パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「ラインの黄金」予習

2015年09月14日 10時05分34秒 | 音楽

いったい何回ヴァーグナーの「ラインの黄金」を聴いただろうか
3枚組レコードの最初と最後は何度か聴いたことがある
しかし、途中、特に3面以降は歌詞と照らし合わせながら聴くのが
面倒でそんなに聴いていない 

今回、10月の国立歌劇場の上演に合わせて予習を兼ねて
我慢しながら歌詞と照らし合わせながら聴いてみた
(カラヤン盤のレコードの解説書をみながらフルトヴェングラーとの演奏で) 

「ラインの黄金」は神話の物語で妙なストーリーだ
ラインの乙女から奪った黄金で作った指輪が
世界を支配しうる能力をもつ
というのは、どこからの発想かヴァーグナー自身の発想か
専門家ではないので分からないが、
「愛を諦めたものが手にすることができる」のアイデア・位置づけはなかなかのもの
この指輪がとんでもない力を持つのは、トルーキンの指輪物語でもおなじみだが
ヨーロッパでは割合ありふれたパターンなのだろうか

歌詞を追っていくとなかなかおもしろい
ワルハラ城を巨人に作らせたのはヴォータンだが
その報酬としてフライア(生命の女神)を与えようとする
しかし、姉のヴォータンの妻 フリッカが横槍を入れる
最初から巨人にフライアを渡すつもりなどなかったヴォータンは
火の神ローゲと策略を用いて、愛を諦めたアルベリヒが作り上げた
指輪を奪ってフライアの代わりに渡すことになる
しかし、指輪にはアルベリヒから奪った時点で呪いがかけられており
巨人に渡されると兄弟げんかをして、片方が他方を殺してしまう

ヴァーグナーはなんとまあ奇妙な話を考えたものだ
そしてこの神話的な話が、現在では演劇的に解釈されて
実生活の幾つかの状況になぞらえられているし
そのように拡大解釈をしたがる人の気持ちも何となく分かる
 

今回聞いていて興味深い人物(神)はローゲ
人間性の深い洞察力とひねくれた発想と策略
もしかしたらジークフリート、ブリュンヒルデ、ヴォータンに隠れた
影の主役なのかもしれない

とここまではストーリーを主体の話
音楽は前夜祭と名付けられた出しもので続く作品にも
効果的に使われるライトモチーフがお披露目
解説書の歌詞がどこだったのか見失った時、このライトモチーフは
場面を探すのに役に立つ 

フルトヴェングラーの演奏はイタリアのオーケストラなので
ノリはいいかもしれないが金管の音色に少し違和感がある
こんな面倒な話(音楽)はもう一生聴くことはないかもしれないので
今回の機会を大切にしなくては、、

音楽を聞かずにストーリーだけを一回追ってみようか
そういえば、ニーベルングの指輪の漫画があった
こちらのほうがわかりやすいかも知れない
でも、漫画喫茶にはなさそうかな、、(自分で買うきにはなれない)
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セイコー5

2015年09月13日 10時30分46秒 | 徒然なるままに

引き出しをゴソゴソしてたら懐かしいものが見つかった

セイコー5
高校入学の時に祖母から買ってもらったもの
電車通学だったので、時計は必須アイテム
あの時代は今のように携帯などなかったので
電車通学をする仲間はみんな手首にしていたような気がする

昔と今と大きく異なることがある
自分たちはまだ学校の徽章のついた帽子をかぶっていた
靴は多分運動靴のようなもの
それにカバンはちゃんとした3年間は持ちそうな革製のもの
それが当たり前で、時に帽子をかぶらずカバンをペシャンコにした仲間もいたが
拗ねている雰囲気はあってもかわいい範囲(?)

