パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ポール・マッカートニー公演延期

2014年05月17日 19時32分41秒 | ポール・マッカートニー
それを知ったのは国立競技場の向かう地下鉄の中。国立競技場のイベントは中止です!
とあったが他のイベントもあるのだと思いこもうとしたが、残念お目当てのボール•マッカートニー公演だった。

ボールにこんな目にあわされるのは今度で2度目。
大麻所持でパーになった名古屋公演が前回。つい思い出してしまった。
やってくれるね~ボールさん。

信じられない元気ぶりだったボールもやはり人間でそれなりの年齢なんだと実感。


会場がは知らなかった人、諦めきれない人、これも記念と割り切っている人で溢れていた。


さて、自分はどうしよう。
交通費と宿泊代馬鹿にならないし、しかし今度こそ最後のような気がするし!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アナと雪の女王

2014年05月16日 20時34分46秒 | 徒然なるままに
そんなに良い?
と疑問なのが興行成績が史上6位?まで
伸びている「アナと雪の女王」

見ていないので正当な評価はできないかもしれないが
そもそも見る気になれない
いい年をした男だからと言う面もあるが
あのコンピュータを使い描いた絵が好きになれないのと
松たか子が日本語で歌いYouTubeで評判となった
あの曲「ありのまま~」というやつ
そんなにいい曲とは思えない

歌いやすいかもしれないけど
曲の品格は普通
特に琴線に触れることはない

あの曲は消耗品、娯楽の生産物であって
後々まで残る作品ではないと思えてならない
(そんなことを望んでいない?)

残る作品がいい作品で
よく歌われる歌は良くない
というのではない

歌われることはあるきっかけで
良くなくても頻繁に歌われることがあるかも知れない
しかし時間のチェックを受けたものは
やはり良い物しか残らない

と言っても現時点での判断は単に独断
つまりは、アナと雪の女王の音楽は
そんなにいい曲じゃないと言いたいだけのこと
(作曲家の人、ごめんなさい、自分の好みじゃないので)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

才能

2014年05月14日 16時44分43秒 | サッカー
才能と協調性(和)だったかな
とにかくザッケローニ監督は最終メンバーを選ぶ基準で
最初にこう答えた

才能、そんなものはあのレベルになれば誰にでも
独自のものがあるというのは客観的な意見
しかし、世の中には明らかに才能と言う言葉でしか
表現できないようなモノがあるのも事実

そしてそれは我々のような素人がたまに見るだけでは
わからないものかもしれない
その才能の発揮の仕方が効果的だったり
コンスタントかどうかはなかなか難しいのが
世界中の常のようだが
多くの指導者の関心を集め、そのポテンシャルを開花させたい
なんとかスーパーな選手に育ててみたい
と思わせる選手が柿谷曜一朗ではないだろうか

確かに大迫、大久保、本田、香川、長友などと比べると
なんで彼が選ばれたか(昨年良い成績を残したが)
疑問に思う人がいても不思議では無いかもしれない
自分でも時にイラッとすることがある

しかし、あの柔らかいボールタッチと
思いつきのように見せるプレーは
まだ完成の域ではないだけになんとかもっと伸ばしてみたい
と思ってしまう

ザッケローニ監督の最初のミッションは
ワールドカップ予選の突破と教育だったか育成
その後者の部分で関わりたいと思ったのではないか

柿谷は代名詞にトラップがあげられるが
自分が一番最初に驚いたのがキックの正確さ
今シーズンは枠に行かないが当時はシュートがほとんど
枠にいっていた

それからまじめに見るようになると
確かに他の選手と明らかに何かが違う
この違いは多分あまりサッカーを見ていない人には
わかりにくいかもしれない

たくさん献身的に走るわけでもないし守備も緩い
だが可能性、鬼ごっこで捕まらない奇妙な印象は
大柄な屈強なDFを相手にしても
まともな楔の受け方ではなく何か別の方法で
相手を困らせる事になるのではと思ったりする

この点では豊田とか大迫のほうが一般的に想像しやすいが
よいDFと対峙した時のイメージがやられっぱなしみたいな姿しか浮かばない
(お二人さんごめんなさい)
柿谷も同じことになるかもしれないが
何かをしそうと言う感じが、いや出来るはず、
こうした経験をさせてみたいというのがサッカー指導者を
続けてきた人の思いかも知れない

柿谷は24歳
まだ伸びしろがありそう
できる事なら自分で何か感じ取れる
良い経験をさせてやりたい
と思うのは勝負だけではないワールドカップの見方
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽の聴き方

