしても、怒られた割には彼らは
すっきりしているように思えたのは錯覚だったろうか?
子供たちは怒られるのが好きな訳ではないが
決して嫌いばかりではない
ちょうどいいタイミングに叱ってくれた方が
子供たちも救われることがあるような気がする
その前提には大人の子供たちへの思い入れ(少し恥ずかしいが愛情)が必要で
子供たちは真剣に自分たちに向かってくれる人には
けっして裏切るようなことはない気がするが
理想的すぎるだろうか?
だが実感としてそんな風に思えている
それは幸せなことだ
案外素直に、しかも納得しているみたい!
彼らは怒られて、かえってすっきりしたのだろうか?
これは昨日の少年サッカー練習でのこと
1.2年のグループでは1日に数回喧嘩が起きる
それは順番を追い抜かれたとか、
自分のボールを誰それが取ったとか
たわいもないことなのだが、昨日も
グランドに落ちていた紐のようなものを取り合って
どちらも自分のだと譲らず殴り合い、蹴り合いまで発展してきた
自分は練習時間内の喧嘩はあまり積極的に止めない
それがいいことか悪いことかはあまり自信ないが
止めない理由は子供たちのチンチンになった怒りの
行き場を強引に止めてしまうのはどうかな?
と思うからだ
もちろんその成り行きをよく見てのことだが
無理矢理怒りを押さえつけられるのは少しかわいそうな気もして
とりあえずの感情の発露は許してあげることにしている
そこで少ししたところで仲裁に入って
お互いが気まずい感情になってしまうことを気づかせて
それで喧嘩はいけないことだと言うことにしている
ところが昨日はいつまでも単に意地の張り合いで
大目に見る面もなかったので
もうやめなさい!と言ったのだが全然聞かない
さらに蹴ろうとまでした
流石にこちらも少し腹が立ってきて
「蹴るのはボールだけ、喧嘩になっても人は蹴るな!」
と大声で静止したがその問題となった紐のようなものを取り合って
喧嘩をやめない
「いい加減にしろ!」
いままで子供たちが多分経験したことのないような
強い口調で叫んだ
自分は滅多に怒らない、大きな声を出すことはあっても
「がんばれ!」とか「うまい!」とか「何々君すごい!」とか
「話、止め!」とかその類いがほとんどで
いわゆる大人が怒っているという感じではなかったが、
昨日はその剣幕に二人はビビったようだ
すぐに喧嘩を止め、しおらしく並んだ
そして二言三言やはり目一杯怒っている口調で何か言って
後ろを向かせ、お尻を軽くたたいて
「罰だ、コート2周走ってこい!」
と言ったのだが、その時の彼らの反応が冒頭の印象につながる
つまり、ふて腐れるのでもなく、いやいややっているのでもなく
むしろ練習ごとのように真面目にその罰を受けようとしていた
これには自分の方が驚いてしまった
特に一人は誰とでも喧嘩をして、人の話を聞かないタイプだったので
そんな風に素直に行動することが意外だった
子供たちは普段怒らない人が目一杯怒ったのが怖かったのか
それとも
少しは自分たちが悪かったと思っていたのか
いずれにしても、怒られた割には彼らは
すっきりしているように思えたのは錯覚だったろうか?
子供たちは怒られるのが好きな訳ではないが
決して嫌いばかりではない
ちょうどいいタイミングに叱ってくれた方が
子供たちも救われることがあるような気がする
その前提には大人の子供たちへの思い入れ(少し恥ずかしいが愛情)が必要で
子供たちは真剣に自分たちに向かってくれる人には
けっして裏切るようなことはない気がするが
理想的すぎるだろうか?
だが実感としてそんな風に思えている
それは幸せなことだ