小学校入学時、最近はおばあちゃん、おじいいちゃんがランドセルを買うのが
多くなっており、それもお盆の休みの時に親と帰省した時に
決めてしまうとのこと

それと同じように、全くの「おばあちゃん子」だったので
高校入学の祝として買ってもらった

この時計はその後35歳くらいまで使い続けた
いろんなところへ身につけて行った
後先を考えず出かけたドイツにも、
今は全く行くことのないスナックみたいなところも
山も海も、それこそ良いところも悪いところも
自分の経験が染み込んだ様な時計だった

長く使い続けているのが他人には珍しいらしく
時々自慢気に見せびらかしたりもした
 

その後調子が悪くなったのではなく
気分が離れたせいで、別の時計を購入した
(その頃は男物の時計のブームだったのかもしれない) 
購入したのはロレックスではなくチュードル
ロレックスは余りにも存在感がありすぎるので
控えめな仲間内のブランドにした
笑いをとるために「ロレックスの偽物!」とか
「ロレックスがトヨタのクラウンなら、チュードルはマークⅡみたいなもの」
と説明したりした

この時計も長く使っている
しかし、次第に狂いが大きくなってオーバーホールにかけようとすると
その価格が財布に響く
それで2度オーバーホールしたものの、調子の悪い今は
時々気まぐれな時計をそのまま使い
普段は自分にとって3台目となるクソ正確な電波時計を使うことにしている
(しかし、この電波時計もスマホを持つようになって要らなくなった) 

ところで、このセイコー5、
先ほど振って自動巻き機能を呼び起こしたら
今のところ動いている
なにか感動!
今日一日はつけっぱなしにしてみようか
何分くらいの誤差が出るのだろう
それも楽しみ ?



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新城市議会傍聴(9月9日)

2015年09月12日 10時46分00秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

大変な被害をもたらした台風18号
幸い新城市には大きな被害の声は聞いていない
この台風の上陸した日に行われた新城市議会一般質問
天候の加減もあってか傍聴者は少なかった

時間も経っているので記憶が曖昧なところもあるが
初日、2日目と感想をアップしたので尻切れトンボにならないように
記憶をたどりながらの感想を
(これは自分の管理する別のブログでもアップしているが) 

この日は二人で滝川議員と山口議員
最初は瀧川議員、
なかなか興味深かった
1.公共工事の入札不調について
2,太陽光発電パネルの安全性について
3.市政運営について

最初の入札不調の問題
最近では作手小のあと作手総合支所も入札不調に終わったので
その理由と対策を行政側に質問した
市場調査(市場価格の把握)が完全ではなかったと言える が行政の答え
二度も繰り返すのは先の反省を生かしていないことになり問題ではないか
と追求する

なるほど、こうした質問は議会の行政の監視・チェックを果たしているように感じる
なにも無理やり敵対することはないが、なすべき仕事の性質上こうした場合は議員と行政は
対立した立場の方がわかりやすい
最近の物価の乱高下、公共工事の都市集中などで市は市場価格を正確に把握するのは
難しいかもしれないが、仕方ないの言葉では、一般社会は済まされない
きつい言い方かも知れないが、行政側はもう少し努力すべき

2の太陽光発電パネルの問題
設置されたものが強風などで飛ばされ他の家屋、
人的な被害が起きる可能性があるが、
太陽光発電パネルの設置の基準は建築物ではないので基礎を必要とせず
ゆるやかなものになっており、このことが被害を引き起こす可能性につながるが
市はどう考えるか?
また太陽光発電パネルの償却期限が過ぎた場合、廃棄物となるがパネルの廃棄処分について
現在はどのようになっているか?
国策とは離れて市でできることとしての質問

3.市政運営については、
ずっと問題となっている人口減についての市政への影響、
そしてその結果としての財政の話  など

ここで語られた滝川氏の発言で同意できた点がある
それは「人口減を前提としていろんなことを考えるべき」といったこと
人口を増やしたい希望はある、しかし現実はそれが容易でないことを示している
そんな時に市の様々な計画は、こうあってほしい人口規模の計画ではなく
現実を見据えた計画とすべきではないかということ

これは、庁舎建設についても言える
現在は職員数363名規模の庁舎を計画しているが
将来の人口減少に伴い職員数も減ることが予想されるので
現在をベースにしただけの案が正しいかどうか疑問

ところで、この市の職員数
現在働いている職員の方々には何の責任もないが
問題は将来を見据えて職員数をどうすべきかの問題がおろそかにされていないか
職員適正化計画なるのもが5年毎に行われ、そこで適正(?)人数を算出されるというが
その算出の仕方が果たして一般から説得力のある妥当なものであるか?
これは議員さんが追求しなければいけないことのように思ったりする

滝川氏は住民投票では選択肢1の先頭にたった人物だが
今回の一般質問は確かに行政の監視・チェック機能は果たしているように感じられた

次は山口議員
自らの経験を踏まえて、
1.死亡届と火葬許可書の受付状況について
 なるべく簡素に一箇所で!を求める市民の要望に対して市はどのように対応しているか
2.南部企業団地の産廃業者の進出について
これは浅尾議員、中西議員とも関連した質問

こうした一般質問というものは、どういった内容とするのか
とある議員に聞いたことがある
「どんな内容でもいい」
との答え
「ただ今は会派がなくなって委員会でいろいろ決めることになっているので
所属担当の委員会に関する質問は当事者がすることになっている」
「会計などの資料等はものすごく分厚いものを市から配られる、それを読み込んで
問題のあるところに付箋をして質問に備えるようにする」

こうした話を聞いて一般質問全体を振り返ると、
質問は南部の地域の方の陳情や要請によるもの
豊川水域の問題を熱心に考えて行動する方々の陳情を踏まえたもの
自らの経験による市行政への質問点
そして現実に今起こっている問題点(市民の関心点)などがあることが分かったし
真面目に議員活動をするなら、聞く耳と情報収集と法律的な知識も必要となり
議会条例にあるように議員さんはスキルアップに努めなければならないとするのは
ごく当たり前どころか、そうしてもらわないと困る

市民にできることは選挙で選ぶことだけ
その選挙民の思いを受けて、
議員さんは職業としての議員さんの機能を十分果たしてもらいたいものだ
(その大前提は市民の声をよく聞くこと、選ばれたから市民の声の代表ではない)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

官僚支配が進んでいないか

2015年09月12日 09時36分45秒 | あれこれ考えること

本日、中日新聞の社説に興味深い事実が掲載されていた
それは湾岸戦争に関する事柄で
クウェートのアメリカでの新聞広告に感謝の対象として
日本の国名が載っていなかったことに関する「トラウマ」について

まずは事実関係から
日本は130億ドル負担した

派遣後の90億ドル(1兆1700億円)の使途を発表されたが
内訳はアメリカへ1兆790億円、英国390億円
肝心なクェートへは12カ国中下から2番目の6億3000万円しか渡されていない
(これだけでも評価は下がる)
大半は戦費に回され本来の目的の戦後復興には当てられていない
(クウェート国民は実感が無い) 

新聞広告の発案者はアメリカにいたクェートの大使
アメリカ国防総省に求めた多国籍軍のリストがそのまま使われため
多国籍軍に参加していない日本は当然掲載されない

新聞広告に日本の名前が載っていないことを知って
こんなに出したのに評価されないなんて!
と失望や怒りを覚える外務省の方がいたとしても、それは心情的に理解できる
ここまではいいとして、その先が、やり方がどうなのかな

中日新聞の社説にあるように「評価されなかったこと」がトラウマになって
(掲載されなかった理由はリストが偏ったもの だったせいであるのに)
その後の国の他国に関する関与の仕方まで専門知識を駆使してやりすぎていないか

以前、安部首相の内閣の解釈による集団的自衛権の記者会見があった時
多分この法律の総元締め的な人物の外務省の名前は忘れたがある人は
「安倍さんはエモーショナルに語りすぎている」
と話して、その後行われたマスコミの人との討論会でも
これを一番良く知っているのは自分たちで、どんな質問にも答えられるし
何の不備もない!
と言い切っていそうな雰囲気だった

話は飛んで、参議院の委員会で共産党の仁比聡平氏は
河野克俊統合幕僚長がアメリカに対し
安全保障法制の整備を「来年夏までには終了する」と説明した
 
と資料を提示しその事実を問い詰めた
「防衛省内で確認中だ」の返答)
もしこれが本当なら、ここでも 現場の人間たちの意向の方が
先読みしてるというより、法律自体が現場の意向に沿っていないか 

特定秘密保護法案でもそう
法律文は抽象的なだけに、それと毎日付き合う官僚たちの知識には
遠く及ばない
そして解釈だけの問題で、結局は官僚たちの好き勝手にされてしまうのではないか
都の不安が残る

社会学者のウェーバーは官僚機構について

官僚制的行政は、知識による支配を意味する。
これこそは、官僚制に特有な合理的根本特徴なのである。
専門知識に由来する強大な権力的地位に止まらず、
官僚制(または、それを利用する首長)は、職務上の知識、
すなわち、職務上の交渉をつうじて獲得されるか、
「文書に精通した」実務知識によって、その精力をいっそう
増大させようとする傾向がある。
「職務上の秘密」ーーーその専門知識に対する関係は、
技術的知識にたいする商業経営上の秘密に、ほぼ匹敵するーーー
と言う概念は、唯一とはいえないまでも、とにかく官僚制に
特有な概念であるが、それは、このような勢力をえようとする
努力に由来するのである。

現在は安部首相の思い込みによる、人の話を聞かないやり方で
進んでいるが、その根本を握っているのは実は官僚さんたちではないか

そんな風に感じられる事柄がちょくちょく見られるし
天下りも依然として無くならないし
この国を実効支配しているのは官僚さんたち(?)


