パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

マイルスの音

2009年09月11日 21時36分26秒 | 音楽
ジャズといえばマイルス
あまりジャズそのものを聞かずに
耳学問だけの頃の自分にとっては
それが代名詞だった
ところが、その音楽が理解できたかどうかは
(楽しめたかどうかは)
正直なところ疑問な時期があった

人並みに知ったかぶりをしてレコードを買って
聞き込んだものの、さほど感動しない
最初が「マイルス・ストーン」
マイルスよりもキャンンボールの方が
おいしいフレーズ、聞きやすい
なんでこの人の名が表に出るのだろう?
と思ったくらい

次に「カインド オブ ブルー」
きわめて有名なアルバムで、ライナーノーツに
あれこれ書いてあったが、それで納得して楽しめたか
と言えば答えはノーで、いつもA面だけで違うレコードに
移る事が度々あった

「スケッチ オブ スペイン」
「サムシングエルス」
これらも部分的には引き込まれたりしたが
特に深いところまで行ったかどうかは言いきれない

頭でっかちの情報過多で手にしたのが
「ビッチェズ・ブリュー」
いつものジャズとは違ってリズムが
ロックに慣れた耳には聞きやすかった

これは車のCDチェンジャーに入れて聞いていたのだが
ある時ビッチェズ・ブリューから別のアーティストの
音楽に移った瞬間 急に精神的にホッとした自分に気がついた
今までの緊張感はなんだったのだろう?

そんな事が2回ほど続いて不意に
この緊張感に満ちた音楽、息を詰めるような音楽が
マイルスの音楽かもしれない!と思ってみると
急にその事を確認したくなって、改めて今までのレコードを
聞き直してみた

なるほどやっぱり緊張感に満ちた音だ
無駄が無いような張りつめた感じの
思いっきり吹いているときでも緊張感はついて回っている

しかし依然として「カインド オブ ブルー」は
正直そんなにいいとは思わなかった

ところが、ある時「カインド オブ ブルー」の
B面をかけて、何かよそ事をしていた時
その音楽の心地よさ、ライブの良さ、充実した音楽が
抵抗感無く語りかけてきた
「あれっ!」
それでもう一度B面をかけ直し真剣に聞いてみると
成る程これは良かった

よかった!というより初めてマイルスの音に慣れて
感動できる耳になった気がした
確かにマイルスの音はこういう音!
と思う様になってから音楽はより説得力をもって語りかけてくる

「ネフェルティティ」や「E・ S・ P」
モンクとの俗に「喧嘩セッション」と呼ばれる演奏の入ったレコード
(マイルスもいいがモンクもいいぞ!)
それらを始めもう少し収集したくなってきた
(しかもレコードで)

最初は気取ってジャズを聴こうとした自分で
難しそうな事が価値あるような振りをしていたが
今レコード店に行ってマイルスを探すと
あまりにもメジャー過ぎて入門者用の
恥ずかしいくらいな扱いしかなされていないみたい

しかしそれでもあの緊張感に満ちた
マイルスの音は
確かに病み付きになりそうな魅力に満ちている
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イタリアと日本

2009年09月10日 21時18分38秒 | Weblog


上の写真は、夏休みにイタリア旅行した妹夫妻が撮影したミラノの
建築物(よく見かけるが残念ながら自分は名前は知らない)



続いてはヴェネチアから
しかし、やはりこれも知らない



雰囲気はがらっと変わってこれは京都 泉涌寺



上の写真は 紅葉がきれいな事で有名な東福寺の方丈の庭園

こうして並べて比較するとその違いがより鮮明になる

西欧の建築物は、より壮大なもの、永遠なもの、意志的なものへの
傾向が強く感じられ見るものはその力に圧倒される

一方日本の建築物は、やはり作り込んでいる点では同じでも
どこか自然と一体化するような、自らを誇示するようなところが無い

圧倒されるのとホッとする感覚
そのどちらが好ましいかは
その時々の自分のコンディションによるだけで
優劣は付けられない

ただ年齢を重ねると保守的になると言うが
確かに日本的なものが
(昔は地味で渋くて派手さが無く思えたものが)
じんわりと心にしみいってくる様になったのも事実

アニメだけでなく、日本にはまだ誇るべきこのような文化の程度の
高いものが数多くある
それらをないがしろにしてお金になりそうな流行ものばかりに
関心がいくのは少しばかり不安