2014年05月14日 16時15分22秒 | 音楽
今日は「音楽の聴き方」と言う本の話
ではなくて常々思っていることの再確認

時々思うこと、それは自分は音楽を聴いているのか
それとも演奏を聴いているのか
どっちなんだろうと考えてみる

実際の話、演奏されなければそこに音楽は実在しない
のだから、演奏を聴いていることになる
そしてその演奏というものは楽譜が同じものであっても
演奏によって随分印象が異なる
それは、もしかしたら作曲者が想像した以上の世界を
演奏家が生み出すかもしれない
作曲者は曲の一部分しかその良さを自覚しておらず
演奏家と言われる人によって初めて多面的なチェックがなされ
その曲に命が吹き込まれることになるのかもしれない

しかし、ここまでの話は頭の中で振り返ってみただけのこと
実際には音楽を聴いていて思い浮かぶことが
曲よりなのか演奏の違いよりなのか
その多く浮かぶ方を聴いていることになる

初めて聴く曲は、演奏を聴いているというより
曲自体の印象をあれこれ考えたり想像することが多い
たくさんの演奏を聴いていないので比較対象できないからだが
それでも多く聴いた曲でも曲を中心にあれこれ思い浮かぶこともある

第1回目のラ・フォル・ジュルネで
ベートーヴェンのエロイカを聴いた時に
この曲を作り上げた時ベートーヴェンは嬉しかったんだろうな
と感じたし、それ時の思いを今の今でも覚えている

初めて聴く曲は作曲者のメンタリティ、音楽の言わんとする事に
どうしても関心がいく
だからそんな時はメシアンのような現代音楽でもそれほど抵抗感なく
聴くことができる
だが音楽をより楽しむにはやっぱり多くの種類の演奏を聴いて
比較できたほうが良い
そうすることによって曲自体への理解にも繋がりそうだ

曲の理解とは何だ
との定義付けはさておいて
より楽しむには多くを聴いたほうがいいということ

しかし、聴くときはニュートラルな精神状態で聴いて
演奏の比較ばかりに関心を持たず
その音楽の流れる空間に身を任せ
頭に浮かぶ想像、妄想に浸るのが幸せなこと
それが自分の音楽の聴き方
(これはクラシック分野の話、
 ロックやジャズはも少し違った聴き方をするかも知れない)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビートルズじゃなくてポール・マッカートニー

2014年05月12日 20時06分07秒 | ポール・マッカートニー
やっぱり追加公演があったポール・マッカートニーの公演
しかも会場は天気の心配の要らない武道館
ビートルズ時代に行ったところ
そのチケットが発売、今日まで抽選の受付があるようだが
そのチケットの価格がアリーナ席10万円
その他6万、4万とか結構な価格

雨が降っても大丈夫だし近くで見られるし
伝説のライブの再演としても
少しばかり値が張りすぎるので
今回のエントリーはパス
国立競技場の17日の公演を楽しむことにする

ところでポール・マッカートニーの公演を
体験しようとする人の大半がビートルズの
ポール・マッカートニーを追体験したいと思っている
のではないだろうか
演奏曲もビートルズ時代のものを懐かしく思うし
ウイングス時代やソロの曲はあまり知らない可能性もある

自分はビートルズのポール・マッカートニーじゃなくて
単純に音楽家ポール・マッカートニーに興味がある
確かにビートルズ時代はひとつのピークだったかもしれない
若かったし、アイデアもメロディーも無尽蔵のように湧き出てきた

しかし、ソロやウイングス時代だって相変わらず
歌う楽しみに満ちた曲、凝りに凝った曲、実験的な曲だってある
レッド・ローズ・スピードウェイのアルバムの中にも
マイ・ラブより良い曲や(When the nightなど)
ピンクフロイドふうなものや
得意のメドレーだって充分楽しめる

タッグ・オブ・ウォーのアルバムでも
分別くさい(?)エボニー・アンド・アイボリーよりも
what are you doing のほうが音楽の楽しみに満ちているような

ロンドン・タウンだって終曲は面白いし
ラムは全曲が圧倒的に楽しい

つまり、何度も繰り返すけれど
ビートルズじゃなくてポール・マッカートニーという
音楽バカを、その世界を体験することは
クラシックの世界ではモーツァルト、パガニーニやリスト、ショパンを
その本人の演奏を体験することと同じこと