そうでないなら良いのだが 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活感のない財務省の軽減税率案

2015年09月11日 20時36分46秒 | あれこれ考えること

びっくりした!
財務省の還付金方式の軽減税率の案
なんとまあ、現実感のない面倒な方法を考えたものだ

財務省の机に向かうお役人さんは、自分でなにか食品を買って
支払ってという作業をしたことがあるのか?
と疑ってしまう

彼らにとっては制度上、無駄なく矛盾なく進む良い方法との
判断だろうが、それは全くの机上の考えにすぎない
バカバカしくて真剣にシステムを検討しようという気にもなれない 

こんな案が恥ずかしげもなく検討材料として上がってくる事自体が
お役人さんのレベルが低下しているのではないか
と思わざるをえない

生活感を感じたり、想像する力
官僚だけでなく政治家にも必要とされる能力だと思うが
はたしてそれができているか? 

経済だけでなく国力(政治家・官僚)は
下がってきているのかもしれない
困ったものだ! 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やってしまった!ぎっくり腰

2015年09月10日 21時18分57秒 | 徒然なるままに

前々からその兆しはあったのだけれど
とうとうやってしまったぎっくり腰
今回は小噴火程度

今までの経験からしばらくは
おとなしくしているのがいいのだが
生憎今回はどうしてもやらねばならない仕事がある

体を「く」の字にして小股でペンギンのように歩く
コルセットして保護しているがこの時期のコルセットは
暑くてかなわない


もっと腹筋、背筋を鍛えておけばよかった 
最近、ちょっとサボリ気味だったのがいけなかった
ほんと懲りない自分

明日起きたら調子が良いといいのだが
(今日午後にカイロプラクティックいに行ってきた) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新城市議会傍聴(9月8日)

2015年09月09日 08時41分06秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

台風18号は間もなく愛知県に上陸の予報だが
新城市は暴風警報の中に入っておらず、今のところは
おとなしい状態
 

ところで議会傍聴の続き(9月8日)
昨日はいろいろと用事があったので、聞けたのは一部だけ
そこで多少不正確な部分があるかもしれないが
いつものように感想を中心に

浅尾議員の庁舎に関する質問のなかで気になる情報が提供された
新城市が庁舎建設に関して進めているECI方式が
この方法による地方自治体の実施例の一番最初の例であるということ
(だからこそ、国のモデルケースとなっているのかもしれない)

このECI方式をネットで調べると

要は実施計画段階から施工業者を特定して、工事の発注の際に不調にならないようにするのと、
設計者と施工者が組んで、予算削減に取り組むということらしい。しかし、日本中を騒がせている
国立競技場もこの方式を採用しているらしく、ある人はオリンピック事業は予算が標準以上あるので
「談合」に発展する可能性がある。すでに既存の国立競技場の解体で談合問題が発生している。
不透明な予算が知らないうちに処理されていくことで、発注者も当然認知していると思われる。
黒い闇は常に付きまとっているのである。 
とそのデメリットも発言している

ECI方式が生まれた経過は必然性があっただろうし、そのメリットは理解できないことはないが
残念ながら運用するのはいろんな意図を持った人間たち
そこではその選択をした人物が誰であったかを注意しなければならないかもしれない

新城市ではプロポーザル契約とかECI方式とか、VE協議とか
一般には理解できない方式で庁舎建設が行われることになっているが
この難しい言葉が、最新の発注の仕方で最善の策と市民に納得してもらいためには
そのメリット・デメリットもわかりやすく説明する必要があるのではないか
まして、山下建設と鹿島建設の組み合わせが、少し疑われつつある中では特に

傍聴は浅尾議員の質問の途中からだったので、とりあえず気になった点
質問には直接関係ないも知れないが 以上を挙げてみた

次に八名地区の市会議員である中西市議による産廃を中心にした質問
先日の産廃フォーラムで、石渡氏の県職員としての感覚、判断基準から
環境保全協定のことについて詳しく講演されたが
今までの認識と少し違いことがあった
氏によれば、環境保全協定は拘束力があるということ
単なる紳士協定ではなくて操業停止にいたる可能性もあるということ

環境保全協定は県が判断するに必要な案件ではないが
普通はあるのが一般的ということらしい
今のところ地域住民は環境保全協定を結ぶ気持ちはないが
地域住民に変わって結びたいとする市は
この環境保全協定はその基準をどのように決めるかといえば
該当する事業者と相談して決めるとの答え

また環境保全協定を市が結ぶにしても
やはり地域住民の意見を無視する訳にはいかない 
そのためには、事業者と住民の説明会なり質問状に
応えてもらわなければならない
ところがこの事業者は質問には応えない、住民の前には出ないので
何事も前に進まないでいる

この状況では県も判断に困るということが現状らしい

ところで、環境保全協定に拘束力があるとしたが
ここは少し自分が勘違いして理解しているかもしれないが
拘束力のある守らなかった時 どうするか?
との質問に 市は環境保全協定は守ることを前提に存在している
例えば守らないので訴訟となれば、これは難しいとの答だった?
(大事なところなのでいい加減ではいけないので、これは後で何らかの形で
確認しなければいけない が)
なら拘束力があるのは言葉の上だけ? 

いずれにせよ、1年半も事業者は住民の前に出ず、質問の応えも出さず、
他市にある工場に見学に行けば普通でないお迎え方をする
こうした企業が書類上の問題はないと判断されるからといって
(そうではない解釈の仕方はいくらで有りそうだが) 
住民の声を無視する様な判断を、県がしたといって
市が放っておくのはやはり住民の声を聞いていないのではないか
と思わざるをえない

まして市・行政側が市民の声を反映していないとの判断は
5月の庁舎見直しに関する住民投票で明らかになっただけに 

昨日山崎市議が放った「政治判断」
これが悪い方向に出なければよいのだが、、、 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

香川は良かったけど、、(アフガニスタン戦)

2015年09月09日 05時56分37秒 | サッカー

前半の早いうちの得点で、今までのもやもやした感じの残る試合から
一気に大差での勝負となったワールドカップ予選 アフガニスタン戦
結果は6-0での勝利 

香川はカンボジア戦での決定的なシュートのミスでイギリスでは
YOUTUBEでそのシーンが笑いものになっているとのニュースも見たが
今回は汚名挽回の素晴らしいシュートだった

最初の抑えた思い切りの良いシュート
2点目の左足でのシュート
気分がのっているから随所に良いプレーが見られた

ところで、個人的に良かったなと思うのは
香川と同じように前回のカンボジア戦では
ふかしたシュートを連発した山口

豊富な運動量、危険を察知した早めの守備アタック
自身は得点しなかったがいつも画面に映っている感じの
存在感たっぷりだった
監督が柴崎でなく山口を使いたい気持ちはわかる

ひたむきな岡崎
この日も岡崎の日ではない、と思われたが
彼の一番の特徴は「めげない」点
前半も惜しいシーンがあって、そこに持っていくのはすごいが
運が足りないとか今日はダメかな
と思わないでもなかったが、この人はそういう時も入らないシュートに
自分に対してやけになったら落ち込んだりしない
(香川はうまくいかない時の表情が顔に出る)

結局、押しこむだけのシュート場面が来て得点
運を掴んだと思ったら今度は彼らしい泥臭い
素晴らしい反射神経のシュート
外してもいちいち下を向いていない岡崎のメンタリティーは
責任感が強すぎて上手くいかない時は沈みがちになる
日本の選手は 見習うべきかも

そして大御所 本田は
何かしらイマイチのれていない感じ
体も切れがなく重そう
しかし彼も岡崎と同様にコンスタントに一定の結果を出す
森重の得点をアシストするゴールラインぎりぎりの
体を投げ打ってのパスは彼の執念
この執念に対するご褒美は日本の6点目となるシュート

終わってみれば快勝だが
コンスタントに結果を出し続ける精神力みたいなもの
そんなものを感じる試合だった
サッカーはパスゲームだがあるレベルを超えると精神力
(自分のセルフコントロールと言う意味で)
の競技なのだと思う
何事も精神力さえあれば乗り切れると
言ったメンタル至上主義ではないのは言うまでもないが

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新城市議会傍聴(9月7日)

2015年09月08日 08時55分38秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

3月から始まって、6月、9月と新城市議会の傍聴に出かけている
行われているすべてを傍聴している訳ではないが
3月の時の、何がどう行われているのか全然わからくて
ただ想像力に任せて推論しているだけの状況とは違って
今はそれなりに全体像が把握できるようになっている

慣れてくるといろいろ見えてくることがある
昨日(9月7日)は一般質問
現場にいて、ナマで見聞きすると議事録や映像では見られない
議員の個性とか熱気みたいなものが感じられる

この熱気は質問する側が行政・市長にチェック機関としての機能を
果たそうとする時に迫力ある質問の時間となる
国会における与党の質問と野党側の質問の違いのようなもので
市議は難癖をつけるというのではなく、きちんとチェック・監視するためには
まずは疑いの目で見ることも肝心なのかもしれない
それに、すこし無責任かもしれないが市議の質問とのやりとりは
そのほうが面白い

市議に与えられ質問時間は60分とか40分とかいろいろで
予め傍聴者にも質問の内容がプリントされたものが配られる
もちろん質問に答える側にも提出されているので
この質問に関しては答える行政側は答えを準備しておくことができる

60分と言う時間は長い(少なすぎると感じる議員さんがいるかもしれないが)
通告の質問と答えだけではすぐに終わってしまう
質問者の力量が発揮されるのはひと通りの答えが終わってからの
再質問からで、ここのツッコミ方の鋭さ、迫力が勝負


ここでさらなる深い再質問をするためには
法律的な多岐にわたる知識と質問に上がっている課題に対しての
相当量の情報が必要となる
議員さんはスキルアップを常々個々で取り組んでいかなければいけないことは
こうしたことから明らかになる
答えるのは何年もその仕事に関わって法律的に詳しいプロ
そのプロの仕事に市民目線からの質問を展開し
形だけのものに終わらせないためには
本当に何か使命感に満ちた熱意が不可欠とつくづく感じる

さて質問の具体的な内容について
自分が傍聴者したのは、山崎議員、白井議員、小野田議員、加藤議員の4名
その具体的な内容については、ここでは書ききれないし
余りにも多岐にわたっているので、感じたこと、確認できたことを中心に挙げてみると
山崎市議の発言のなかの特徴的な言葉は「政治判断」
庁舎問題も産廃問題も最終的には市長の「政治判断」
市長は選挙で選ばれているので、そうした判断をする権限があり
いつかはいなければならない というものだが
考えてみると、庁舎問題も産廃問題もここまで問題が大きくなっているのは
市長の判断が市民の感情とずれていたことの現れではないのか
まして住民投票はそのことをはっきりと明らかにしている
最終的な武器(?)「政治判断」が市民の声に沿うものでないと
また新たな混乱が起きるのではないかと危惧する

白井議員の質問は産科開設と設楽ダムの問題
特に前者は、知らないうちに進められる行くやり方についての
反対意見
実際の当事者であるお母さん方のニーズは聴いたのか
聴いたとしたらどのような意見があったのか
産科の開院は一般論からすれば問題ない良いことのように見えるが
その費用負担とか現状のお母さん方の要望を前提としないで
進めていくのはどうなのか
この進め方は、庁舎の進め方に通じるのではないか
まだまだいろいろあったが、いつもの熱っぽい話が続く

小野田議員は女性らしい視点からの質問
女性活躍促進と特別支援教育について
男としての自分には知らなかった問題を示してもらったが
一番覚えているのは、ピント外れかも知れないが
「市は情報を提供した段階で市民に伝わっていると判断していないか 」
と言う指摘
広報「ほのか」、防災無線、ティーズ、その他関連印刷物を
公にした時点で市民の理解・了解は得ていると判断していないか
これに対して企画課は、自分たちの伝え方の不十分さを認めている
「私たちが正確に伝えようとすると、どうしても文字が多くなってしまって
 (結果的に読みづらく分かりにくいものになっている)」

翻って庁舎問題で住民投票にまで至ってしまった問題は
市民合意を求めた各種の働きかけにもかかわらず
結果的には市民に伝わっていなかったことの現れ
それは広報の表現の仕方が悪かったのか、それとも別の理由によるものか
これは総括されずにいるので、また同じ問題が起きるかもしれない

加藤市議は住民投票の中心人物であり実務協議にも参加されたかたで
質問はこの庁舎問題についてのことが中心
いろんな視点かた質問が出されたが
質問の答えとして確認できた重要な事は
市が発表している「新たな市民合意」というものが
先の小野田市議の指摘にあるように、市側の見直し案の提示
その細かな部分の説明書の郵送で完了している、とは考えないこと
つまり、見直し案の市民に対する説明はするが、それが市民の合意
とは安易に判断しないということ
それで、あたらに市民が見直し案を提出するならば
門戸を開けて受け入れるという答え

この2つの確認事項は重要
また気になる山下設計への設計指示 
面積等はまだ行っていない(?)との答え
これは本当か嘘か、市民も議員も言われた言葉を信じるしかないが
こんな風に疑いの目を持たれること自体が問題で
本当は市としても何故住民投票になってしまったのか
総括は必要だと思ったりする 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

産廃フォーラムの発言から考えたこと

2015年09月06日 18時34分27秒 | 産廃

新城市の文化会館で千葉県の県職員 産廃Gメンこと
石渡正佳を招いて産廃フォーラムが行われた

その内容についてはおそらく主催者である山本拓哉氏の
ブログ等で公にされると思われるので
フォーラムを見学した一市民として全然関係ないかもしれない感想を

特に記憶に残っているのは「職員も市民の(民衆の)声を聞きたい
反映したいと思っているのですよ」のひとこと
石渡氏が現職の公務員であるだけに、公務員の立場を踏まえた
発言だが、これは自分が庁舎関連で市役所に出向いた時も
実感として感じること

大半の真面目な職員の市民の声を何とか円滑に反映しようとしている
ように見える態度、応対振りを見て、職員の方々が自分を出せないくらい
仕事として強制される(?)ように思えるのは何故なんだろう

市の職員は自分の判断でなにかできるわけではなく
また安易に口にしてはいけないかもしれない
結局職員という職業はある人(行政のトップ)からの指示を
良い悪いの自分の判断をしないで忠実に行うということなのだろうか

時に、上からの命令でも「それは違う!」と言い切る強者が
いるかもしれないが、おそらく大半は無気力というのではなく
自分の生活を守るために与えられた仕事をまじめに行うのではないか

話は飛ぶが(いつものように)ハンナ・アーレントが扱った人物に
アイヒマンがいる
アイヒマンはナチスの幹部で多くのユダヤ人をガス室へ送り込んだ人物
この人物の裁判を傍聴して彼女はアイヒマンが怪物のような
非人間的な人物ではなく、単に自分の与えられた仕事を果たしただけの
家に帰れば普通の人物だった事実に驚く

そしてアイヒマン自身も自分は命令に従っただけ、自分がしなければ誰かがした
しなかったら罰を受けた、、、と弁解の言葉を述べる

行った罪の大きさに比べてなんと卑怯な!と感情的には思えないこともないが
このことは、多分世の中には呆れるほど多く存在する事柄ではないのか

組織の中の自分、個人としての自分、人としての自分を存在し続けるための
本能的な知恵とか対応
それは本当に悪いことか 部外者として攻めることができることか

もちろん市とか県の仕事の範囲ではここまでのことはないだろうが
今問題となっている安保関連法案については、与党である自公民の中にも
全面的に賛成しかねる人もいるかもしれない

自分がなにか間違っていると感じるような与えられた仕事
それに対して自分の内なる心を信じて内部告発する人がいる
そしておそらく自分の内なる声は、誰にでも存在して
それがどっちの方向に出るかだけの問題のような気がする

個人の判断、
人としてあるべき道を少しばかり自らの生活への不安を犠牲にしても行う人
本来はそうあるべきと思っていても、今の生活がなければ未来もないと考える人
このどちらが正しいかなどは誰も言えない(ザンデルさんもそう言いそう?)

公務員の仕事 自分はその立場に立ったことがないので分からないが
与えられた仕事を着実にこなすことが、その大半とするなら
与える仕事、仕事の方向性を指し示す人の判断はより重要となる

そこで新城の一市民として、今の職員に全体的な方向性を示す力のある人は
その判断が正しいか
言葉の上の饒舌さではなく、実態を伴った内容の方向性が示されているか
残念ながら、今は、、、、

(ホント、いつもながらまとまらないな、つくづく情けない) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする