パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

怒られても納得?

2008年09月16日 21時03分36秒 | Weblog
あれっ!
案外素直に、しかも納得しているみたい!
彼らは怒られて、かえってすっきりしたのだろうか?

これは昨日の少年サッカー練習でのこと
1.2年のグループでは1日に数回喧嘩が起きる
それは順番を追い抜かれたとか、
自分のボールを誰それが取ったとか
たわいもないことなのだが、昨日も
グランドに落ちていた紐のようなものを取り合って
どちらも自分のだと譲らず殴り合い、蹴り合いまで発展してきた

自分は練習時間内の喧嘩はあまり積極的に止めない
それがいいことか悪いことかはあまり自信ないが
止めない理由は子供たちのチンチンになった怒りの
行き場を強引に止めてしまうのはどうかな?
と思うからだ

もちろんその成り行きをよく見てのことだが
無理矢理怒りを押さえつけられるのは少しかわいそうな気もして
とりあえずの感情の発露は許してあげることにしている
そこで少ししたところで仲裁に入って
お互いが気まずい感情になってしまうことを気づかせて
それで喧嘩はいけないことだと言うことにしている

ところが昨日はいつまでも単に意地の張り合いで
大目に見る面もなかったので
もうやめなさい!と言ったのだが全然聞かない
さらに蹴ろうとまでした
流石にこちらも少し腹が立ってきて
「蹴るのはボールだけ、喧嘩になっても人は蹴るな!」
と大声で静止したがその問題となった紐のようなものを取り合って
喧嘩をやめない

「いい加減にしろ!」
いままで子供たちが多分経験したことのないような
強い口調で叫んだ
自分は滅多に怒らない、大きな声を出すことはあっても
「がんばれ!」とか「うまい!」とか「何々君すごい!」とか
「話、止め!」とかその類いがほとんどで
いわゆる大人が怒っているという感じではなかったが、
昨日はその剣幕に二人はビビったようだ

すぐに喧嘩を止め、しおらしく並んだ
そして二言三言やはり目一杯怒っている口調で何か言って
後ろを向かせ、お尻を軽くたたいて
「罰だ、コート2周走ってこい!」
と言ったのだが、その時の彼らの反応が冒頭の印象につながる

つまり、ふて腐れるのでもなく、いやいややっているのでもなく
むしろ練習ごとのように真面目にその罰を受けようとしていた
これには自分の方が驚いてしまった
特に一人は誰とでも喧嘩をして、人の話を聞かないタイプだったので
そんな風に素直に行動することが意外だった

子供たちは普段怒らない人が目一杯怒ったのが怖かったのか
それとも
少しは自分たちが悪かったと思っていたのか
いずれにしても、怒られた割には彼らは
すっきりしているように思えたのは錯覚だったろうか?

子供たちは怒られるのが好きな訳ではないが
決して嫌いばかりではない
ちょうどいいタイミングに叱ってくれた方が
子供たちも救われることがあるような気がする
その前提には大人の子供たちへの思い入れ(少し恥ずかしいが愛情)が必要で
子供たちは真剣に自分たちに向かってくれる人には
けっして裏切るようなことはない気がするが
理想的すぎるだろうか?
だが実感としてそんな風に思えている
それは幸せなことだ


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黄金虫は金持ちだけれど、、、

2008年09月15日 16時57分23秒 | Weblog
黄金虫は金持ちだ
金持ちだけれどケチンボだ!

これはすぐ下の妹が、子供の頃歌った歌
もちろん元歌は
「黄金虫は 金持ちだ
金蔵(かねぐら)建(た)てた 蔵建てた
飴屋(あめや)で水飴 買って来た」
なのだが 我が家では妹のこの歌詞の方が
何々ちゃんが作った歌として残っている

しかし今改めて眺めてみると
案外本質をついているような、、、

金持ちはケチなのか
ケチだから金持ちになったのか、、
いずれにせよ自分の知っているお金持ちは
案外慎ましやかなのは事実だ
(見習うべき?)


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贅沢なこと

2008年09月15日 16時46分20秒 | Weblog
昨日は中秋の名月
我が家では芋とススキを飾って月を迎えた

こうした行事 一つ一つにちゃんといわれがあるのだろうが
振り返ってみると子供の時にやってもらったことは覚えている

節分は子供だった兄弟が一部屋に集まって
電気を消して真っ暗にしてから
豆、お菓子を大人が投げてみんな
大声を出しながら妙に興奮しながら分捕り合戦を行ったりした

女の兄弟の多い我が家では
桃の節句前には押し入れからひな壇を出して飾ったものだが
菱餅の形と色、そしてひな壇の作る時と片付ける時の
まるで楽屋裏みたいな光景が頭に浮かぶ

端午の節句はひたすら柏餅と菖蒲湯
七夕さんは近くの畑で里芋の葉っぱからとってきた水で
墨をすって短冊に何か書いたし
つまり このように何かしてもらったことは
それが今の自分たちにとってどんな意味があるかどうかは
わからないが、とても幸せな時間だったと懐かしく感じるのは
間違いのないことだ

子供心に確かに残っている記憶
そうしたことのためにだけ親たちが何かをする
それはとても尊くて贅沢なことのような気がする
できることなら、どこの家庭でもいつまでも続いてほしいものだ
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来年はバッハ

2008年09月13日 07時57分44秒 | Weblog
ゴールデンウィークの恒例のイベント
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(熱狂の日)
第4回目の来年はバッハがテーマ作曲家

低価格で、普段聞けないような楽曲も聞けるし
毎年楽しみにしているが、外してはいけない
プログラムをちょっと想像してみた

音楽の捧げもの
無伴奏ヴァイオリンソナタ(チェロ組曲のほうは少し苦手)
パルティータ
ロ短調ミサ(受難曲はそんなに気楽に聞く気持ちになれないので今の気分的にはパス)
カンタータを少し

こんな風に並べてみるとバッハはまじめな楽曲が多いと思わざるを得ない
というか結構理屈っぽい作り方をしていると改めて感じてしまう
(やっぱり自分はモーツァルトが好き!)

それにしてもこの音楽祭、初年度は簡単にそれなりの席が
確保できたのに段々(特に著名な演奏者の場合は)
チケットがとれなくなって少し残念

来年のことを話しても鬼が笑わない時期になってきたが(?)
先に楽しみがあるというのはよいことだ

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刹那的であれ、一日を生き延びることはいいこと?

2008年09月11日 22時21分06秒 | Weblog
アルコールの消費量は
景気のいい時と悪い時に増えるといわれていた
いい時は、それこそ浮かれ気分でぐいぐとやるだろうし
悪い時は、飲んで何かを忘れないと、とてもやってられない
というわけだ

さて今はどうか?
一般に商売をしている人はこの先のこと考えると
思いっきり滅入ってしまいそうだ

サラリーマンにしたって同じこと
原油を始め値上げの嵐が吹き荒れているが
給与は上がらない
普通の人はそんな時どうするかといえば
当たり前のように、いろんなことを我慢する
買い物、外出を控えたり
無駄なものを買わないようにする

しかし、一方商売はそんな人ばかりでは
昨年対比はクリアできない
ましてこれから人口の減少が現実のものとなってきていて
こうなると昨年対比という目安自体が果たして現実的なものか
疑問に思えてくる

多くの中小零細の小売業は
圧倒的な資本の力に押され廃業、倒産という
運命に否応なく導かれている
仮に今は大丈夫としても時間の問題と
うすうす感じている人は少なくないはずだ

だから今の商売をしている人たちは
言いようのない不安
「いったいこれからどうなるのか?」
が頭から離れないのが現実だろう

解決策は自分で探すしかないのだが
毎日毎日頭にもたげてくるこの不安は
個々の力ではなんともならない とまで
思いつめることになりそうだ

そんな時アルコールで
その場しのぎの気分転換をするのは現実的かもしれない
いや酒におぼれて現実逃避はダメだ
という声も聞こえそうだが
他に良い方法がある訳でもないなら
使い方によっては良い方法かもしれない

酒を飲んで愚痴って
何も解決するわけではないが
それでも気分は晴れるかもしれない
そうして一日一日を過ごしていく
そんなのは戦時中のこの国の一日だったのではないか
勿論酒はなかっただろうが
とにかく一日をクリアしていく
たとえ刹那的であったとしても
自ら命を絶つよりはずっといいような気がする

鬱からくる、交通事故死よりも多い自殺
一歩間違えれば誰にだってその可能性はあるわけで
それを防ぐには、大げさな根本的な解決方法だけに頼らず
庶民は庶民の方法で何とかしていかなければならない

それにしても政治家というかたがたは
庶民の気持ち、窮状を口にするが
本当に実感として身にしみているのだろうか?
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一文字有り無しで、違うニュアンス

2008年09月10日 22時18分53秒 | Weblog
「そうだ 京都、行こう。」
ご存知JR東海の京都観光キャンペーンのキャッチコピー
もう長いこと使われているが自分は今年のGW
東京駅でしっかりポスターを見るまで
「そうだ 京都に 行こう」
だと思っていた

本当は「に」が入っていなかったのだ
ずっと自分中では「に」が入っていたので
入っているほうがしっとりしたリズムがあっていい
と思ったりしたが
確かにポスターに文字として書かれたら
「に」の字は邪魔かもしれない
(ちょっと説明的過ぎて)

だが、音にすると「に」があったほうが
自分にはブチブチ切れなくて心地よく思える

もう少し考えてみると
「に」が無いほうは
そうだ 「行こう」 という動詞にかかるが
「に」があるほうは
「京都」という場所を強調しているように感じられる

ま、どっちでもいいことなんだろうけれど
作った人たちは一生懸命考えたのだろう

ところで最初の一行でノックアウトされ
その静かな叙情的な世界に引き込まれてしまった
北杜夫の「幽霊」
ここでも自分の記憶はずっと違ったままだった

魅力的な第一行は
「人はなぜ追憶を語るのだろうか」
が正しいのだが、自分の記憶は今度は一文字抜けて
「人はなぜ追憶を語るのだろう」
だと思っていた。つまり最後の「か」が抜けていた

たいした問題ではないけれど
その本を読んだ時は
「か」がないほうが
静かなトーンの世界に入りやすかったのか
かってにそう読んでいた

それにしても北杜夫
「幽霊」「木霊」と続く最初の予定では、
4部作になるはずのシリーズ作品は
結局なさそうだが残念な気がしてならない
もっともあのような作品は若い時しか書けない
種類のものだろうが
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「漫画を見る」より「漫画も見る」

2008年09月08日 22時11分37秒 | Weblog
本棚を見ればその人の人となり
人間性を推察することができ
レコード(CD)ライブラリーを見れば
趣味のよさを感じることが出来るといわれる
つまり、それらを覗かれることは
裸を見られるようなことかもしれない

ところでこの国の重要な人物になろうとしている人
いくら人気取りに効果的であるとしても
「漫画を愛読している」は少し子どもっぽすぎる
それを面白おかしく伝えるマスコミも
あまり知性を感じない

ベースに政治、哲学などの本が並んでいて
そこに「漫画も」割り込んでいるならいい
しかし、優先順位が漫画が先では
外国の人から見れば普通に変に思われないだろうか

前の変人の方は「オペラ」が好きと公言し
今は音楽遍歴の本を出しているが
一般的に親しみやすいかどうかはさておき
こちらのほうが表立って外国人に紹介する時には
抵抗感がなく伝えられそう

今の世の中、なんでもわかりやすいこと
親しみやすいことが良いことになっているようだが
そんなんでは表現できない問題があることを
マスコミも我々も認めなくてはならない
そうでないと西欧の知識人たちには
結局いつまでたっても勝てないような気がしてならない
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自分たちで勝負の結果を決めるな!

2008年09月07日 08時54分25秒 | Weblog
もし3点目の中村憲のラッキーな点がなかったら
終盤のバタバタしたゲームにはならなかったかもしれない

前半で2-0のリードはそれほど安全ではなかった
確かにバーレーンは3点取る力があるようには思えなかったが
2-0からの逆転はサッカーではよくあることで
自分らも何度となく経験してきたので多少の不安はあった

それが相手のディフェンダーに当たって少しコースが変わった
中村のすばらしいシュートで
これで勝ちだ!と多くの人が思ったに違いない
いみじくも岡田監督がインタヴューで答えたように
「3点目でベンチも選手もホッとしたようだ」

後々のバタバタはこれが原因だっただろう
戦っている選手たちのホッとした気持ちはわかる
だが勝負は自分たちが勝ち負けを勝手に決めなくても
時間がくれば教えてくれる
それまでは緊張感を抜かずに戦わなければならない

子供たちの試合でも対戦相手が自分らより格下と
なめてかかったとき、不運が続いて入らなかったりすると、
もう流れはなかなか自分らにこなくて苦戦することがある

そんなとき自分が彼らにかける言葉は
「自分で勝手に勝負の結果を決めるな!
 時間がくれば結果は出るのだから
 それまではしっかりと戦え!」

後で二三人に聞いてみるとやはり試合の前から
勝つに決まっている!とふわっとした入り方をしたらしい
との答え

つまり大人でも子供でも緊張感が欠けると
同じ結果になるということだ
だが流石に3点のアドバンテージは大きく結果的に
勝ち点3を確保できたのはよかった

この試合、特に誰が良かったというのでもなかった
田中はキビキビしていたが少し気持ちが入り過ぎ!
そして左サイドのときよりは右サイドの方が良さそうだ

本当はこのように誰がよかったなどと
はっきりしない試合の方がいいのかもしれない
個の部分では物足りないかもしれないが
チームとして戦っている感じはする

まだまだ始まったばかり
いろいろ問題点が出てきそうだが
何となく全体のレベルが下がっているような気がしてならないのは
心配症の所為だけ?
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当たった!

2008年09月04日 21時51分21秒 | Weblog
午後のひととき、車でちょっと出かけることがあって
ラジオをつけると(NHKFM)流れてきたのは
K550 ト短調の交響曲の第2楽章
いつものように、さて誰の演奏か?
と、耳をそばだて演奏の特徴をしっかり把握しようとした

柔らかくブレンドされた音色
一つ一つ丁寧な進行
これはヴァントの指揮かな?いやヴァントに違いない!
そんな風に思うとそれ以外には考えられなくなってしまった
少なくともラテン系の音ではない、
スラブ系でもない

結局、目的地に着くまでに曲が終わって
演奏者の紹介を聞くことができたのだが
大当たり!
やっぱりヴァント指揮だった

しかし、このお遊び
当たる確率は昔の方が高かった
それだけその手の音楽を聴いていたのも事実だが
最近の演奏が当たりにくいのは
個々にあまり特徴がないせいかも
(アーノンクールは苦手ですぐわかるが)

それでも、その演奏者が若い人か、年配者か
ラテン系か、スラブ系か、中欧系かみたいなところは
何となくわかる気がする
これは指揮に限らずピアノ、ヴァイオリンでもそうだが(?)

やっぱり人間のすること、どこかにその人の個性がでるものだ
当たり前と言えばそれまでだが
不思議なものだ
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最高裁裁判官国民審判の判断材料

2008年09月03日 21時39分41秒 | Weblog
衆議院選挙とセットにされて行われる最高裁裁判官国民審判
前にも文句たらたら書いたが
実際のところ全然現実的でないし全くもって形骸化している

いったいどんな人か一般の人にはわからないし
その人たちの実績を表す国から配られる1枚の紙も
よく読んだところで専門的なことが書き連ねてあって
いったい何のことやらわからない

たとえわかったとしても全員一致の判断例ばかりでは
こちらの判断のしようがない

ところでジャーナリストの大谷 昭宏が司法の問題を提起しているが
(国が被告の裁判は絶対と言っていいほど勝てないことの不公平なことなど)
そんなこともあって新聞を読んでいたら
沖縄密約国賠訴訟:西山さん敗訴確定 賠償棄却、沖縄密約存在触れず--最高裁
記事が載っていた

これは沖縄返還を巡る日米交渉の密約をすっぱ抜いたことが
いつの間にか西山記者個人のモラルの問題にすり替えられ
長いこと本当に問題とすべき事柄がほっておかれた事件だ

言葉や解釈上の問題で正確に判断しなければならないのはわかっているが
それでもここまでの流れには何か政治的な意図が感じられてならない

そこで今回の裁判 裁判長は藤田宙靖氏
これは国民審判の時の判断材料にさせてもらおう

その前に自民党旧橋本派「平成研究会」(平成研)の
1億円ヤミ献金事件出の裁判では最高裁第1小法廷(泉徳治裁判長)は
村岡被告の上告を棄却する決定をした
これも素直に納得できるようなものではなく
いい加減な手打ちみたいな気がしてならなかった

つまり司法は独立していないとしか思えない
判断がされている

だから我々のできることといったら、こうしてこまめに
問題となる最高裁判断の、その時の裁判官の名をしっかり覚えておいて
好ましくない人には自信を持って、信念を持って×をつけなければならない

それにしてもここまで形骸化している国民審判
このシステムに誰もおかしいと思わないのは何故なんだろう
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