有名だから見逃すことはできないのではなく
稀有な音楽体験をすることができそうだから
外す訳にはいかない

今回もセットリストは気にしないで
その場で何が来るか楽しみにしたほうが
より楽しめそうだから
余分な情報はシャットダウンしておこう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり勝負師だったザッケローニ監督

2014年05月12日 18時08分58秒 | サッカー
ワールドカップ最終メンバーが発表された
大方は予想通り
その中で大久保が選ばれたのは良かった
今まで選ばれていないから若干の不安もあったが
今の勢いを考慮したのだろう
この選択にザッケローニ監督の勝負師の一面を見た気がする

慣れたメンバーでの熟成だけでは済んでいかないのが
勝負の世界
そこにプラスアルファの刺激を追加するのが
勝負師の仕事

監督は育成型と勝負師型がある
トルシエは育成型
ジーコ、岡田監督は勝負師型
ザッケローニ監督は今まではそれほど勝負師的な要素は
見えなかったが、さすがにここに来て勝負師の姿も見せた

しかし、メンバー発表前の選ばれなかった選手たちに向けての
説明を聞くと、いかに彼が選手を気遣っているかが分かるような気がする

そして選ばれた選手の評価基準
才能、自分たちの戦い方の出来る選手
才能とかセンスというのはこのレベルの戦いになると
本当に必要なものだと思う
努力して身につけたもの以上の何か
それこそ才能というしか無いなにか
(それが人にとって幸せになるかどうかは分からないが)
そうしたものを持ち合わせている連中ばかりの戦いがワールドカップの世界
(ある意味ではちょっと変わった連中ばかりの集合)

メンバーが決まったからこれからの関心は、スタメン構成になっていく
森重は今野、吉田を差し置いて起用されるか
内田、長谷部の調子はどうか
山口、青山は最初から使われるか
トップは大迫か柿谷か

こうした議論はワールドカップを楽しむ一つの要素
あとひと月、日本国中でこうした議論できるのはホント幸せなことだ

最終メンバーは

<GK>

川島 永嗣(31=スタンダール)2度目

西川 周作(27=浦和)初

権田 修一(25=東京)初

<DF>

今野 泰幸(31=G大阪)2度目

伊野波雅彦(28=磐田)初

長友 佑都(27=インテルミラノ)2度目

内田 篤人(26=シャルケ)2度目

森重 真人(26=東京)初

吉田 麻也(25=サウサンプトン)初

酒井 宏樹(24=ハノーバー)初

酒井 高徳(23=シュツットガルト)初

<MF>

遠藤 保仁(34=G大阪)3度目

長谷部 誠(30=ニュルンベルク)2度目

青山 敏弘(28=広島)初

山口  蛍(23=C大阪)初

<FW>

本田 圭佑(27=ACミラン)2度目

香川 真司(25=マンチェスターU)初

清武 弘嗣(24=ニュルンベルク)初

斎藤  学(24=横浜)初

岡崎 慎司(28=マインツ)2度目

大久保嘉人(31=川崎F)2度目

大迫 勇也(23=1860ミュンヘン)初

柿谷曜一朗(24=C大阪)初

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザッケローニ監督の視点

2014年05月11日 22時05分11秒 | サッカー
いよいよ明日はワールドカップ ブラジル大会の最終メンバーの発表
今度はあまりサプライズは無い雰囲気
関心は現実的には大久保が選ばれるかどうかくらいで
多分従来のメンバーで行くのだろう

つまりGKは
川島、林、権田
DFは
吉田、今野、長友、内田を中心に森重、酒井豪、酒井宏樹、
MFは
遠藤、長谷部、本田、香川、岡崎をメインに
山口螢、青山、細貝、青山
FWは
大迫、柿谷、

これで21名、あと二人が
大久保、中村憲、川又、豊田、工藤、塩谷
清武、斎藤、あたりの戦いになりそう

ただし、常連組のパフォーマンスは香川、本田がいまいち
長谷部、内田、吉田は怪我からの病み上がり
計算できそうなのは岡崎と長友だけでなかなか厳しい状況

ところで監督の大きな仕事は選手選びなのだが
一体どういった視点で選んでいるのだろう
結果的には好みの選手ということに集約されるのだろうけれど
それは自分の戦術に合いそうなイメージが湧く選手なのだろうか
それとも選手のプレーぶりそのものが自分のイメージに合う選手なのか
それとも勝負師としての勢いのある選手を選ぶのか

現在Jリーグで得点を重ねている豊田
フィジカルが強くてヘッドも強いとひ弱なFW陣には不可欠の声もあるが
ザッケローニ監督は対戦相手がJリーグレベルでなく屈強なDFを相手にした時
豊田が機能するとは考えつかないのではないのか
そしてそもそもヘッドで競う場面には展開上ならないのではないか
ヘッドで点を取るなら岡崎のようなパターンしかイメージ出来ない

つまり、選手の選択は対戦相手と独自の武器を持って戦える
選手でないときつそうということ
そして選手の武器の通用するかしないかは
経験豊富なザッケローニ監督の目でしか判断されない
ということ

大迫は万能型だけれど厳しいゲームで耐えられるか
それが自分でもわからなかったから大迫はドイツに勝負に出た
(これは素晴らしい)
柿谷はいつでも瞬間的には鬼ごっこで捕まらないような
特殊な才能を見せる可能性がある
U17の戦いで世界のレベルを知っていることは大きい
つまり負けるものではないという実感
しかし、彼は余りにも単発すぎる
もっともまじめに動くと良さも消えてしまうかもしれないが

ザッケローニ監督の世界を見た視点で
本当に戦いに通用する選手を選ぶことになり
それは現時点でのJリーグの成績とはあまり関係がないのかもしれない

せっかくの真剣勝負の舞台
大きな経験をして伸びる選手にチャンスを与えたい

いずれにしても運命の扉はそこまで来ている
さて誰が選ばれるか?

大久保は今の清武の調子なら
大いに逆転で選ばれる可能性があると思うが、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理研の判断(2)

2014年05月09日 10時04分17秒 | あれこれ考えること
昨日の続き
組織としての理研の判断は
好意的に見ていけば納得できる結論だったかもしれない

小保方さんが提出した実験ノートは
確かにあれではなんの証拠にはならないだろう
実験ノートというよりあれはメモの類
もっとも本人にすれば書いた時の記憶が蘇るから
自分では大丈夫と思っていたかもしれない

ハードディスクの中のデータの管理といい
実験ノートの記述といい
小保方さんの性格は案外大雑把なのかもしれない
そうした性格の人のほうが何かを発見、成し遂げる可能性が
ないとはいえないが

論文の撤回を求める
しかし、STAP細胞の存在の検証実験は継続する
そして特許も取り下げない

ここから推察されることは
昨日でも疑問に思った点
理研は発見とされる実験の当時
どんな感想を持ったかということ

笹井さんが言うように
可能性のある仮説
と信じられるような何かが
確かにそこではあったのではないか
疑いの目でもっても確認したとか

だが、それだけの大発見を何故理研は慎重に
物事を進めなかったか
あの実験ノートを誰も見ていずに
それでいて実験結果だけを信ずるに至ったのは何故か

ただ論文上は事実として画像の加工と
間違えた(意図的かどうかは不明)画像が存在し
世間は大騒ぎした
ここで大騒ぎになる前にことを収めようとした
理研の姿がおそらく誰にでも想像できる

言葉の上では小保方さん側にも
反論の可能性はあるかも知れないが
実際のところ肝心の実験、科学的な面からは
信用されない可能性が出たのも事実

しかし、STAP細胞という発想とかアイデアは素晴らしいと思う
思いついたのは小保方さんではないようだが
何らかの刺激で細胞が多機能性細胞に変化するという仮説は
それこそ、ベニクラゲの不思議にもどこか通じるところがあって
ありそうというより、あってほしい現象に思えてしまう
それが後々の医療に有益と考えられるから尚更のこと

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理研の判断

2014年05月08日 22時04分46秒 | あれこれ考えること
理研はSTAP細胞の論文についての不正の問題の
再調査はしないと決定し発表を行った

そうせざるを得ないかもしれないが
現在の世の中の雰囲気を考慮すると
なかなか腹をくくった判断だ

調査委員の中には以前画像の切り貼りをした
人間もいたようで
再調査するなどしたら、あたらに別に調査委員に選ばれた人は
それぞれの過去を根掘り葉掘り探られることになる

そうなると調査委員として適切か
との問題がまたもや発生するかもしれない
これは理研のダメージとなる

しかし、先日のある放送で
画像の切り貼りは2005年ころまでは広く行われていたということだ
行われていたどころか、フォトショップを用いたテクニックを
紹介した本まで存在したという

つまり切り貼りが禁止される事となったのは
割合最近の事らしい
科学者の良心とか精密さを確保するためというより
単に法律の変更で禁止となった
とまでは言わないが、なかなか曖昧な事柄だ

画像の切り貼りとか、論文のコピペは
その誘惑に反抗できない面があるかも知れない
あることを説明するのに、既に素晴らしく上手く説明した文章が
存在するとしたら、あえて同じことをわざわざ自分の言葉で
書きなおす必要があるかが今の時代の問題
(出展をはっきりさせればいいかもしれないが)

またプレゼンテーションをきれいに行うための
画像の加工は最近のデジタル技術の発展で
今後もますま巧妙に増える可能性を予想させる

ところで戦う方法として
小保方さんサイドが不正、捏造の定義の再確認を求めたのは
方法論としてわかりやすい戦い方

しかし、理研は応じなかった

ハードディスクの中にゴチャゴチャにデータがつめ込まれている
整理・管理されていないデータ群の中から
画像を選び出すのは間違いが起こるのは明らか
そのような行為は悪意に当たる
とのこと
机の上の種類がバラバラで整理整頓ができていない人物は
間違いをおこしやすいから間違えるのは悪意がある
というのだが、これはかなり強引な話

理研はどうせ突っ込むなら、そんなことは言わずに
サイエンスにも投稿していたがその時に画像の疑惑を持たれて
その交換を指摘されたが、ナイチャーに同じ疑惑の画像を
用いて投稿した
これは悪意のある行為
この話を徹底的にして攻めたほうが筋が通っていそう
もっとも小保方さんサイドからは
これについてどんな返し技が出てくるかわからないが

つまりは、素人にも納得できる形で
こちらの意見も聞いてあちらの意見も聞いてという
当たり前のことをすればいいのに
なぜそれができないのだろうと不思議だ
まして世間を敵に回すような雰囲気というのに

それよりももっと不思議なのは
STAP細胞ができたということを理研は
最初疑わなかったのか
今までの常識をくつがえす大変な結果を
その実験自体がどこか間違いはなかったか
どこか不手際がなかったか
などと検証しなかったのだろうか
そのチェックはだれが行い
それは正しい判断だったのか
その上で理研の名前で発表したのではないか

もしかしたらこの事こそが突っ込まれたくない
ことなのかも知れない
フトそんなふうに思ってしまう

組織対個人
組織の論理に個人が理不尽にも打ち負かされる
この問題の捉え方がこれだけでいいのだろうか
科学の世界はわかりにくいので、この方が一般的かも知れないが
やっぱりいちばんの興味は難しい科学の話
科学の厳密性、厳格さ、理屈のあっていること
そちらの興味のほうが実は興味深いと思うのだが、、、

組織に対する個人の敗北
世間は最初は同情してもそのうちそんなことがあったのか
と思うくらいに人々の記憶の中から消えていく

そしてこの年の前半にこんな事件があった
などと風化してしまうのだろうか

それにしても、やっぱり理研は妙な組織
と思わざるをえない

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

機械ではコストが合わない仕事を人間が行うということ

2014年05月07日 21時33分09秒 | あれこれ考えること
スティーブ・ジョブズは操作に戸惑うことなく、
人間らしい能力をより発揮しやすい使いやすい
コンピュータを作ることを目指した

いやコンピュータを作ったのではなく
コンピュータが普通にある生活をデザインした
そこには希望に満ちた世界があるはずだった

ところが現実はコンピュータの副産物(?)である
ロボットが難しい仕事を行い
ロボットをわざわざ作るとコストが合わないような
単純作業的なものを人間が行っている
そしてそれは人間的な生活とは離れている

コンピュータ、ロボットのある暮らし
より人間らしい生活を求めたにも関わらず
結果としてそれらに支配されるような生活が
生まれつつある

現在の仕事は高度な専門知識と判断力を必要とする
僅かな人々と
機械ではコストの合わない作業を要求される多くの人々に
(そしてそれは誰もができるために、給与は低く抑えられる)
大別される

仕事はずっと勉強、生涯を通じて行うべき
表向きにはこうした言葉が聞かれるが
それに値しない仕事は現実に多く存在する

今の若い人に要求されているのは
僅かなクリエイティブの仕事と
多くの労働集約的な仕事
仕事を選ばなければ、とか我慢が足りないとか
そんなレベルの現状ではないということを
もう少し冷静に考えるべきと思うが
肝心の政治屋さんの耳に入る情報は
自分の生活を判断基準としてそれに沿った
都合の良い物ばかり

本当の現実を考えること
それは厳しい環境下にいない官僚にはたぶん無理なこと
ならば誰かがと思うけれど
権力、既得権を持った人はなかなか自分の不都合なことは
変えようとしない

この閉塞感は、悲観的に考えやすい日本人には
かなりしんどいものかもしれない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする