パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ファスト&スロー(下)(読了まであと少し)

2017年09月20日 08時26分35秒 | 

結局、(下)も購入することになった「ファスト&スロー」
著者のダニエル・カーネマンは認知心理学者で経済学者ではないが
ノーベル経済学賞受賞者と表紙に書いてある

そんなに急いで読むことはないだろうに、ついつい面白くて雑な読み方をしてしまっている
なるほど、これは経済学に通じるってことが、(下)ではわかる
よく考えられたたくさんの心理学的実験を行い、その心理的傾向が経済的な判断に及ぼす影響
人は必ずしも合理的、確率的に有利な方を選択するわけではないということ
判断にはいくつかのバイアスがかかることが多く、それが人間というものの心理的傾向であることが
懇切丁寧に紹介されている
得するよりも損する方が嫌、ついついアンカーラインを設定すること、ベストケースで考えてしまいがちなこと
統計的な考察を人の頭ではどこか受け入れられないことがあるということ、、
本当は付箋を付けておいて読み返すべきなんだが、近くに付箋をおいておかなかったから
そのまま勢いで読んで(字を追って)しまっている

なんとなくそうだろうな、、と思っていたことが、ここでは多くの実験によって実証される
やはり人間というものは完全にシステム2(熟慮、合理的な判断)で行動することが難しい
一見、合理主義の人には馬鹿にされそうな直感だが、そのおかげで非力な人類は
何が危険かを把握し、生き延びることができるようになっているという事実
システム1とシステム2、直感と熟慮がうまく組み合わさって機能すればよいのだが
熟慮に対する無意識の影響、、

この本、あとすこしで終わりというところまで来ているが、人の判断というのは
自分が思っているよりは不安定な根拠で行われていることを再確認する

こうしたことを踏まえて、国も地方も選挙に向かう
よく合理的な判断ですべきとされる選挙だが、人の判断がこんなものなので
少しばかり絶望的な気持ちにならざるをえない
(変化を強いられることは損を強いられること、変化することによって得するより
 損しない方を選ぶという極めて人間的な判断をするのが利権をベースにした支持母体
 それらが現実には力をもってしまっているという現実) 

それでも、前よりは良くなる、、、と思い続けなければ、やりきれないから
とりあえず、やれることはやる、、しかないかな

ところで、別の本でチェスタトンのこんな言葉を見つけた
〈狂人のことを理性を失った人と言うのは誤解を招く。狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である〉

理性以外のあらゆるものとは、感情とか直感とかそういうもので
それがなければ正常な人間ではないと述べている
ファスト&スローで明らかにされたのは、理性と言えども自分のコントロールできる支配下
ではないということ

それにしても、こんなに間違えやすい可能性に満ちた人という存在が
未来を選択するってのは、、、、ホント難しい
(今までなんとかなってきたから、これからも大丈夫、、、と
 気楽に思えないってのが、今の気分  残念だけど)
 

 

 

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講演会に行ってきた「井伊直虎から直政へ」

2017年09月18日 09時43分40秒 | 徒然なるままに

高校(豊橋)の同級生に「井伊」という名字の人物がいた
直ぐに頭に浮かんだのは「井伊直弼」で、試しにその家系なのかと尋ねたところ
あっさり「そうだ」との答え
井伊直弼の城は彦根なのに、なんでこの地区に井伊さんがいるのだろうか?
と不思議に思ったが、長いことそのままでいた

井伊家の先祖が、井伊谷にあると知ったのはそれからだいぶ経ってからのこと
今年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」は舞台が地元新城から近いということと
その同級生のこともあって、珍しく欠かさずに見ている

最初は戦国時代の話と言うよりは、マンガにありそうな子供時代を引きづった
ラブストーリーのように思えたが、さすがに回を重ねてくると、そのムダのような
エピソードがドラマの背景とか心理描写を深いものにしている
小野但馬守政次の死を扱った回は、ドラマの上のことだが少し落ち込んでしまった
そして言外の意味を伝えようとする駆け引きや役者さんの表情は
わかり易すぎる演技とは違って想像力を掻き立てられてプロの演技者とはすごいものだなと思ったものだ

昨日のこと、この直虎に関する後援会が新城市の文化会館であった

浜松市博物館の久野正博氏の「井伊直虎から直政へ」(新城図書館30周年企画の一つ)
歴史で困るのは登場人物が多くて名前が覚えられないことだが、ドラマを見ているおかげで
講演のなかで出てくる名前についていけていた
それに話の内容もドラマを再確認するようで、すんなり頭に入っていった
ドラマはフィクションだがまるっきり作り物ではなくて、時系列や史実はそのままだ

ところが、話を聞いて「しまった!」と思うこともあった
それは直虎の最期がいつの頃で、どのような状態だったかがわかってしまったことだ
こればっかりは結果を知って見るのではなく、ドラマのなかで感情移入しながら見るほうが
良さそうだなと思えるだけに知らないほうが良かったかも

それにしても、「井伊家伝記」とか各種資料を基に、一年間に及ぶドラマを創造する脚本家というのは
すごいものだなと改めて感心してしまう
見てる方は幼稚とか、嘘っぽいとか、簡単に批判してしまうが、
創造する人はやはり特別な能力の人なんだろうな
(でもどうしても好き嫌いはあるけど)

ところで、同級生の井伊さん、下の名前には「直」の文字が使われていた
井伊家にとっては「直」の文字は特別大切なものだったんだ
同級生はご先祖さんのお話、欠かさず見てるだろうな、、

※ 今日は横着して、あちらからのコピペ

 

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新城図書館ビブリオバトル

2017年09月17日 08時23分10秒 | 

以前から「読書と登山は似ている」と思っていた
どちらもこちらから働きかけないと楽しみを味わうことが出来ない

読書に関するイベントが昨日新城市の図書館の2階で行われ、足を伸ばした

新城図書館30周年の一連の企画の一つで「新城図書館ビブリオバトル」
会場で渡されたアンケートに、「この企画を知ったきっかけは何か?」
とあったが、あらたまって聞かれると答えに困った
(一体なんで知ったんだろう)

ビブリオバトルとは、自分が他の人にすすめたい本を紹介し(5分間のプレゼンタイム)
それを聞いた会場の参加者が読みたくなった本を投票して順位を決めるというのも
この日の発表者は4人(5人を予定してたらしいが)何処かで見かけたことのある人ばかりだった
緊張する発表ご苦労様、と思うと同時に、この人たちはこんな趣味、好み、指向性があるのか  と
本の内容とは別の興味も湧いた 

この日紹介されたのは「カラスの親指」「郷の原ものがたり」「人間の建設」「ビブリオ古書堂の事件手帳」
5分間の制限時間で、いきなりの発表、大変だろうなと心配したが、すばらしい 
皆さん時間内にキチンと収まった(人間やればできる、、ってことかな)

「カラスの親指」(道尾秀介 著)はハードボイルドの詐欺師の物語
悪人が主役で暗い話になりそうだが、最後の20ページに(40ページだったかな)
どんでん返しがあって、読後感はスッキリしたものになる、、と
発表者のこの本に対する思いはしっかり伝わった

「郷の原ものがたり」は郷土歴史家が残したこの地区のお話
地名のいわれとか、なんとなく知っていること、知らないことがあることを
興味をそそるような話し方で紹介
この発表のオチ(?)は、実はこの本は現在廃刊となっていて、存在するのはこの図書館だけで
しかも一冊だけで貸出が出来ない  だから、興味のある人はここに来て読みましょう
と図書館の来場を促すもの  なるほど、気遣いご苦労様

「人間の建設」は小林秀雄と岡潔の対談の本
紹介する際に壇上におかれた本にはたくさんの付箋があった
この発表者はこの本というより、読書に対する思いが込められていた
「行間を読む」それは想像力や洞察力を磨くことになる
そして、それらを身につけるのはまずは「全集を読む」と良いアドバイス
ところで、小林秀雄は「考えるヒント」「無常ということ」「モーツアルト」などで有名な批評家
岡潔は数学者で、理系文系の二人がそれこそいろんな分野にわたって対談しているとのこと
対談形式だけに読みやすいものになっていると紹介
話しぶりからこの人の日頃の読書量が想像できた

「ビブリオ古書堂の事件手帳」(三上延 著)は映画(ドラマ)にもなった一話完結型のライトミステリー
可愛いイラストの表紙で手に取りやすそうな雰囲気
ところどころに古書に対するうんちくが散りばめられていそうで
そちらの方への興味が湧く 

さてこの4つの推薦図書
一番になったのは、、、自分が推したのとは違うもので
でもそうなんだろうなと納得できる「カラスの親指」
最後のどんでん返しが、、、の訴えが効いたに違いない

ところで、一番残念だったのはこの企画が一番を決めて景品を渡して
お開きになってしまったこと
本好きは、車好きやカメラ好き、鉄道好きなどと同じように
同じ趣味を持つ仲間同士があれこれと語り合いたいに違いないのに(と思う)
もう少し何らかの形で発表者と参加者のざっくばらんな交流タイムが欲しかったな 

ところで、家に帰ってもう一度読みたいなと思ったのは
「美を求める心」
さて、自分は誰を推したか、、、 

 

 

 


 

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快傑ハリマオ

2017年09月16日 08時22分07秒 | 徒然なるままに

同窓会などの二次会 カラオケに流れ込むことが多い
出来上がっている状態で選ばれるのが懐かしい曲
今の人ならアニソンかもしれないが、自分らの世代は(最近同窓会もやっていないが)
テレビドラマの主題歌が盛り上がる
なかでも、「快傑ハリマオ」
歌いやすくて、勢いがあって、歌ってるうちに忘れた歌詞も出てくるようになる

夏木陽介が教師役を演じた「青春とはなんだ」の布施明が歌うのも
誰かが歌い出すと続いていく
「巨人の星」も巨人ファンではなかったが、これも歌いやすい

ところが思いっきり外すのが自分では覚えているけど、
どうもみんなの記憶に無いのが「狼少年ケン」の歌
「建」という名の同級生がいて、勝手に彼のテーマソングと
思い込んでいたが、当人もあまり記憶になかったようで
マイクを振ったら怪訝そうな顔をしていた(同窓会のあった昔の話)
どうも小さな頃から趣味が違うようなところがあったのかもしれない 

「風のフジ丸」は我が家では人気のアニメだった
自分につられて妹ふたりとも見てた
だから最後の「藤沢薬品」と出てくるところまで覚えている
(企業の作戦に乗ってしまった、、)
妹のボロボロになるまでものすごく大事にされた ぬいぐるみの名は
「ぽん吉」で、アニメに登場する動物「ぽん吉とチョロ」から来ている

テレビが一台だった時期は、家族みんなで子供に合わせて大人もテレビ番組を見ていた
そして子どもが他愛もないことを言っても、「ウンウン」と聞いてくれる人がいて
みんなで同じ経験をしているその安心感というのは、
今思うとそれこそ「幸せ」だったと気づく  
後になってからしか分からないことってあるもんだ、、

 

 


 

 

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秋になると聴きたくなる曲

2017年09月14日 18時41分21秒 | 音楽

秋になると決まって聴きたくなる作曲家・音楽がある
これが不思議なことに、どうも自分だけのことではなく
割合多くの人が同じように感じているようだ

その作曲家・曲とは

ブラームスのクラリネット五重奏曲
冒頭の淋しい主題はまさに秋にぴったりというところ

ブラームスは4番の交響曲もどこか淋しい(前半の2つの楽章)

ブラームスは音楽室に掲げられている写真はこわもてぽいが、実はなよなよした人物なのでは
とつい思ってしまう(個人的な感覚だが)

でもホント不思議、秋になると何故ブラームスなんだろう 


 

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経済学の本、それとも心理学の本(ファスト&スロー)

2017年09月12日 11時48分34秒 | 

ある理由があって読み始めた判断に関する本だが、これがとても面白い


表紙に「ノーベル経済学賞受賞者」との記述がある
しかし、この本って経済学の本なのか?と思われるくらい
心理学的な実験や心理の描写が多い
本のタイトルは「ファスト&スロー」
サブタイトルには「あなたの意志はどのように決まるか?」
ここで言うファストとは、時間をかけずにパッと判断する無意識とか直感のこと
スローとはいったん腰を据えて考える「熟慮システム」のこと

この本の中頃に(アメリカで)学生たち対してに行った「写真だけを見て政治家の評価」をする実験のことが紹介されている
学生たちの評価と実際の選挙の結果を比べると、上院議員、下院議員、州知事の選挙で当選した人の70%が
顔写真で「能力が高い」と評価されていたという
この傾向は一部の地区の傾向ではなく、オーストラリア、ドイツ、メキシコでの選挙でも確認された、とある

要は人間第一印象が肝心、、といったわかりやすい解釈ではなくて、
もっと深い示唆に富んだ考察が行われている
この様に間違いなさそうなファストの判断は、どのような時に間違えそうか、その理由と避けるためには、、

まだ途中なので(読みきれないかもしれないと思って【上】しか購入していなかった)
この先どんな展開になるかわからないが、本当は少し怖くなった
それは、人のこうした傾向を知り尽くしている誰かがそれを悪用したらどうなるのだろうかという点
この怖さは「韓非子」での冷徹な人間分析にも通じる
韓非子は「法の支配」というものの、経営者は読んで良いかもしれないが
雇用人には読んでほしくない内容となっている

最後まで読めば、なるほどこの本が経済学の本で、
今感じているものとは違い万人に役立つ内容と理解できるかもしれない

でも、人の判断とはなかなか自分の思うようにはならないものだと改めて実感 
【下】も注文しなければ、、、 

 

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昔はものを 思はざりけり

2017年09月11日 16時34分09秒 | 徒然なるままに

逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
昔はものを 思はざりけり

百人一首にこんなのがあった
残念ながら恋の話ではなく実生活上で「昔はものを思はざりけり」
の下の句に思わず納得してしまう今日このごろだ

たまたま、新城で住民投票が行われることになる前の、自分のブログを幾つか読み返してみた
すると、やはりと言うか、当然と言うか、得意の毒にも薬にもならない内容が並んでいる
(時には何かに怒っていたりするが)
本当に、「昔はものを思はざりけり」だった

「住民投票をすることが出来たらきっと何か(新城市が)が変わる」
そう訴えたのは、住民投票を求める会の前崎さんだった
新城市が変わったかどうかは、わからない
でも自分は大きく変わった
まるでパルジファルの覚醒のように、、
願わくばそれが有益であれば良いのだけれど

秋になって少し自分を振り返っての、、、独り言 

 

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「ニーベルングの指輪」と「戦国時代マニア」

2017年09月10日 19時50分12秒 | 徒然なるままに

予習よりは復習のほうが性にあっている音楽の聴き方
ストーリーが複雑でいくら字幕があると言っても
文字を追ってばかりでは集中して聴けないので
やっと「神々の黄昏」のレコードを引っ張り出した
(10月の新国立劇場予習用にフルトヴェングラー指揮のものを選んだ) 

第一幕の最初の和音、なんとなく好き
3人のノルンは前に見た「マクベス」の冒頭のシーンを思い出させる
で、しょぼい目でストーリーを追いながら聞いてみると
「ニーベルングの指輪」ってのは本当にけったいな物語だ 

演奏とか音楽とか関係ないことに勝手に連想が働いた
この「ニーベルングの指輪」を好きな人は
日本史の戦国時代が好きな人なのではないか、、と 
何の根拠もないが、ふとそんな気がした
なにしろ権力とか支配とか、謀略とか、、そんな話のオンパレードだ

自分は指輪よりは「トリスタンとイゾルデ」とか「パルジファル」「タンホイザー」の方が
ストーリー的にも好きで、自分はそもそも争いごとは好きではないようだ
日本史でも織田さんも豊臣さんも徳川さんも好きじゃない  伊達さんも真田さんも興味はない
(少しありそうなのは変わり者の上杉謙信くらい)
歴史上どうも心に引っかかるのは大津皇子、井伊直弼に関連する村山たか女、土方歳三
みんな運の悪い連中だ

政治音痴だったフルトヴェングラーにどこか惹かれるのも
多分自分のこうした傾向のせいだろう
だが「神々の黄昏」の最後までを見たら、「やっぱり指輪は良い!」って感動するかな 
10月の新国立劇場、楽しみ、、 

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選択の難しさ(今という現実と想像の中の将来)

2017年09月09日 08時44分27秒 | Weblog

今井絵理子氏はともかく、山尾しおり氏は不倫を連想させる
週刊誌の絶好のネタの標的になって政治生命も危ういことになっている
山尾氏の肩を持つわけではないが、少しもったいない
政治家が不倫騒動で政治能力とは関係なく世間的に資格を失うようになることは
この手の事柄が歴史的にもよく見かける出来事だけに少し考えてしまう
これがフランスなら、政治能力と個人生活は違う、、といった扱いで
大した問題になっていないとか(本当のところは知らないが)

損得を考えた時、今井氏も山尾氏も「今の楽しい時間」と「将来どのような事態を招くか」
の適切な判断ができなかったといえるが、実際のところコントロールしきれない感情の存在が
人というものの一面で、そうした感情を味わったことがなく、常に冷静な判断で白黒つけるようなのは
一見正しそうだが、弱い人に対する洞察力や優しい眼差し(どうしようもない存在としての)を
軽視してしまいそうで、自分のような横着者には何処か住みにくそうな世界を連想させる
でも世間的には、あかん、、以外の答えは、公には発しにくい雰囲気

今読みつつある「選択の科学」
 

この本のなかにとても興味深いエピソードがあった
「選択を左右するもの」の章に小さな子どもに対して行った「マシュマロテスト」がある
マシュマロ・テストとは、目の前の美味しそうなお菓子が並ぶなかで一番好きなお菓子マシュマロを選んだ
子どもに対して行われた、少し意地悪な心理学的なテスト
ある部屋にいる子どもは大好きなマシュマロを一つ手にしている
意地悪な試験管は「おじさんは別の部屋で大事な仕事がある。このマシュマロは君のものだけど
まだ食べちゃダメだよ。もしおじさんが戻ってくるまで待てたらご褒美にもう一つあげる。
でもどうしても食べたくなってしまったら、ベルを鳴らしなさい。直ぐ戻ってくるからね。
でもそうしたらマシュマロは一個しか食べられないよ。わかったかな、約束だよ」

少し待てば(いつまではわからない)マシュマロは2つ食べられる
そのほうが得だという気持ちと、いつまでかわからない不安と食べたいという気持ちで
パニックになった子どものとる行動は、、、

4歳児の試練と苦行はそれほど長くは続かず、子どもたちは平均すると3分しか待たずにベルを鳴らした
だがこの数分間、少年少女たちは自分が今すぐ欲しいものと、全体としてみれば自分のためになると
わかっていることの間で、激しい葛藤と戦わなければならなかった。4歳児の葛藤は、大人の目には
苦しみというより微笑ましいものに映るかもしれないが、誘惑と闘うことがどれだけストレスの溜まることか
誰でも知っている」

これは子どものお話だが、つづいて次のような問が大人に対して行われる
「今から1ヶ月後に100ドルもらうのと、2ヶ月後に120ドルもらうのとでは、どちらを選びますか?」
「今100ドルもらうのと、120ドルをもらうのとでは、どちらを選びますか?」
このテストを行うと最初の問ではほとんどの人が20ドル余分にもらう方を選んだが
二番目の問では1ヶ月待つよりも、少ない金額を今もらう方を選んだ人がほとんどだった
となったとのこと(なんとなく分かる)
結局のところ、大人も子どもも今楽しいことへの誘惑にはかなり弱い(不倫もそんなところ) 

この本では選択にたいする「自動システム」と「熟慮システム」の概念が紹介される
自動システムは、すばやく、たやすく無意識のうちに作用する。そして感覚情報を分析し
迅速に反応して感情や行動を始動させる常時作動している「隠れた」プログラム
一方「熟慮システム」は未加工の感覚情報ではなく、論理や理性である
熟慮的な思考のおかげで、極めて複雑な選択に対処できることになるが
この処理は自動システムよりは遅く、骨が折れるために、それなりの意欲と努力が必要とされる
この自動システムと熟慮システムの選択が同じ場合は問題はないが、ほとんどの場合それは異なるため問題となる

一見正しい判断をしそうな熟慮システムも、それゆえに間違いを起こす可能性もあるのだそうだ
政治的な専門家の判断が、何も知らない素人の判断と比較して、その的中率はうわまることはないという結果が
でたことがあったそうだ
専門家は専門家ゆえに多くの情報を集める、しかしそこに自分がこうだと思う傾向の情報を集めて
しまい、それでもって自分を納得させてしまうというのだ
(なるほど、インターネットの世界ではいろんな意見を収集できるというが、結局自分とあう
 情報を手にしやすいから、ここのところは理解できる)

少しばかり軽薄で批判の多そうな「自動システム」だが無意識の選択は実はなかなか捨てがたい面もある
経験により「嘘を言っている」と感じ取る能力は、必ずしも「理性の力」のおかげではないし
付き合うことになったカップルのきっかけは「無意識」の好感で、それはどういうわけかあまり
間違いがない  との報告もある

結局のところ選択というのは難しい
熟慮システムに従うべきだが、どうしても我慢できない衝動が存在しうる人という存在
将来よりもついつい今を選んでしまう人の気持ち
秋に行われる新城市の選挙
「熟慮システム」に従って投票する人が多いか、
それとも直感的な「自動システム」に従って投票する人が多いか、、、
(熟慮システムと言っても、結局は自分の意見を正当化するような熟慮がされがちな気がするが)
 

おまけ
無意識という点では、フロイトやユングのややこしいお話よりは数年前読んだ
「意識は傍観者である」(デイヴィット・イーグルマン)が本当に面白かった
人は自分で思っているほど理性的ではないことがよく分かるし、無意識の凄さも知ることとなった
実はショーペンハウエルも「意志と表象としての世界」でこの手のことは何やらごちゃごちゃ言ってるし
メルロ=ポンティも身体を通しての(判断に至る)認識論には詳細な考察をしてる(と思う しっかり読んでないからわからないが)
それから仏教の認識論も「空即是色」だし
そう思うと、人間社会ってのは案外アバウトなところで成り立っているんだと実感する

それにしても適切な選択  やっぱり難しい
必要なのは選んでしまった者の、開き直った「覚悟」かなと思ったりする 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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あれこれ思うこと(備忘録)

2017年09月08日 09時27分27秒 | あれこれ考えること

少しまとまらない話

最近、自分の住む新城市でも「市民自治」なる言葉がよく聞かれるようになっている
新城市に限らず各自治体が今後進むべき方向性を示した言葉のようだが
何をもって到達点なのかが、現状を見るとかなり想像しにくい
自分のことは自分で決める、大まかに言えばそんなところかもしれないが
果たしてそんな自由を人々は本当に欲しているのか(「カラマーゾフの兄弟」の大審問官の章、「自由からの逃走」の指摘)
そして大衆は正しい判断をしうるのか(「大衆の反逆」)
ここのところは、そもそも民主主義とは何か?とかの視点で考えることも必要で
民主主義を一方的に良きものとしては考えられないとする人たちも存在する(変に過激な人たちではなくても例えば 西部邁、佐伯啓思)
なんとなく変人ぽい印象がしないでもないが、とりあえず読む(考えを聞く)価値はあると思われる 

物事の判断はまずは自分自身の実感を基にする
日頃この手の話に取り組んでいる人と、そうでない自分のような人間とは
かなりの温度差が生まれる
自分は、上には上がいて、下には下がいる といった感じの
おそらく多くの人が感じるような普通の人間(庶民)の立場

話はいきなり現実世界の例となるが
その普通の人間が、先日任期最後の新城市の定例市議会(一般質問)の傍聴に出かけた
常識的には選挙前のこんな時期だから、いつもとは違う光景が見られるはず、、
と予想したのだが、そこで見かけた光景は、いつもと変わらない光景
いや議員さんの質問は多少選挙を意識したパフォーマンスの面も感じないこともなかった
(ほとんどの議員さんは質問の台に立ったが、この時期にでも質問に立たない議員さんがいた
 何を考えているのか、、と疑うが、その議員さんは質問しないほうがイメージダウンは少ない
と思われるほどいつもの質問はしどろもどろ)

いつもと変わらない光景というのは、傍聴者のことで、その数が少ないままだったこと
議員さんが気にしているほど現時点での庶民の関心は高くないようだ
それでも、ある議員さんの質問を聞いたらさっさと帰る人が何人かいた
結局のところ、どんな場合も応援団のような人が、その晴れ姿を見るというのが実態のようだ
(ごくたまに質問テーマの関心があって広く人が集まるということはあるが)

しかし、よくよく考えると傍聴者が少ないのは、よく指摘される物理的な時間がないという要素よりも
もう少し違う理由があるのではないか、、
それは、質問が(傍聴が)面白いか(興味深いか)、、という点 
確かに議会ではいろんなことが話される
今まで知らなかったこと(現状とか法律的な面)これから進められていくこと
そしてこれらが生活に結びついていくのは想像できる
だが、これには(我慢して)聞くとの条件がつく
なぜなら、そこで話される問題について理解するには前提として、その話題についての
それなりの知識(情報・法律面)と想像力が聞く方にも必要となる
そうした知識があって初めて議員さんの質問の意図も能力も分かる
しかし、問題は一般のひとはその前提となる知識や法律の面まで知ることが
できるか(知る必要は有るか)という点だ

市民自治という言葉が使われる場合
ある程度の知識や情報は一般人も持つべきで、個人個人は理性的な判断のもとに
行動するとされる(ある時は対案まで要求される?)
しかし、低次元の自分が見る一般人はそのような行動はしていない(しない)
もちろん一部のとても頭の良い批判力のみならず対案まで出しうるような人物も存在する
(その人は結果的に幾つもの仕事を請け負うことになるが)
だがその数は圧倒的に少ない

ところで、前提となる知識や情報は一般人には困難極まるが、実は議員さんにとっても難しいのではないか
三日間に渡って行われた一般質問だが、議員さんは自分が行った以外の人の質問をどのくらい理解しているのだろう
特に専門的な知識(不動産取引や都市計画法など細部にわたるもの)などは、少しばかり本で読んで
すぐさま自分のものとして身につくようなものではない(きっと)
だから市民がわからない難しい問題は議員さんお任せするように、議員さんも難しい問題の大半は
職員(官僚)さんにおまかせするようになる
そして議員さんは判断するだけ、議決するだけの機能を持つことになる

そこまで極端なことはなくても、自分の専門外のある分野に於いては、他のその分野に詳しい議員さんにお任せということになる
結局のところ、一人ひとりの力には限界があって、ある分野は専門的な知識に長けた人におまかせする
のが合理的な進め方となる(議員さん間でも、一般人と議員さんの関係においても)
一般人は難しいことはわからないから、よくわかっているだろう(と思われる)議員さんの全人格的な
判断を信じることとする
そこで問題となるのは、その議員さんの全人格的な判断力というのが、、文字通り実行されうるかという点
人間社会はなかなかややこしくて、理想通りにいかないのが常
議員さんに託された全人格的な判断は、議員さんという個人の生活、環境に大きく左右される
(次の選挙にはどのように行動したら得か、、など)

議員さんの判断が、どのような規準で行われているか
を一般人が知ることは、とても難しいということだ
判断されたことは分かる(議会だよりで賛否の報告などで)
しかし、その判断が本当に良いものか、その判断の根拠などは
議会の現場を知らない人にはわからない
ここで議会傍聴が必要になるが、大きな壁があってなかなかできないという現実にぶち当たる

そこで、市政に関心を持ちましょう  とか言われても上から目線からの掛け声は
一般市民には「やらされ感」が強く素直に同意できない
また住民は当事者として直結する問題に関しては何よりも優先的に考えやすいが
多少想像力を使わねばならない問題は他人事の様に感じてしまう

そんな現実の中、はたして本当に市民自治というものが進んでいるかは正直わからない
システムの上で新城市には「まちづくり集会」「地域自治区」「若者議会」「女性議会」など
ある種の責任を任された活動が存在する
ところが、住民としての実感は(ここでの住民はそれらの活動の参加者ではない住民)
現実にそれらが何をしているかよくわからず、世間で言われる市民自治が進んでいるような
感覚は持てないでいる
もちろん、どんな場合にもすべての人が知りうるような活動や政策などは存在しない
結局は知りたい意欲をもった人たちが知るだけ、に落ち着くところだと思われる
そうなると、結局のところエリートさんに頑張ってもらうしか手はないのかもしない
エリートとは必ずしも議員さんのことではなく、オルテガの言うように、普通の人であったとしても
自らのなかにより以上のものを求めるメンタリティをもった人のことで
具体的には「市政に関心を持ってしまった人」のことで、正規分布のグラフにおける左の部分に当たる人だ

頑張れる人が、頑張るしかない   そんなところが現実なのかな
(これだけぐだぐだと文字を使って、いったい何が言いたいんだか、、
  でも、ちょいと気になっていることなので、、忘れぬようにと)
 



 

 

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