アニメの殿堂よりも先にすべき事は
たくさんありそうに思えるのだが、、、


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一気に3点、逆転勝ち 対ガーナ戦

2009年09月09日 21時06分37秒 | サッカー
点が入るときは入るもんだ
ガーナ1-0日本
ガーナ2-0日本
ガーナ2-1日本(中村憲)
ガーナ3-1日本
ガーナ3-2日本(玉田)
ガーナ3-3日本(岡崎)
ガーナ3-4日本(稲本)

仕事から帰って見始めたのは
20分くらい過ぎたところから
割合スムースに縦にボールが動いていたので
先発は中村俊ではなくて本田かな
と思ったがよく見るとやっぱり中村俊
でも今日は持ち過ぎずにシンプルにさばいていたので
存在感は無かったがチームとしては機能していた様にみえた

前半リードされて終わったので
得点の為に選手の交代はあるけれど
今日は中村憲の方は代えないでほしいと思ったが
最初は前田に代わって玉田
(前田は結構よかった、前でボールが少しだが落ち着いたのは彼のおかげ)
次に離されてしまったので
中村俊に代わって本田
長谷部に代わって稲本
(いろいろ言われる様に中村俊と本田の両立は難しいかも)
とにかく中村憲が残ってよかった
必ずしも彼のファンと言うわけではないが
縦のパスを狙っているのは彼くらいだし
その確率も高いので期待感を感じさせる
(自分には、確かに決定的なパスは多いかもしれないけれど
 中村俊の方はゲームが遅くなるというか
 スピーディーさに欠ける流れの傾きそうで一寸使いにくいかな)
中村俊が抜けて3点取れたのは、たまたまだったかもしれないが
前に前にというスピード感が出てきたのは事実

本田は相変わらず、もそもそ歩いてあまり守備しないが、
それでも効果的にシンプルに正確にボールをさばいて
やっぱりセンスを感じさせる

玉田、時々この手の豪快な一発を見せる
ブラジル戦、バーレーン戦(?)そして今回
できることならもう少し高い確率で願いたい

岡崎、らしい一発見事!
稲本のクロスもドンピシャ

稲本、いいシュートだった
強烈ではないがコースを狙ったクレバーな
そして運のよいゴールだった

正直なところ、前半見たところでは
ガーナはそんなにそんなに強くないと思えた
身体能力の凄さを前面に出すのではなく
割とオーソドックスに攻めてきたので対応できたのかもしれない

ところがゴールキーパーからのキックで
その桁外れの身体能力を駆使してのゴールをしてから
彼らの狙いは自分たちの特徴をフルに活かす戦術に切り替えてきた
確かに日本人にはこの手の攻撃の方が効果的
(日本人は苦手)

効果的な攻撃方法と言うのは
きれいに崩す事ではなく、得点の確率の高い攻撃をする事
それはあるときは個人プレーかもしれない
それでもいいじゃないかと思うが
どうもこの個人プレー的なもの日本人はあまり好きじゃないようだ
だが、最後に一番頼りになるのは
こうした個人の力に頼るプレーヤーなのも皮肉な事実だ

幸いこの身体能力を活かすガーナの戦術も
ワールドカップ予選の疲れが出て途中からブレーキがかかったり、
暖かい国に見られる集中力の欠如が見られて
結果は日本に傾いた

しかし、オランダ戦よりは気分的にはいいけれど
はたしてワールドカップの底上げにつながったのか?
と言えばおおいに疑問
テストすべき人物もたいして時間を与えられず
これじゃあのジーコと同じで勝ちにこだわって
熟成はするが底上げが見られないチームになりそうなのが不安だ

時間はあまりないが、
もう少しいろんな人物のテストも必要なのでは
中沢、闘莉王の代わりは?
内田の代わりは駒野だけでいい?(石櫃は?)
もっともあれこれ心配するのも
ワールドカップの楽しみ方の一つかな
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うどん屋のそば、そば屋のうどん

2009年09月09日 05時52分26秒 | Weblog
少し意地が悪いかもしれないけれど
がっかりする確率が高いのは、自分の経験上では
うどん屋のそばの方

もっとも専門店をうたっているところは
両方を出している事は少ないので
大衆的な立場の店での話だけれど

うどん屋のそばは、うどんの発想でそばを食べさせている為に
そば好きの気持ちを掴む何かが足りない
そばの香りが無かったり、汁が物足りなかったり

一方そば屋のうどんは、どちらかといえば
そんなに間違いは無い

そういえば、そば屋とうどん屋の店のつくり
専門店になるとその趣がずいぶん違う(ように思われる)
そば屋は伝統的な日本家屋風 少し暗めの室内
梁を見せたり、色使いも白と黒のシンプルに徹している事が多い

うどん屋の方はもう少し敷居が低い感じ
誰でも入りやすいような窓の多い(?)
明るい感じの割合現代的な建物も見かける

うどんとそば
その作る人のキャラクターは
そのどちらを選ぶかで決まってくるもの

ところで自分の好みは
「今は」そばの方かな?
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日本の車窓から

2009年09月08日 05時29分51秒 | Weblog
ゴールデンウィークの東京
ぽっかり時間が空いたときの京都
これがここ数年の旅行

一昨日の7日、少年サッカーの練習は地域の運動会で中止
久しぶりの完全オフの日曜
ということで京都に出かけた

旅行の楽しみは電車
車窓から眺める景色が好きだ
なによりもボーッとしていられる
何の脈絡も無い考えがあれこれ浮かんで
昔を懐かしんだり、季節の移ろいを感じたり
大げさに言えば自分との対話ができる感じが好きだ

景色に飽きれば本を読んだり
眠り込んだり(ホント電車の中は熟睡できる)
お酒を飲んだり
「乗り鉄」と言えるほどではないが
電車は便利なだけでなく、風情があっていい

さて、車窓から眺めていて意味も無く浮かんできた印象は?

「ずいぶん電信柱が多いな」
世界の車窓から等と比べて何か違うのは
この電信柱の所為かもしれない
バイタリティーにあふれた電信柱の多い光景だけれど
残念ながら美しくない

美しくない!
これだけの理由で電信柱をなくす事に取り組むのは
無謀な事?
もっとも理由の一つや二つは他にもつけられるけれど
根本は美しくないから電信柱の無い風景にしたい!

美しくないといえば家の佇まい
コンクリートうちっぱなしの家やら
トタンの家やら今風の外壁材の家やら
色もスタイルも本当に種々雑多過ぎて
いったいここはどこの国か?と思えるほど

もう少し何らかの統一感があった方がきれいなのに
と思うのは当事者でないから言える事?

この家々の外壁
新しいものもあれば古いものもある
気になるのは古くなったときの美しさが
自然素材のものは経年変化と言う言葉で現されるように
これもまた別の味わい
くらいの感覚で受け入れられるが
うちっぱなしのコンクリート等は時間が経つと
ただひたすら時間が経っただけ
シミが浮かんできたり、色が沈んできたり、、、

ここでまたもや美しいと言う観点で
外壁材の業者に頼みたい事は
機能だけで製品開発するのではなく、
時間が経ったときでも美しくいられるようなものの開発
といってもいつまでも新品のままなのは不自然
年を重ねてもそれなりの変化を重ねて
周囲に違和感を感じさせないようなもの

日本にはいろんなクラスの人がいるが
基本的にはモノにあふれている国といっていい
これからは「美しいか否か」と言う判断基準で
物事を考えていく事も必要なのでは
美しければ観光立国としての立場を確立できるだろうし






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失速! 

2009年09月06日 05時45分24秒 | サッカー
終わってみれば「やっぱり!」の結果
(日本0-3オランダ)
オランダは強かったと言うより
日本は相変わらず!の印象が残るだけ

始めはスピーディーな試合運びで
案外いけてると期待させたが、問題は
この調子いつまで保つかな?
という点 飛ばし過ぎでいつかスタミナ切れ起こしそう
を予想させたが、案の定の結末

最初の日本のペースにもかかわらず、正直なところ
オランダはユーロの時のロシア戦ほどバタバタしていなかった
どこか見切ったところがある感じ
個々の力が結局はロシアに比較しても劣ると言う事かもしれない

この最初にハイテンションで入るやり方
まるでどこかの強豪校と言われる高校のサッカーみたい
いきなりのプレスで驚かせてペースを掴み
あたふたしているうちに得点し、やる気を失わさせる

だがこの方法も、しばらく耐える事ができると
徐々にそのリズムに慣れてきて何となく対応できるようになり
攻め手を失っていく
まさにこの試合もそんなところ
違っているのは守っている側に(オランダに)
まだ余裕があった点

前半のシュートの際
岡崎、玉田とも、もうワンテンポ早く撃たなければ
と思わせるシーンがあった
ドリブルで仕掛けた部分だが1回持つのが多かった

そして誰だったか中央で受けたボールを
シュート撃たずに回してしまったところ等は
思わず、シュート撃てよ!
と腹が立つと同時に、日本はどうしてこうなのかな?
と思わずにいられなかった

オランダでは子供たちが(そこそこの大人でも)集まって
勝手に練習を始めるとシュート練習ばかりする
ドイツだったかフランスはパスの練習ばかりとか
ならば果たして日本は?

どうもシュート練習ではなさそう
数的優位の作り方、組織的な守り方など?

実際に子供たちの練習でシュート練習の時間の少ない
チームはそんなに珍しくない
練習の成果が全て試合に反映されるのだから
シュートが入らないのならシュート練習をすべきなのでは?

本田の得点力がアップしたのは
同僚のFWと競ってシュート練習をしているからだとか

それとノーステップ、ワンステップキックで
シュート、サイドチェンジする練習の必要所為もあるのでは

かつて柏に在籍したストイチコフはワンステップで
大きなサイドチェンジを行ったが
それは常々の練習の成果だ
と述べていた事があった

またチェルシーとの1戦で貴重なシュートを決めた
バルサのイニエスタ、あれもノーステップのキックだった

現実に多く使われないかもしれないが
使えれば役に立つこと
そうした事の積み重ねが個々の力となるのだが
この部分が日本の選手はみんな教科書的過ぎたりする
(2.3人違うのもいる?)

ところでワールドカップ本戦まで1年を切って
現実的に強くなる方法を模索しなければならない
しかし、岡田さんの方法は現実的であっても
もう伸びシロが無いようで、あまり期待できそうにない

この際、もう少し固定メンバーではなく
怖いもの知らず!の連中を入れてみるのは?
と思っても、いざ誰を?となると首を傾けてしまう
困ったものだ
確かに一時期から比べると代表のレベルは落ちているかもしれない

先日、昔のビデオ見ていたら
あのクロアチア戦以来、評判の悪い柳沢だが
全盛期のすばらしい事
あれだけの仕事をコンスタントに発揮できるFWが
今見えないのは残念な事だ

オランダ戦、
中村俊、長谷部は普通、
中村憲が代えられたのはリズムを崩す要因になったのでは?

本田はボールが来なかったから仕方ない?
チームにフィットしていない
それとも岡田さんのやり方にフィットしていない?

たとえ森本が試されても、今の岡田さんのやり方では
本田と同じ状況になりそうな気がしてならない
自分の仕事のスペシャリストもチームの為に走りまくれ!

一見正しそうなこの考え方も
なにか違っているような気がしてならない
それがなになのかは、分からないのだけれど

後1年弱
期待させる選手出てこないかな!
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個人宅の能舞台

2009年09月05日 08時23分17秒 | Weblog
自宅に茶室を設けている家は
それなりにあるだろうと想像がつくが
それが能舞台となると、果たしてどれだけの数があるだろう

昨日、そんな個人所有の能舞台を拝見させてもらった
(豊橋市 西村能舞台)
能には詳しくないどころか全然知識が無いが、聞くところによると
3間四方の正式な大きさ、後ろには松の大きな絵があって
橋懸かりこそないけれど本物に遜色無いとのこと
そして舞台の前には、およそ50人の大人が座る事のできる
畳の間がある

これは病院経営の先代が
出身地 加賀の文化の思い出と自身の芸事に関する興味も
相まって作り上げたらしい

ところが残念なことに、現在この立派な設備は
充分に活用されていない
そもそも能自体がそんなに大勢の人が楽しんでいるものではないし
最近はますます能離れの傾向が進みつつあるらしい

そこでこの立派な能舞台
他の利用も兼ねる事にしている
音楽会の発表会の練習
唄の練習などなど

しかし、この稽古事、趣味の練習会場、発表会会場は
近所の公民館やホールで事足りているのが現実

ここでは半日5000円、1日10000円で使う事が
できる事になっているけれど
公民館等では何百円単位で借りられるので
一般的にはそれで済まされている

しかし、つくづくもったいない
確かに個人の趣味の産物と言えばそうなのだが
このようなモノは使われてなんぼのもの
充分に活用されていない事実と
こんな風に手間をかけてつくられた、
ある種日本の文化自体も軽んじていられるようで!

この日自分は、良いものを見せてもらった!
なんとかもっと活用されるようにしなければ
と多少興奮気味で、その思いを知り合いに告げたのだが
彼の反応はいたって冷静
というかあまり興味はなさそう

客観的な事実として
その場所の利用については価格設定が
地区の公共の施設と比べて高めだし
発表会をするには観客席が少なすぎるから
なかなか現実的には使いにくいのでは!との評

確かにその通りだろう
この場所を貸しホールという括りで比較すれば
答えはそこに落ち着く
しかし、一種の文化財のなかで
時間を費やす事ができる価値を認める人々には
その建築の佇まい、雰囲気だけでも
料金以上の意味が感じられるのでは
と思う(思いたい)のだが

問題は、こんな風に価値を感じる人々が
世の中に多く存在するかどうかという事
残念ながらこれには否定的にならざるをえない
この能舞台を建設当時には、
所謂文化人の集いみたいなものが割合見られたようだが
最近では損得の集まり、見栄の張り合いの集いはあっても
おっとりした豊かな教養を味わう機会は無いようだ
(自分が知らないだけならいいのだけれど)

トーマス・マンが「ブッデンブローク家の人々」で現したように
裕福な家庭で何代目かの人物が
芸術に関心が行くようになると
その生命力は落ちてしまうとするのは
何となく分からないではないが
その事を嫌っていつまでも文化不毛のままでいるのは
ちょっとばかり寂しい限りだ

文化の無い町、都市、地方
それらは正直つまらない
何が文化か?という事はさておいて
一般的に文化不毛といわれるこの地区
どうすれば文化活動を活発化できるか?

西村能舞台の利用方法などは
この地区の文化程度の試金石に
なるのでは?

それにしても
使わなければ本当にもったいない





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チルドビールはどこに行った?

2009年09月03日 20時14分23秒 | Weblog
夏と言えばビール
まず一杯は、とりあえずビール

ところが自分はビールとの相性は良くなくて
特にギンギンに冷えたもの飲んだ日には
翌日の下痢に直結
どうも苦手の部類に入る

しかし、それでも帰りにコンビに寄って
求める日も度々ある

この苦手なビールも例外があって
チルドビール(無濾過・麦芽100パーセント・冷蔵配送のビール)は
大丈夫で、それどころか好んで味わったりする

味がまろやか、泡が細かい、麦のお酒を味わっているみたい
コクがある、香りがよい、そしておいしい等など
自分にとっては好ましい事ばかりなのだが如何せん価格が高い!

(他の人たちは味も炭酸が効いてなくてスッキリしないと
 口にする事が多い)

それでも、そんなにお酒好きなわけでもないので
ちょっと一杯で終わるので、
少しくらい高くても自分がおいしいと感じるものを!
と求めてきたのだが
最近このチルドビールを見かけない
以前はコンビに冷やしてあったのに
今は第3のビールか発泡酒ばかり

コンビニは売れ筋でないものは、すぐに排除されると言うから
チルドビールもそうなのだろう

コンビになければ、確かスーパーで見かけたぞ!
と先日のぞいてみたが、やっぱりここにも無い
ここも第3のビールか発泡酒で占められていた

さていったい、この手のビールを飲むには
どうしたらいいのだろうか?

苦手なビールながら自分がここまでこだわるのは、
昔ドイツで飲んだおいしかったビールが
この無濾過の酵母の生きているビールに似ているからだ
しかし、単に昔を懐かしむというよりは
飲み物自体の味もこの方が好きな為だ

今の大手の量産型ビール、
正直なところ、旨いとは言いがたい(自分にとっては)
なんだか清涼感だけが突出していて
ふくよかな味わいに欠けるようで、、

それにしても現実は、価格の所為か
それとも味わいが、今の多くの人の好みに合わない所為か
このチルドビール、多くは売れていないようで
売り場からも市場からも
ドンドン追いやられてしまっているみたいだ

なんだかなあ!
独断に過ぎるかもしれないが
大量生産による工場製品のような清涼飲料を
旨い旨い!と感じているのは
スローフードに代表される自然素材をしっかり味わう
ライフスタイルとは両極のところにあるような気がする

もっと分かりやすく言えば、今の人たち
そもそも、おいしいと思うものが
何か違いやしないか?

味の好みは個人差があるというものの
それを越えた旨いまずいがあると思うのだが、、、
なにか割り切れないものがある
(もっとも酒類については自分は素人なので
 偉そうに言える立場ではない?)

さて元に戻って
チルドビール、いったいどこに行ってしまったのか?

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通電時間と音の変化

2009年09月02日 20時24分32秒 | Weblog
よくオーディオの電源はつけっぱなし位の方が
安定してよい音が出ると言われている

しかし、貧乏性はなかなか抜けきれず
そうは言っても、なかなかできないのが現実
そして本当にそんな事で音が変わるのか?
と疑問に思うのもこれまた事実

そこで昨日の夜から真空管アンプ、
フォノイコライザー、プレーヤーの電源を
入れっぱなしにして試してみた

この時期、音楽を聴く気になるのは朝の涼しいうちだけ
聴いたのはオイゲン・キケロのロココジャズ

さてどうだったか?

そう思えば何やら音が艶っぽかったり柔らかいような
でも気のせいかもしれない
つまり通電時間の短いものの音の記憶が
しっかり頭に入っていないので
比較ができないでいる

専門ショップでは朝から電源は入れっぱなしにしているとか
きっとそれだけの事があるからなのだろう
これは再度検証してみる価値があるかもしれない

ところで人間の耳はすぐに慣れっこになってしまう
数ヶ月前にはノッティンガムのプレーヤーに感動した耳も
今では当たり前の音に聞こえてしまっている

困ったものだ、
これでは求めるものの終点が見つからない
そろそろ自粛しなくては!
もっともオーディオショップは
それだから成り立っているのだろうけれど
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テレビは人間性を映すかも

2009年09月01日 20時57分39秒 | Weblog
テレビに頻繁に出て知名度が上がっている現役の
議員さんは、そうでない人たちよりは
選挙には圧倒的に得な様で
なにやら不公平感がぬぐい去れなかった

しかし、どうもそればっかりではないのかもしれない
というのは、よく出ているものの
何となく好感を持てない印象を持つ人がいて
それが自分だけの印象かと思えば
意外や意外、話をする人の大半が同じような印象を持っていた
そして今回の選挙、彼は小選挙区では敗北した

つまりテレビには出ていたけれど
一生懸命マイナスのイメージを巻き散らかしていた
人物もいた!ということ

それがいったい誰だったかは
ここでは明らかにしないが
ただ言える事は、テレビは意外に怖い存在であるという事
表情や態度で案外人間性を映し出しているようだ

ここで一番の問題は当の本人は自分がどんな風に
見られているか?思われているか?
正しく判断できないということ

もっとも、みんな自分の事は一番分からないのだろうけれど

政党はテレビ出演の人物
しっかり選んだ方がよさそうだ
(しかし小沢さん、なんであんな話し方なのかな
 もっと人にやさしく話しかけてもいいのに!)
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